小話29
お月様とドラスツ
※スツルム殿が寝ぼけてぽやぽやしてます。
月がふたつ、夜空に浮かんでいた――。
焚火の薪に、ぱきりとヒビが入る音が聞こえた。
そんなもの些細な音なのに、
今のはなぜが大きく聞こえて、
沈んでいた意識がふっと体に
入ってくる感覚がする。
薄っすら瞼を開くと、暗い夜空に
ふたつの月が浮かんで見えた。
ぼやけた視界に輝く満月。それも二つだ。
この地域は特殊なのか、己の目が悪くなったのか。
手で目を擦ると、次第に視界がはっきりしてくる。そこに存在したのは、星に囲まれた真ん丸の月と、
焚火の番をしている相方の横顔だった。
なんだ、不思議な現象の正体はあいつの瞳か。
月明かりが反射して、キラキラと光る表面が、
やけに眩しく見えただけのようだ。
そう遠くない距離にいるはずなのに、
やけに遠く感じるのはどうしてだろう…。
判明したとたんに気が抜けて、
大きな欠伸が一つ漏れた。
くっと体を伸ばすと、背後の岩に背中が
当たって少しだけ痛い。
あぁ、そういえば今日は野宿だったな。
月がよく見えるわけだ。
月明かりに照らされるドランクを眺めていたら
タイミングよくなびいた風が、
ふわりと毛布を巻き上げた。
思わず小さな声を漏らすと、
あたしが起きたことに気が付いたドランクが、
此方を向いて小さな声で問いかけた。
「ごめん、もしかして起こしちゃった?」
申し訳なさそうなその声に、
お前のせいじゃない、と首を横に振って答えると、
ドランクは安心したように緊張を緩めた。
そのまま立ち上がりこちらに近寄る様子を、
虚ろな目で。
次第に靄がかかったように歪む視界に、
綺麗な月がまた映る。
……いや、月じゃない、ドランクの瞳だ。
わかっているはずなのに、
何故か頭は錯覚を起こす。
多分、夢の中に落ちかけているのだろう。
自分のことなのに、どこか他人事に思う己がいた。
「交代までまだ時間あるから、寝てて大丈夫だよスツルム殿」
こくりこくりと揺れる頭に、
今度はドランクの声が降ってきた。
その言葉に安心をしつつ、
目の前の満月を見つめ続けた。
先程よりも影を纏った黄色い月。
雲に隠れてしまったのか?
こんなに近くにあるなんて、
天に登ったような気持ちだ。
手を伸ばしたら届きそうで、
思わず動いた両手がぎゅっと抱き込んだ。
胸に抱いたそれは温かい、
それに柔らかい毛並みが手に馴染む。
思ったよりも、大きいんだな……。
しかし月とは温かかったのか。
それに獣みたいに耳が生えている。
月には兎がいるなんて噂を聞いたことがあるが、
このせいなのか?
先人たちはこれを見てそう思ったのかもしれない。
騎空艇でも到底辿り着くことが出来ない遠い存在。
其れに今触れている。
まるで夢でも見ているようだ。
いや、これは夢なのだろう。
夢の中なら、あり得ないことでも実現する。
だからそのまま温かさに縋るように
己の胸に押し付けた。
ふわりと飛んでいきそうな意識に、
ドランクがあたしの名を呼ぶ声が混ざる。
何だうるさい…さっき寝てていいといっただろう。
気持ちが良いからこのまま寝かせろ。
時間になったらお前にも
この温かさを共有してやる。
いや、これはあたしの夢だから無理な話か?
諦めろと呟けば、ピタリと静寂が訪れた。
燃える焚き火と木の葉の揺れる音を子守唄に、
あたしは夢へと落ちていった──。
……………
…………
………
ふっと浮かび上がった意識に目を覚ます。
気がつけば、辺りは朝靄がうっすらと広がって
涼しい澄んだ空気が漂っていた。
身体を伸ばすように腕を伸ばすと、
背後の岩に背中が当たって少しだけ痛い。
………この痛み、身に覚えがあるような
気がするが思い出せない。
おはよう、と短い朝の挨拶が聞こえて、
視線を向けると疲れた様子のドランクが
破棄のない笑みを浮かべていた。
そういえば、昨日の夜は火の番をした記憶がない。
『起こさなかったのか?』と尋ねれば、
苦虫を嚙み潰したような表情をして
『色々あって』と返される。
それならなおのこと声をかけるべきだろう
という言葉は、口に出さずに飲み込んだ。
気がつくことなくゆっくりと眠った己が
言う立場にはないだろう。
「昨日のさ………」
「昨日?」
「あー………いや、なんでもない」
雑に誤魔化したドランクの、
頬が赤いのは朝日のせいなのだろうか。
その答えを思い出すのは、
あの満月にまた出会う時までお預けとなった──。
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