小話40
↑の続き。
グラサイキッチンアンコールお待ちしてます。
「実は僕たち今日で最後なんですよね」
なんでもない当たり前のことみたいに、
お兄さんは笑いながらそう言った。
普段通りにレシートとお釣りをそっと
差し出してきたが、理解が追い付かない
私の指からこぼれ落ちて、
銀色のトレイがガチャリと音を立てた。
「あ、ご、ごめんなさい!」
「いや、僕こそ余所見しちゃってたせいでちゃんとお渡しできてなくてすみません」
散らばったルピを手際よくさっと纏めて、
またあの笑顔で差し出してくる彼に、
私は上手く反応が出来ない。
それでも、彼をここに留めさせてしまうことは、
仕事に支障が出るだろう。
そっと受け取りお財布に仕舞いつつ、
心の整理をし始める。
そうだった、あのロコモコ丼は
夏季限定メニューだと聞いていた。
それと同時に彼らがここで
働くことも終わることは予測できただろう。
でも、ほんの少し、本当に少しだけ、
もしかしたらまだまだここにいるかも
しれないなんて淡い期待を抱いていた。
最近は相棒さんのほうも話しかけて
くれることが増えて、二人に関しての
理解も深くなっていたところだった。
一回残業で遅くなって夜寄った時に
食べたローストビーフは絶品だったなぁ。
じゃれあ……やり取りを眺めて食べる
ご飯の美味しいこと美味しい事……。
その分増える体重を解消するために、
休日に運動を始めたおかげなのか、
ここ最近体の調子が整った気がしてた。
規則正しい生活のきっかけとなった
二人との思い出が浮かんでは消えていって、
胸が悲しさでいっぱいだ。
それに、何もこんなタイミングで
言わなくてもよかったじゃないか。
最後だってわかっていたら、いつもより
ゆっくりと味わって食べたし、
なんなら追加で飲み物とかも頼んだのに。
相棒さんが考えたって言うフルーツティー、
一回頼んで飲んだ時、甘すぎなくて
美味しかったから、またいつかって思ってた。
あの日は午後から休みを取っていて
のんびりできた上に、お喋りもいつもより
長めにできたことを思い出す。
普段は仕事のお昼休みで、
そんなに長居できないから……。
そこまで思い出して、はっと気がついた。
あっ、そっか。あえて言わないでくれたのか。
長居できないことをわかっているから、
あえてこのタイミングだったのだろう。
もし最後だとわかっていたら、きっと休み時間を
オーバーして、上司に叱られるルートを
選んでいたかもしれない。
怒られてもいいかなって思っている自分もいるが、
お兄さんからしたら、申し訳なさが勝って………
そう考えていたのかもしれない。
でも、これじゃ未練しか残らないじゃないか。
ぎゅっとお財布を握りしめていると、
背後から呆れたような声が聴こえてきた。
「いつまでも何してるんだ……」
「スツルム殿ごめんごめん!ちょっと僕がお釣り渡すのトチっちゃって~」
「今生の別れでもないだろ……早く帰してやれ」
「はいは~い。あっ、これ明日からの新メニューなのでお渡ししときますね」
振り向くとそこには想像通りの顔をしている
相棒さんが立っていた。
《今生の別れ》ではない、という言葉に、
私の胸が高鳴りを覚える。
そんなことを知るよしもないお兄さんは
レジから出て、私を扉の方へ誘導する。
さっと開けられた先から、夏の終わりの
生暖かい空気が流れ込んできて頬をすり抜ける。
まだお礼が言えてないことに慌てた私に、
彼はこそっと耳打ちをした。
「もしかしたらまたこのお店に呼ばれるかもしれませんし、その時はまたよろしくお願いしますね~」
「っ……はい!」
「《絶対》とは言えませんけど!まぁ僕とスツ……彼女はまた傭兵稼業に戻るだけなんで、もしかしたらふらっと道で会うかもしれませんし?」
その言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
深々と頭を下げて、お礼の言葉を絞り出した。
「ごちそうさまでしたっ……!」
「こちらこそありがとうございました~」
こちらに手を振り見送ってくれる
二人を目に焼き付けながら、程よいところで
前を向いて、少し駆け足で職場に戻る。
別にまだ急がなくても間に合うけれど、
逸る気持ちが抑えられなかった。
これからもあのお店へ行く度に、
彼らのことを思い出すだろう。
私の大切なメニューは一旦終わってしまうけれど、
これから新しい出会いが待ってるかもしれない。
手渡されたチラシに目をやり、
まだ見ぬ未来に心を走らせる。
またあの二人に会えることを信じて、
私はまた一歩踏み出したーー。
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