冬に恋して

付き合ってると思ってるドランクと
体だけの関係だと思ってるスツルム殿。
(いつもの)


それは、長い冬の始まりを告げるような日のこと。
長い間仕事のコンビを組んでいた相棒と、
《そういう関係》になった。

今思えば、なにが原因だったのだろう――。
朝からしとしとと降り続いた雨。
一日中魔物を討伐していたせいで熱を帯びた体。
生憎シングル一部屋しか空いていなかった宿。
凍り付くような夜の冷たい空気。
隣にあったほのかな温もり。

それらすべてが重なって、
必然のような戯れを犯した。
始めは一時の迷いのように思えたのに、
触れるところが深くなるつれて
焦燥と懇願が生まれていった。

時間が経つほど温かさが広がっていく胸の中。
名を呼ばれるたびに煩く喚く心臓。
いつもと違う表情の相方を、
この世界で自分だけが独り占めしている高揚感。
その感情の名前が、わからないほど子供ではない。
この気持ちはいつからここにあったのだろうか。
気が付かないよう無意識に蓋をしていたものが
溢れて、目尻からすっと零れ落ちた。



カーテンから差し込む光を薄ら目で眺めながら、
酷く落ち込む心を宥め続ける。
何もこんな時に気が付く事もないだろう。
身体を重ねてから理解するなんて、
馬鹿のすることに違いない。
ガンガンと痛む体を労わる気持ちはあっても、
愚かな己の心に呆れるばかりだった。

だって相手はあのドランクだ。
何時も飄々していて掴みどころがない。
嘘を付いても悪気はなく、
人を揶揄うのが趣味の男。
そんな男が、たった一人だけを
見続けるわけがない。
都合の良い時にあたしがいただけで、
相手なんて誰でもよかったのだろう。
あの日はそういう状況だった。
ただただ、欲を吐き出す場所を求めて、
その先にはあたししかいなかった。
そのくらい、経験がなく鈍い自分でも
簡単に解る答えだった。

「ねぇスツルム殿」

ぴぃんと張り詰めた空気に、
ドランクの声が響いた。
ふと視線を向ければ、奴は此方に
背を向けたまま声をかけたようだ。
表情が見えないが、声色がいつもより低い。
でも、どんな顔をしているか
頭の中には思い描ける。
時折見せる真剣な眼差しの、
甘さなんて一切ない表情。
その冷ややかな声に、
奥歯を噛みしめながら小さく返事をした。

「………なんだ」
「僕たち……そういう関係、ってことになるのかな?」

此方を一切見ずに、ドランクは
そう問いかけてきた。
淡い期待など一切持たせないその態度に、
胸がぎゅっと締め付けられたような
苦しさを覚える。
曖昧だけれど理解するには
十分すぎるあいつの言葉に、
自分が何と発したのか覚えていない。
ふらつく視界と折れそうな心。
急に不安定になった己を支えるだけで精いっぱい。
そんな己が、恥ずかしくて、苦しかった。

仕事の相方と《そういう》関係になった。
苦い苦い恋の訪れは、氷のような塊が
心の奥に出来上がった始まりだった。

呼吸を繰り返すだけで、口から白い煙が
上がっては一瞬で宙に消えていく。
歩を進める足に、冷気を帯びた風が
纏わり付いてくる。
ふと見上げた空は、どんよりとした
雲で覆われていた。
もしかしたら今夜は雪が降るかもしれない。
ドランクと初めて身体を重ねたあの日みたいに。

あの夜から数カ月、本格的に冬の寒さが
身に染みる季節が到来していた。
関係性に変化が起きても、
あたし達は何も変わっていなかった。
いつも通り仕事をこなし、報酬を得て、
少しだけ休息をしたらまた次の仕事へ行く。
何ともない日常を過ごしている。
いや、あいつからの軽口が少しだけ増えたことと、
宿は同じ部屋にすることが多くなった
気がするけれど、そんな些細な事柄しか
思いつかないくらいだ。

ドランクは案外淡白なようで、
あの夜以降に枕を交わしたことはない。
軽く戯れてから眠りにつく日はあった。
けれど、戯れと言っても唇が
優しく顔に触れるくらいのものだ。
ふわりと当たった唇が、こそばゆくて苦しかった。
そっと触れた指先が、温かくて辛かった。
嬉しいはずなのだ、好いている男に
触れられているのだから。
でも、心の底から喜べないのは、
何度夜を共にしてもそれ以上の快感を
与えて貰えないからだった。

同じベッドで寝ているのに、
あいつから手を出してくることはなかった。
頻繁に求められるのも困るが、
何も起きないのも歯がゆい。
だが、自分から誘うのはどうにも気が引けて、
ただ同じ温もりに包まれて
夢の中に落ちることを繰り返した。
自分の身体に自信があるわけでもないが、
女扱いをされていないもどかしさに、
胸が締め付けられることもあった。
あの夜の熱情は、気まぐれの代物
だったのかもしれない。
そう思わずにはいられなかった。

でも……もしかしたらそういう触れ合いを
ドランクは好まないのかもしれない。
遊んでいそうな男だが、
夜は派手ではないのかもしれない。
普段用もないのに引っ付いてきては騒がしい男が、
夜になると大人しいなんて意外だった。
だけれど、種族の違いから
そういう事もあるのだろう。
そう結論付けて己を慰めるしかなかった。
あいつが笑いかけるたびに、
生温い気持ちが溢れそうになる。
それを抑え込むことにも、だいぶ慣れてきた。
感情を見せないのは元から得意だ。
だから、問題ない。

「スツルム殿~?聞いてる~?」

ぬっと現れたドランクの顔に思わず足を止める。
近すぎる顔に眉を潜めて苦言を呈せば、
我儘を言う子供のような声が返ってくる。

「いきなり覗くな」
「だってぇ~スツルム殿ってば上の空で、全然反応してくれないからさぁ!」

唇を尖らせて拗ねるドランクに、
心臓の血管がきゅっと締まる感覚がした。
ドキリと跳ねた心を、落ち着けるように息を吐く。
普段はペラペラと一人で喋り続けているくせに、
面倒な奴め。

今は山の魔物退治を終えて、帰路の途中。
定期的な降雪のせいで、道の横には
膝の高さくらいの雪の原が広がっており、
景色は代わり映えがない。
飽きるのも仕方がない事だろうが、
あの日のことを思い出していたせいで、
愉快にお喋りと言う気分ではなかった。
そんなこと知る由もないドランクは、
楽しそうに口を開いた。

「今年のクリスマスはどうする~?って話!僕ここ最近ずーっとワクワクしちゃってさぁ」
「…浮かれるような歳じゃないだろ」
「え~!クリスマスは何歳でもウキウキするけどなぁ」

ウキウキとはしゃぐその様子は、
サンタクロースをまだかまだかと待っていた
弟の姿を思い起こさせる。
浮かれた足取りに、滑って転んでも
知らないからなと視線を向けるが、
当の本人には全く伝わっていないようだった。

……そうか、クリスマスか。
例年、ドランクがぎゃあぎゃあと騒ぐから、
聖夜の日には仕事を入れないようにしていた。
通年通り今年もその予定な上に、
今回はいつもより早いが先ほどの魔物退治で
仕事を納めたところだ。
少し早い休暇に心を弾ませるのもわかるが、
正直なところ気が重かった。


……あたしたちの関係が、蕩ける様に甘ければ、
もう少し違っただろう。
電飾で彩られた街中を、寄り添いながら
歩く事だってあったかもしれない。
どうせ誰もかれも自分のことで手いっぱいで、
あたしたちのことなど見ていないのだから、
そのくらいは構わない。
来年まで仕事に追われることもないし、
労う意味で食事も少し高めの店にして───。

…………あたしはいったい何を考えているんだ。
浮かび上がった妄想が唐突に虚しくなって
頭の中から振り払う。
視線を正面に戻すと、前を歩いていた
ドランクがくるっと振り返り足を止める。

「それに、ほら……え~っと……恋人になってから、初めてのクリスマスじゃない?だからちょっと特別っていうか~」

目の前の男は、頬を掻きながら
恥ずかしそうに語る。
数メートル先にいる奴の声はいつもの騒がしさを
少しだけ抑えていたが、はっきりと聞こえた
言葉に一瞬理解が出来なかった。

恋人。聞き間違いでなければそう言っていた。
クラクラとしそうな甘い言葉に、
目の奥がじぃんと熱くなる。
もしかしたら、あたしとドランクのこと
ではないかもしれない。
受け入れたいのに、落胆したくない
天の邪鬼な心を溶かすように、
奴は嬉しそうな声色で話を続けた。

「ちょっと寒いかもしれないけど、どうせならイルミネーションとか見てさ!その後は今年もお疲れ様って意味も込めていい所のレストランで食事とかもいいかな~。スツルム殿が好きそうなお酒を出すお店調べてあるからもし良ければなんだけど…」

入念に練ったであろうプランをぺらぺらと
述べていく様を、ただただ呆然と眺め続けた。
自分に対して言っているのか、
と理解はしたが頭には入ってこない。
情報が過多すぎる。心にも余裕が生まれない。
でも、自分が想像していたものと
似ていた様な気がして、胸の奥から
少しだけ温もりが溢れた。
だが、胸を高鳴らせている場合ではない。
――言わなくてはいけないことがある。

「ねぇどうかな?」
「……あたしたち、付き合ってたのか?」
「………………え?」

震える声で振り絞った言葉が寒空に響き渡った。
二人だけの空間に、静寂が訪れる。
瞬きを何度も繰り返した後、か細い声を上げた
相方は、数歩の距離を一気に戻り、
慌てた声であたしに詰め寄った。

「えっ…えぇ?だっ、だってっ……あの日確認したら『そうだな』って言ったじゃんスツルム殿!」
「てっきり体の関係だけだと思っていた」
「体だけ…!!??」

あたしの言葉にドランクの顔から
一瞬で血の気が引いていくのがわかった。
馬鹿正直に答える必要がなかったのに、
思わず零れた言葉は戻せない。
真っ青な顔で数秒固まったのち、
ふらふらと歩きだしたドランクは
道から外れて脇道に降り積もった
雪の中に足を踏み入れ始める。

「おいっ………」

静止の声は聞こえないようで、
どんどん先を進む相棒を慌てて追いかける。
まだ伝えられていない。あたしも望んでいると。
その関係を渇望していると伝えなくてはいけない。
順序が何もかも滅茶苦茶すぎる。
自分がこんなにも恋愛に対して
不器用だなんて知らなかった。


そんなあたしでも、お前は許してくれるだろうか。

「ドランクっ………話を聞けっ!」

ぐっと服の袖引けば、あいつの身体が
ふらりと揺れる。
バランスを崩した相方は、
背中から雪の上に倒れていく。
袖を握ったままのあたしも、そのまま
覆いかぶさるようにドランクの上に着地した。
すぐそこで、今にも泣きだしそうな
瞳が揺れている。
雪が冷たいせいなのか、
あたしが下敷きにしたせいなのか。

……違う。解ってるくせに誤魔化した。
いつもへらへらしている相棒みたいなことを
考えるなんて自分らしくない。
――そういうのは、お前の役割だろ。

「ドランク」
「……っ…なぁに?」
「好きだ」

自分が告げた端的な告白に、身体中の血液が
沸騰したかのような感覚に襲われる。
言ってしまった。言ってよかった。
けれど反応を見るのが辛い。
さっと顔を伏せ、ドランクの胸に顔を埋めて、
もう一度口にする。

「お前のことが、好きだ」

体を密着させたことによって、跳ね上がる
心臓の音が伝わってしまっても構わなかった。
それよりも、鼻腔を擽る落ち着くこの匂いを、
胸いっぱいに溜めることに注力したかった。

「…………な、なにそれぇ……」

堪能している最中に聞こえた気の抜ける声に
導かれて、もう一度深呼吸をしてから顔を上げた。
目が合ったのは、複雑そうに笑うにやけ顔の男。
その姿に満足して、ゆっくりと体を元に戻す。
状況が呑み込めない様子のドランクは
狼狽えながら此方に質問を返してくる。

「じゃあなんで体だけなんて言い出したの……」
「だって相手がお前だし……」
「僕ほど真っ直ぐで一途な男、早々いないよぉ……っ」
「はぁ?《そういう》関係とか言って濁した奴の台詞か?あの時、あたしのほうを一切見なかっただろ」
「それはっ……ちょっと…気恥ずかしくて……」
「…それに……この数ヵ月何もしてこなかったくせに」
「っ……」

悔しそうに息を飲む姿に、溜飲が下がる。
あたしはあんなに悩んで苦しんだのに、
お前は能天気に恋人気分だったのだろう。
なんて不公平だ。
………別に浮かれたかったわけではないが。
じっと睨み付けていると、ドランクは苦虫を
噛み潰したような顔で数秒悩んだ口を開いた。

「いきなりがっつくのは引かれるかなって思ったら少し気が引けて…。許されるならいくらでもしたいよ?いつ何時でもスツルム殿に触れていたい。でもスツルム殿はベタベタするの好きじゃないだろうし、ちょっとは遠慮すべきかなって。折角気持ちが伝わったのに嫌われたくないもん…」

あぁ、そうだった。
普段はなにも考えてないように見えて、
深く考えすぎな奴だったなお前は。
口にするのが苦手なあたしが相手のせいで、
こんなにも遠回りしたに違いない。
自分に自信がある訳じゃないが、
そんなに大切にするような女じゃないって
わかっていると思っていた。
………あぁこんなこと数分前も考えていたな。
自分を思ってくれていたこいつに対して、
少し位返してやらないといけない気持ちが
沸いてくる。

「……嫌だなんて、言ってないだろ。そういう事も……お前のことも」

言葉を聞く度に段々と明るさの増す顔に、
思わず目線を反らしてしまった。
爛々と光る目が眩しすぎて、
今のあたしには毒過ぎる。
口元を隠すように手を添えると、
ひんやりとした手袋にピクリと身体が強ばった。

「スツルム殿っ…………僕も、」
「…くしゅん!」

唐突にむず痒くなった鼻が、
タイミング悪くドランクの言葉を遮った。
驚いているドランクとあたしの間に、
はらりと雪が割って入る。
視線を上げれば、ちらちらと白い塊が落ちてくる。
その瞬間寒気が身体に戻ってきて
もう一度クシャミが飛び出した。
クスっと笑う声が聞こえたと思ったら、
体を起こしたドランクが背中に手を回してきた。


『帰ろっか』という呟きにこくりと頷いて
答えると、言葉に反して腕の力は強くなる。
そのぬくもりに、胸の奥にあった氷の塊が
ゆっくり解けて、心の中でちゃぷりと揺れる。

それは、冬を超えた心に
    春が訪れたようだった―――。

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