春に愛して
冬に恋して の続き。
ドランク視点でのバレンタインのお話。
僕に春が訪れたのは、
寒くて凍えそうなある日のことだった。
あ~、今さ、全然春じゃないじゃん
って思わなかった?
春って言うのは比喩であって、
季節のことじゃない。
僕の恋が実ったって意味だ。
頭の中がお花畑だ、なんて言われちゃう僕だけど、この表現が正しいと、胸を張って言い切れる。
今思えば、なにが勝因だったのだろう―――。
朝からしとしとと降り続いた雨。
一日中魔物を討伐していたせいで熱を帯びた体。
生憎シングル一部屋しか空いていなかった宿。
凍り付くような夜の冷たい空気。
触れても逃げることがなかった、彼女の温もり。
色々なきっかけが重なって、なぜか『イケる』
と思った僕を、止めてくれる理性なんてものは
とっくの昔に何処かへ行ってしまっていた。
だって触っても怒らなかったし、
どんどん先に進んだけれど、
殴られも刺されもしない。
時々出る『嫌だ』という言葉に少しだけ
立ち止まりはしたものの、
彼女の寂しそうに震える瞳を見てしまったら、
本心じゃない、と突き進む。
もっともっと……と欲張って、
奥へ奥へと入っていけば、
後戻りなんてできるはずがなかった。
甘くて蕩ける声で僕を呼んで、
耐えるように背中に爪を立てて、
耳元で名前を呼べばそれがさらに強くなっていく。
これは夢じゃないか、と何度も思った。
でも、吐息が温もりが、現実だと付きつけてくる。
極めつけは、朝のこと。
目覚めたその横で寝息を立てている彼女を見て、
胸の奥がジワリと熱くなったのを思い出す。
そっと手を伸ばして触れた頬に指が沈んでいく。
寝ているはずなのに眉間に皺を寄せる彼女が
とても愛おしく感じて、口元をキュッと結んだ。
スツルム殿が好きだった。
多分、初めて出会ったあの日から、
僕の心は彼女にしか向いていない。
やっと思いが届いたのだと心の底から震えた。
もしかしたら彼女も同じ気持ちなんじゃないか。
不確かな事柄なのに歓喜が僕を襲う。
終わった直後、彼女の胸にぽとん…と落ちたのは、汗だったのか涙だったのか。
高揚が溢れて止まらなかった僕の記憶では
定かじゃないけど、成分は幸福で
満ちていたことだろう。
……こういう言い回し、スツルム殿は
あんまり好きじゃなさそ~。
真っ直ぐストレートって感じだよね、
スツルム殿は!
僕はひねくれ曲がりまくりだから、
そういう所にも惹かれちゃったんだよね。
《あの》スツルム殿が、
僕のことを受け入れてくれた。
僕に向ける言葉は、触るな 刺すぞ 煩い……って
苦言ばっかりの彼女と、肌を重ね合わせた。
その事実に浮かれない方が馬鹿でしょう?
でも、気の迷い、なんてこともある。
ただ側にいた男が僕だっただけ。
いやでも、何度でも言うが《あの》スツルム殿だ。
長年コンビを組んでいるが、浮いた話は聞かない。
昨夜の感じも慣れていなかった。
そんな彼女が気の迷いを起こすのか?
その辺りははっきりさせておかないと。
小さな物音も聞き逃さない僕の耳がピクリと動く。
シーツの擦れ、くぐもって少し苦しそうな声。
彼女の起きる気配を察知した僕に緊張が走る。
悟られないように背を向けて、
ごくりと唾を飲み込んでから問いかけた。
「僕たち……そういう関係、ってことになるのかな?」
裏返りそうな声を抑えつつ、極めていつも通りに。
彼女の反応を直視したら耐えられない
自覚があったから、振り向く事は。
言葉が返ってくるまでの時間がやけに長く感じて、
一秒経つごとに、胸の奥底に黒ずんだ塊が
溜まっていく。
ほんの数秒だけなのに、何分も過ぎたような
奇妙な感覚。
ぞわぞわとざわめく体に、安定しない視界。
早く楽になりたいという僕の願いを叶えて
くれたのは、スツルム殿の声だった。
「……そうだな」
その一言が、歩んできた数十年の人生で
一番嬉しい言葉だったかもしれない。
大袈裟だって言われるかな?
でもさ~、理解した瞬間、世界が輝いていた。
遠くどこかで鐘の鳴る幻聴が届くくらい、
僕は僕自身を祝福していた。
燻っていた胸のつっかえは元から存在して
なかったかのように、綺麗さっぱり溶けて消えた。
その代わりに生まれたのは、
温かくて柔らかい気持ち。
冬の寒さが身に染みる朝、かぁっと熱くなる身体が
部屋の温度を2℃くらい上げたのは
勘違いじゃなかったと思う。
───文字通り僕に春が訪れた。
ところでさ、肯定=両想い
……って直結しちゃうじゃない?
ところがスツルム殿ってば、
体だけの関係だと思ったんだって。
ほんっっっとうに鈍感だよねぇ!
そんなところも含めて愛してるけど!
その事実が発覚したのは、
僕が浮かれてから二カ月ほど経った頃だ。
迫りくる聖夜に、数日間不安と期待が
入り混じっていた。
スツルム殿はイベント事に疎いから、
あんまり興味持ってくれないかな?
でも、恋人同士なんだから、
甘い夜を想像してもいいかな?
僕の心は不安2割、期待8割で、
ふわふわとした甘い夢を見ていた。
気持ちが繋がり合ったからといって、
僕たちは何も変わっていなかった。
いつも通り仕事をこなし、報酬を得て、
少しだけ休息を取ったらまた次の仕事へ赴く。
何ともない日常を過ごしていた。
あまりにも要求しすぎたら嫌がられる
かもしれない、と、僕は珍しく慎重になっていた。
だってここからやっぱりなかったことにしてくれ、と告げられでもしたらショック死する自信がある。
……自信を持つものじゃないけれど。
だってだって~がっついたら恰好が
付かないかなぁって。
僕だって、スツルム殿が拒否してるのに
それを無視して抱こうとするほど馬鹿じゃない。
彼女に嫌われたらおしまいだ。
コンビ解散なんてされてみろ。
目も当てられない事態になる。
そう思い、初々しい触れ合いだけを繰り返して、
ゆっくりゆっくり慣れて貰おうとした。
二度目の夜はクリスマスに……なんて雰囲気重視な
妄想をしては自分を押さえつけ宥めた。
「……あたしたち、付き合ってたのか?」
その結果が、この様だ。
スツルム殿の言葉のせいで、息がひゅっと止まる。
何を言われたのか理解したくないはずなのに、
無駄に頭の作りが良い脳は、
そんなこと許してくれはしない。
付き合ってない?僕とスツルム殿が?
いやいやそんなまさか。
だって『そうだな』って言ったじゃない。
必死に詰め寄る僕に、彼女は少しだけ驚いた表情で
『身体の関係だ』と告げた。
嘘、嘘でしょ、夢だと言って。
煌めいていた世界が急に陰りを落とす。
足元がおぼつかない。立っているのがやっとだ。
なんで、どうして、嘘だよね。
心の中が渦巻いて、一つの感情で埋め尽くされる。
恥ずかしい。とてつもなく恥ずかしい。
穴があったら入りたい。顔から火が出そう。
彼女と僕の心が繋がっていると勘違いしていた
事に、いたたまれなくなってくる。
消えてしまいたい衝動に駆られた僕は、
雪の積もる道に足を踏み入れる。
スツルム殿の止める声が聞こえても、
辛い思いが募るだけで足は先へ先へと進む。
雪がブーツに入り込んで冷たいけれど、
そんなこと気にしてる場合じゃない。
このまま何処か遠くへ行って、心の整理を
つけてから、スツルム殿に向き合おう。
大丈夫、仕事はちゃんとこなすから。
今は消えたいだなんて思っているけど、
実現するほど度胸なんてない。
…………そうかな?本当にそうかな?
この痛みが忘れられる気がしない。
どんな形でも君の側にいたいんだ。
気持ちが手に入らなくても……そう思った瞬間に、
ぐっと引っ張られた身体がバランスを崩した。
気がついた時には曇り空とスツルム殿で
視界はいっぱい。
怒った顔した彼女に見下ろさせる気分は、
案外悪くない。
でもそんな表情させるつもりじゃなかった。
苦しさの混じる瞳と口元。あの夜と真反対だ。
その事実が妙に辛くて、僕の視界がぼやけていく。
このまま溶けていなくなりたい。
そんな僕を引き留めたのは、
また彼女の言葉だった。
「好きだ」
端的な告白は実に彼女らしかった。
でも、幻聴としか思えないその言葉を、
飲み込めるはずがなかった。
スツルム殿は僕の胸に顔を埋めて、
もう一度「好きだ」と言った。
聞き間違えじゃない。
うるさい心臓の音も、現実だと諭してくる。
心の奥から溢れた熱い気持ちが、
身体中を巡って、目から流れ落ちた。
僕に春が訪れたのは、
寒くて凍えそうなある日のことだった。
冷たい雪の中で感じたあの幸福は、
絶対に春の訪れだった。
さっと通った冷たい風に、身体がぶるっと震える。
むずむずと動く鼻をそっと手で隠すと、
タイミングよくくしゃみが出た。
「はぁ~まだまだ寒いねぇ」
忍ばせているハンカチで軽く拭いてから
そう呟くと、スツルム殿は興味が無さそうに
『そうだな』と一言返してきた。
時刻は夕刻、仕事終わりだ。
彼女の関心は僕よりも食だろう。
ちょうどよく目に入った店を指差して
夕食に誘えば、こくりと頷いて足を向けた。
その隣を歩く僕の足取りは少しだけ重い。
らしくないとわかっていながらも、これには
少しだけ事情があるのだからしょうがない。
昨年のクリスマス数日前の大騒動。
僕とスツルム殿のすれ違い事件は、
大団円で幕を閉じた。
……え?大袈裟?
いやいや、僕にとっては事件に近かった。
だって!スツルム殿から告白されたんだよ!?
あまりの嬉しさにちらつく雪を気にも留めず、
ただただスツルム殿を抱きしめた。
小柄な体は僕の胸にすっぽりと納まって、
身を委ねてくれていた。
拒否されることも、殴られることもない。
あの夜のことがリフレインして、
身体中が幸せな気持ちで満たされて
天に登りそうなくらいだった。
数日後のクリスマスはきっと素敵な思い出になる。
……と思ったのも束の間。
翌日高熱で倒れて、年末年始まで寝て過ごす
羽目になった僕のせいで、考えていた計画は
全ておじゃんとなった。
そりゃ雪の上に思い切り寝ころんだし、
当たり前だよね。
たまたま流行っていた強力な風邪に
罹ってしまったのも運が悪い。
散々な結果だったけど、スツルム殿が
心配して傍で看病してくれたおかげで、
年が明けてすぐには仕事に復帰が出来た。
彼女がお粥を運んでくれる度に、
何度夢じゃないかと疑ったことか。
スツルム殿に移らないか心配だったけれど、
それは杞憂な事となる。
くしゃみをしたのはスツルム殿だったのに、
風邪を引いたのは僕というあたり、普段から
鍛えている差がこういう所で出ているのだろうか。
そんな彼女にお返しをしたくて、僕は今度こそ
成功させるために下調べを入念に重ねていた。
狙いは2月14日。
日付を聞いただけで反応する人が多い、
恋人同士には欠かせない日だ。
きっとそれはスツルム殿も知っている。
毎年僕が騒いでるからね!
今年は堂々とおねだりして良いはずだ。
無事に依頼が終わった前日となる今日、
言い出すタイミングを計り、仕事終わりの
食事時と決めた僕は浮き足立っていた。
スケジュール確認も兼ねて切り出せば、
なんら不審な事はない。
……恋人なのに回りくどくしてしまうのは
変われないなぁ。
でもぉ~失敗するよりはいいよね!と
自分を褒めつつ注文を手早く済ませる。
早々に届いた麦酒にお礼を言うと、
名前を呼ぶ声が耳に届く。
余所行きの笑みを張り付けたまま視線を向けると、
スツルム殿はジョッキを片手にさらりと告げた。
「明日、朝から出かける」
ピシリ、とひび割れる音がした。
それ、明日じゃなきゃ駄目かな?
率直な疑問が喉まで出かかったが、
ぐっと堪えて考える。
疑問形ではない言い切り。
彼女の中では決定事項だ。
そんなことに文句を言ってみろ。
不機嫌になる事、間違いないぞ。
そうなったら二人でイチャイチャな夜を
……なんてお話どころじゃない。
スツルム殿ってば結構根に持つからなぁ。
今回の仕事、特に今日は妙に気合が
入っているような雰囲気を感じたのは、
予定が入っていたからなのか。
ギリギリまで仕事を入れておけば、誰かに
邪魔されることもないと踏んでいたのに、
これは誤算だ。
万が一仕事が終わらなくても、スツルム殿と
過ごせるならどんな時間でも……
なぁんて甘い考えでいた。
だから、今日ばっかりは、はいそうですかと
引き下がる僕じゃない。
「お出かけ?だったら僕も一緒に~……」
「お前はやることがあるだろ。昼頃までには戻る予定だから大人しくしてろ」
間髪おかずに降ってくる言葉のせいで、
頭が殴られたように痛い。
ひび割れが進行したらどうしてくれるの!?
責任とってくれるの!?
……と胸の中で吠えたが意味などない。
スツルム殿が言っている事に思い当たる節はある。
依頼人への報告書だ。
遺跡近くの森にいる魔物の生態調査
及び周辺の安全確認。
今日さっきまで取り組んでいた依頼だ。
報告書を作成するのはいつも僕の仕事。
それをこなせ、とスツルム殿が
視線で訴えかけてくる。
思ったよりも調査項目が多いので、
提出するのに一週間ほど猶予を貰っている。
別に無理を言ったわけじゃないから
『急ぎ』ではないと思っている。
だけど、年末は僕のせいで予定してた
仕事が押したし、またいつ体調を崩すか
わからないと考えていそうだ。
前科があるだけに、強く出れない。
明日の午前中で終わる気はしないけど、
流石に終わるまで部屋にいろとは言わないよね?
そのために帰宅時間を告げてきたのだと、
僕は信じていた。
「……じゃあ~、スツルム殿が戻ってくるまで待ってるからお昼は一緒に食べよ?あといいお店見つけたから夜はそこでどうかな?」
「……わかった」
了承の言葉を聞き、やっと胸を撫で下ろす。
「明日、なんの日か知ってる?」と出かかったが、
嫌みになりそうでぐっと飲み込んだ。
頭の中で理解しても、納得できずただをこねる。
いやいやいやいや……なんで?
ど~してこうなるの?
僕、一生懸命仕事調節したんだよ?
あんなことがあったからスツルム殿だって
それなりに意識してくれてるかも~?
なんて淡い期待を持っていたりもした。
目の前の男が心の中で泣いているなんて
知るよしもないスツルム殿は、
到着したポークソテーに目を輝かせている。
今日も僕の相棒が可愛い。
その瞳をもう少しこちらに
向けてくれたらいいのに。
──願い事は形にならず、胸の奥に消えていった。
壁掛け時計の短針が、また一時間進んだ。
長針がぐるりと一周するのを、
今日は何回見届けた事だろうか。
深い溜め息も、もう何回目だろう。
手に握っていたペンを机に放り出し、
椅子の背もたれに力無くもたれかかる。
スツルム殿と約束した時間から、
二時間が経過していた。
遅い。絶対に遅い。
僕ならまだしも、彼女がこんなにも
遅れるなんて絶対におかしい。
まさかナンパとか……?
いや、そんな軽いものに引っ掛かるような
タイプじゃない。
逆にやり返しすぎて怒られている
可能性は無くもない。
うん、そっちのほうがスツルム殿っぽい。
でも、それなら身元引き受けとして
連絡が来てもおかしくないだろう。
だからこの線はないかな。
最悪なのは事故とかトラブルに
巻き込まれたパターンだ。
スツルム殿が僕の知らないところで
命の危機に晒されているのだけは避けたい。
だが、これもあり得なさそうではある。
そんな大事故があれば、流石に街の外は
もう少し騒がしいだろう。
窓の外からは女の子達の可愛らしい黄色い悲鳴が
聞こえることはあるけれど、
それも今日という日には珍しくない。
何処かで少女の恋が実ったのだろうか。
早く僕も、焦がれる彼女に会いたい。
……あーもしかして団長さんたちと
ばったり逢っちゃった?
その可能性がもしかしたら1番高い気がする。
僕らも神出鬼没だが、それは彼らも同じこと。
騎空団がよく出入りする島だから、
待ち合わせに使う事も多いし、
この街はあのよろず屋さんもいる。
商店も立ち並ぶここなら、本当にたまたま
遭遇してもおかしくない。
………………もしかして、僕より先に
バレンタインのプレゼントを贈り合ってたりして。
想像しただけで鬱になってきた。
チラリと時計に目をやると、長針はまだ
五分ほどしか進んでいなかった。
あとどれくらい経てば、彼女は帰ってくるのか。
いっそのことここから飛び出して
探しに行けたら良いのに。
そんなことをして万が一入れ違った時を考えると
行動に移すことは難しかった。
はぁ……と溜め息が溢れた直後、
垂れ下がった耳に、小さな足音が聞こえてきた。
段々と近づいてくる聞き覚えのある歩調。
僕は椅子から飛び降りて、一直線に扉へ向かった。
取っ手を掴んで思い切り開けると、
目を丸くして驚くスツルム殿がそこにはいた。
「スツルム殿!!」
「っ!?脅かすな馬鹿!」
「お帰りなさ~い!待ってたよぉ!もぉ~全然帰ってこないからさぁ!しんぱ……痛いっ!」
角に当たらないように気をつけてながら
頭に頬を擦り付けると、鳩尾に軽く拳が入り込む。
スツルム殿は悶えている僕を無視して
部屋の中にスタスタと入っていく。
流石に廊下での愛の包容は、
受け付けてくれないらしい。
患部を擦りながら後を追い、
遮られた言葉を続ける。
少しばかり文句を言う権利くらい、
今の僕にはあるだろう。
「結構時間かかってたね~僕もうお腹ぺこぺこだ……よ……?」
傍に近寄る僕を止めるように、スツルム殿は
ぎゅっと握った拳をこちらへ突き出した。
その手からは小さな紙袋がぶら下がっている。
ぷらぷらと揺れるそれを凝視していると、
ばつが悪そうなスツルム殿は、
視線を外して腕をぐっと僕の胸に当てた。
「……ほら」
「………スツルム殿、から?もしかしてチョコレート?」
「っ………それ以外ないだろ」
そっと下に手を添えると、
紙袋はゆっくりと手のひらに着地した。
両手で収まるサイズだが、しっかりとした
紙質から高級店の気配が漂う。
側面に書かれている店名は、
聞いたことのあるブランドのものだった。
高いとか安いとか、値段は関係ない。
が、スツルム殿が《こういうもの》に
疎いのは知っている。
そんな彼女がわざわざ調べて
ここに行ってくれたのだろうか。
よろず屋さんの助言?
それでもお店に入るのだけでも少し躊躇しそうだ。
……なんて失礼なことを考えてしまった。
それほどまでにまだ頭が正常に動いていなかった。
「大体お前のせいだからな……」
「え?僕?」
「……どれがいいか悩んでいたら時間が足りなくなったんだ!どれ渡してもお前が同じ顔してるからっ……」
「ご、ごめんね?」
僕が黙っていると、スツルム殿が
突然怒りを此方にぶつけてくる。
なにその可愛い言い訳。
つまりは……渡したときに一番嬉しそうなものを
想像して決めていたけど、どれも反応が一緒で
決められなかった……ってことだよね?
さすがだよスツルム殿、大正解。
スツルム殿から貰えるものだったら
なんでも嬉しいに決まってる。
これがその辺で売られているお値打ちの
量産品でも、それが全空一のチョコレートだ。
僕の事、よくわかってくれている。
怒られることがわかっていても、
口元が緩んでしまう。
恥ずかしそうに頬を染めるその姿に、
手の中の物への期待が高まっていって、
おずおずとお伺いを立ててみた。
「中、見てもいい?」
「……好きにしろ」
どれも同じ顔だったと言いつつ、
これを選んだのには理由があるのだろう。
紙袋の中から出てきたのは、
青色のシンプルな箱。
その横についているシールを丁寧に剥がしてから、
上部をゆっくりと開く。
中はシートで一区切りされており、
目的のものには辿り着けない。
早鐘を打つ心臓を落ち着かせながら捲ると、
青色のグラデーションが鮮やかな
ハートの形をした宝石が六つ並んでいた。
青……僕の色だ。
スツルム殿と対になるようにマントにまで
使っている青色。
この色を見て僕を思い出してくれたのだろうか。
めいっぱい上がる口角を隠すように手を添えて
震える口を開いた。
「食べても、いい?」
「っ……好きにしろって言ってるだろ」
怒り気味のお許しが出たところで、
どれにしようと指を悩ませて、
一番爽やかな色のハートを持ち上げる。
パクリと口に入れたチョコレートは、
舌の上を転がりながら口の中を彷徨う。
表面はつるりとした滑らかさを保っているが、
裏側の部分からゆっくりと形が崩れていく。
フルーツの香りがほのかに漂うが、
後から追ってくるカカオの香りで
口の中が幸せに包まれた。
チョコレートってこんなにも美味しかったっけ?
永遠に味わいたいと思う小さな愛の塊は、
願望に反してあっという間に跡形もなくなった。
「おいしい……」
「…………そうか」
微かに捻り出せた感想は、
そっけなさすぎるものだっただろう。
でも、色々な感情が重なって、
それしか言えなくなってしまった。
もっともっと褒めちぎりたい。
されど、あまりごちゃごちゃと御託を抜かしては、
このチョコレートに失礼だと思った。
そんなことをスツルム殿は知ってか知らずか、
安心したような柔らかい声で短い返事を
呟いたのち、もう一つ、紙袋を差し出した。
「……これも預かってきた」
「へ?」
「団長からだ」
中にはリボンを十字掛け施された
赤い長方形の箱が一つ。
まさかの展開に僕は慌てつつも、
慎重に質問を投げかけた。
「……もしかして、待ち合わせして会ってたの?」
「偶然遭遇しただけだ。……今年はお前にしか買ってないし、そもそも買う余裕もなかった」
「本当?別に僕はスツルム殿の行動を制限したいわけじゃないし、気を使わなくても……」
「しつこい!………………お前だけだって言ってるだろ」
俯き加減の言葉に、溶けるような幸福感。
甘ったるい空気に、心が華やぐ。
それにしても、買う余裕もなかった……かぁ。
そんなに時間を費やしてくれたなんて、
僕は幸せ者だなぁ。
それにどうやって答えればいいかな?
今すぐにでも伝わって欲しくて、
ギュッと抱きつくと、今度は拒否されることなく、
僕の中にスツルム殿が収まる。
「ん~僕もスツルム殿だけだから受け取るのやめておこうかな~勿体ないけど」
「……人の好意を無駄にすることないだろ。それは預かってきたんだからきちんと頂戴しろ」
あ、今、ちょっと間があった。
スツルム殿も少し位は嫉妬してくれてるのかな?
それは自惚れすぎ?
けどさ、こんなことされたら
君から目が離せないよ。
元々釘付けだから、惚れ直しただけだけど。
「ねぇねぇスツルム殿」
「今度はなんだ……」
「僕、予想通りの顔してた?」
呆れたような上目使いは、
あっという間に羞恥の顔に変わる。
その反応を見ただけで、
答えは貰っているようなものだ。
君の中の僕はいつも幸せそうな顔を
向けているのだろう。
その事実に、また僕の口元がへらりと笑った。
僕に春が訪れ続けている。
寒い冬でも、暑い夏でも、
過ごしやすい秋でも、勿論温かい春でも。
彼女が隣にいる限り、
いつだって僕の心は春模様だ───。
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