小話39

スツルム殿可愛いbot


『可愛い』

ここ最近、相棒から1日3回は言われている言葉。
鬱陶しいような、くすぐったいような、
何かこみあげてくるような、
そんな気持ちになる言葉。
それを毎日、飽きもせず《言われている》。

別に、日向で気持ちよさそうに
眠っている猫と見つけた時とか、
知り合いの傭兵が連れている子供の
満面の笑みを見た時のような、
日常にありふれているものに対する
『可愛い』なら気に止めない。
しかし、それが自分に向けられているせいで、
どうにも落ち着かない気持ちを抱えて
ここ数日過ごしていた。

普通に昼食を取っている時に『可愛い』。
揶揄われたから睨みつければ『可愛い』。
寝起きに目があっただけで『可愛い』。
そんななんでもない時に、あいつはあたしに
『可愛い』という言葉を向けてくる。
恥ずかしい奴…だなんて思っても、
口には出せないでいた。
落ち着かない、けど嫌ではない。
胸に沸く気持ちに嘘はつけない。

あたしとあいつは恋仲だ。
だから、愛情表現を向けられること
自体は嫌じゃない。
それでも、そわそわとする己がいる。
幼い頃は両親から『可愛い』と言われることが
当たり前にあったが、大人になった今、
その言葉を使うのはこいつくらいなものだ。
良く言われるのは『無愛想』で『可愛げがない』
という真逆の言葉だ。
そんな自分が『可愛い』なんて言われ続けて見ろ。
早々にキャパシティーを超えるに決まっている。

しかも、ここ最近顕著に回数が増えているのだ。
初めは1日3回くらいだった。
それが2回に増えて、今では3回だ。
原因は解っている。
あたしが剣を抜かなくなった。
こういう関係になる前は、『可愛い』なんて
言われてることは、単なるからかいの一部
でしかなかったから。
だから尻に一撃食らわせて灸をすえていた。
それなのに、その言葉に意味を見出して
しまったせいで、一切もらえなくなるの
ではないか、という欲が湧いて何もできずにいた。
いや、刺すこともある。
ドランクがふざければ、正すのはあたしの仕事だ。
他人のいる場所でなんてもってのほかだ。

人前では変わらずいつも通りのあたし達だが、
二人きりの時になると剣を納めて享受する。
別に、聞いてるのはあたしだけ。
見てるのもこいつだけ。
それを見越して、最近は二人きりの時にしか
言われないせいで、フラストレーションを
溜めてしまっていた。
ドランクを刺すと落ち着くのに、刺す理由がない。
こんな状況は初めてだ。

「あっ、スツルム殿お帰り~」

頭を悩ませながらの入浴は、
思ったよりも時間がかかってしまった。
考え事をしながらの風呂は、ついいつもより
長くなってしまってのぼせたのか、
頬の熱がなかなか収まりそうにない。
パタパタと手で風を送りながら
ベッドルームに戻ると、ドランクがへにゃりと
笑いながらあたしを迎え入れる。

「今日はお風呂長かったね~」
「ちょっとな」
「はい。お水用意してあるよ」

手渡されたコップ仰ぎ喉を潤すと、
一息ついた気分になる。
ゆっくりと肺の中の息を吐ききると、
ニコニコと此方を見ていた元凶が、
あの言葉を口にした。

「頬っぺた真っ赤になってるね~可愛い」
「……それ、どうにかならないのかお前」
「え?」
「その………可愛いってやつ」

あたしの指摘に、ドランクは
ピタッと動きを止めた。
空気が凍りつく幻聴が聴こえたような気がする。
いや、石にヒビが入ったような音か?
そんなことはどうでもいいが、
動かず喋らないドランクは気味が悪い。
やはり口にしてはいけないことだったの
かもしれないと自責の念が生まれたところで、
ドランクは喋りだした。

「え、……えー……長風呂の原因ってそれ?」
「っ………」
「スツルム殿もしかして嫌だった……?」
「嫌…………ではないが」
「……だよね!?」

身を乗り出して詰め寄ってきたあいつは、
手で胸を抑えながら大袈裟に緊張の糸を解く。
なんだその態度は。あたしが嫌ではないことに
対してその反応はおかしいだろ。
なぜ嫌がっていないことは確定してるんだお前。
なんだか納得がいかなくて、浮かれている
ドランクを睨み付けていると、あいつは視線を
泳がせながら口を開いた。

「いや~~先月さ、かき氷で頭が痛くなってるスツルム殿に『可愛い~』って言ったじゃない?」
「………あぁ、そんなこともあったな」
「その時は僕ね、あっヤバイッ!……って直感的に思ったんだよね。折角のデートなのに機嫌損ねちゃう!…って。でも怒られなかった上に、恥ずかしそうだけど嬉しそうな空気を放ってたから~……あっ、普通に言ってもいいんだって解釈して~」

頬を掻きながら気まずそうに話を進めるドランク。
聞いていて段々と理解が追い付き始めるあたし。
しかし、どことなく嬉しそうなドランク。
厭な予感とは裏腹に、頬の熱が上がるあたし。
ドランクの話はまだ終わらない。

「それから言う度ほぼ毎回、スツルム殿ってばいつもどことなく嬉しそうだからさ~…スツルム殿がご機嫌な方が僕も嬉しいな~って思って~……」
「もういい……」

絞り出した言葉は、か細くてもドランクの耳には
届いたようで、またピタッとお喋りが止まる。
あいつの顔はもう見れない。
視界は完璧に手で覆いこんだ。
目も当てられないとは、今のあたしに
ぴったりな言葉だと思う。
自責の念が別の理由で加速していく。

元凶はこいつじゃない。あたしじゃないか。

そんなことを知るよしもないドランクは、
またあの《言葉》を口にする。

「スツルム殿ってば世界一可愛いねぇ」

奴の断末魔が響き渡るまで、あと数秒ーーーー。

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