Once upon a time

全空の覇者14 発行

◇A5/82P/2段組 500円


《 内容 》

――このお話は ひとりのエルーンとひとりのドラフ

  合わせてふたりの傭兵の いつかの旅の記憶です――


ドラスツの二人がまったり旅した1年間のお話。

ドラ→→(←)スツでまだくっついていない二人。

12の小話を詰め込んでます。(一月につき1話って感じです)

奇数月はスツルム殿目線、偶数月はドランク目線で進行してます。

サンプルは1月と2月です。

※ゲーム内イベント『スツルム&ドランク 傭兵お仕事帖』よりも前に作成しておりますので、公式様の設定と違います。

※掲載にあたって、横書き用に段落修正してます※

通販はこちら↓




凍てつくような寒さの中、震える日――――。

無防備に晒されている手に向けて吐いた息は、白くなって消えていく。

歩を進めている足は、段々と重さが増しているような錯覚を起こす。

重たいのに、少しでも気を抜けば転んでしまいそうだ。

動きたくない、何もしたくない。そんな感情を抱きながら体を震わせた。

今夜は雪が降るかもしれない。冷え込みに耐えるように首元のマフラーを引き寄せる。

身に纏っているマントもできるだけ引き寄せ、風を避けてはみたが、体の温度は上がる気配がない。

そのせいもあり沈んでいく自身の気持ちとは裏腹に、隣にいる相方は随分と楽しそうだった。

ただ宿屋に向かっているだけだというのに、何がそんな気分にさせるのか。

浮足立つという言葉がよく似合うような状態で、

何かを喋り続けているが、寒くて耳を傾ける余裕は今のあたしにない。

いつもならすぐ弱音を吐きながら有無を言わさず引っ付いてくるくせに、今日はそんな様子は見られない。

普段から鬱陶しいという感想を抱いているから別に構わないのだが、珍しさから頭に一つの疑問が浮かんだ。

『この後、何かあるのだろうか』

考えはしてもその質問を決して口に出そうとは思わなかった。聞いたら絶対に煩いだろう。

わざとらしく語尾を上げながら「気になります~?」とか言って

うざったく返してくる様子が目に浮かぶのだから仕方がない。

いつも自分からこいつに対して興味を示さないのが原因だとはわかってはいるが、そんなのあたしの勝手だろう。

それに理由なんてどうせ好みの女を見つけたとかそんなところじゃないだろうか。

……だからあたしには関係ない。

そういえば、宿屋の娘は若いエルーンだったということを、なぜか無駄に思い出してしまった。

……やっぱりあたしには関係ない。

「スツルム殿聞いてる?」

「……聞いてない」

「も~そんな自信満々に言わないで!あのね、僕ちょっと先に行ってるから!」

「は?」

「スツルム殿はゆっくりで大丈夫だよ~」

ドランクはそれだけ伝えて、あたしの返事も聞かず足早に人込みへと消えて行った。

あっという間に見えなくなる背中を、追いかけられず、ただただ見送る。

その様子に今までの事が自分の中ですとんっと腑に落ちた。

―――そうかあたしは邪魔者か。

部屋の予約をしている時、あいつはどこか楽しそうにあの娘と話し込んでいた。

宿の外で待っていたあたしには、何を話していたかわからないが、

ただの予約にもかかわらずやけに時間がかかっていたのだ。

ということは、きっとそれが答えなのだろう。

いっそ宿へ行かずにこのままどこかで飯でも食いながら暖を取ろうか。

思い浮かんだ案は、考えてみたがどうにも気が進まない。

胸の中のモヤモヤを抑え込むように、先程よりもぎゅっとマントを引き寄せながら、宿への道をまた歩きはじめた。

街中を行く人々もあたしも、自分の目的の為にせわしなく動いている。

すれ違いざまに体がぶつかっても、見てみぬふりをされ立ち去っていく。

それを止める気にもならず、あたしもまた歩いて行く。

辿り着いた先になにがあるとも知らずに、ただただ歩くことだけを続けていくしかなかった。

宿の扉を開けると先程頭に浮かべていた娘が、にこやかな笑顔を此方に向けていた。

受付に立つその様は、看板娘という言葉がよく似合う。

人当たりの良い笑みで長旅をしてきた客達を癒してきたのだろう。

カウンターに近づくと「おかえりなさい」という出迎えと共に部屋の鍵を一つ差し出された。

「お連れ様は既にお部屋へ向かわれてますよ」

「……知っている」

どこか嬉しそうにそう告げる彼女に、何とも可愛げのないぶっきらぼうな返答を向ける。

あいつとは数刻前まで一緒にいたのだ、それくらい知っている。

そんな客の態度には慣れっこなのだろうか、動じずに彼女は案内を続けた。

「二階の一番右奥が宿泊のお部屋になります。お荷物などお持ち致しますか?」

「構わなくて大丈夫だ」

「畏まりました。ごゆっくりなさってくださいね」

自分自身でも感じるほど刺々しい返答に臆することなく、笑みを絶やさない彼女にこちらの調子が狂ってきそうだ。

軽やかに手を振られ、足早に階段を上っていき、指定された部屋へと向かった。

人のいない廊下は先程の寒空のように冷たく、ふと窓を見るとちらちらと雪が舞っていた。

やはりこれからもっと冷え込みそうだ。今夜は早々に寝床に入ってしまおう。

どうせ一人部屋だろう、好きに過ごして構わないはずだ。

数があまりないせいもあり、該当の部屋にはすぐに辿り着いた。

扉の前に立ち鍵を回しても音がしない。

首を傾げながらドアノブを回して押してみると、普通に扉が開いた。

驚いていると、隙間からほのかに暖かい空気が漏れてきて、そのままゆっくりと扉を押し開けていく。

隙間からそっと覗き込んでみれば、既に電気は点っていて人の気配がする。

思い当たる人物など一人しかいない。

どうやらシングルだと思い込んでいたこの部屋は、ダブルだったらしい。

そのまま歩みを進めると、先程まで隣にいた奴がそこにはいた。

「あれ、意外と早かったね!」

「ドランク……」

「えっなに?どうかしたスツルム殿?」

「……二人部屋だったのか」

「そうだけど……もしかしてシングルの方がよかった?」

「いや……ただ単に今日は一人部屋だと思っていただけだ。気にするな」

出迎えてきたドランクは、バタバタと部屋の端でなにやら作業をしている最中だった。

無造作にベッド放り投げられているマントからも、その慌ただしさが伝わってくる。

そこでやっと、こいつが嬉しそうにしていた原因が、彼女ではなくこの目の前の《物体》だということを理解する。

その事実に、なんだか羞恥心が込み上げてしまい、それ以上は何も言えなくなってしまった。

そんなあたしへドランクは不思議そうな目を向けつつも、それ以上追求してはこない。

それよりも目の前にある《そいつ》に興味津々のようで、鼻歌交じりに作業を再開した。

部屋の片方にはベッド、反対側には謎の布を被った《なにか》が鎮座しているスペースがある。

物体のその上には一枚の板が引かれていて、なぜか籠に入ったミカンが当然と言わんばかりに置かれていた。

一体なんだこれはと視線を向けていると、あいつは嬉しそうな笑みを浮かべ口を開いた。

「スツルム殿もしかしてご存じない?これ《おこた》だよ~」

「お、こた?」

「前に聞いたことあって使ってみたかったんだ!こんなところで会えると思わなかったな~」

名前を聞いてもピンとこず、《それ》がなんなのかわからなかった。

もう少し詳細な説明は出来ないのか、お前は。

とりあえず身軽になろうとマントをハンガーに掛けてから一角に近づく。

段差で区切られているスペースの縁には、ドランクのブーツが行儀良く鎮座していた。

どうやら土足厳禁らしい。面倒だが腰掛けて脱ぎ、藁で出来た床に乗り上がる。

恐る恐る近づくとドランクが毛布の一部を捲って、そこに入るように促してきた。

正体がわからない物体に対して、少しの警戒心を持ちながらそっと足を差し込むと、暖かい空気が纏わり付いた。

足先からじわじわと温もりが伝ってくる。これは、暖房器具か。

体にかかる厚手の毛布は柔らかく、肌触りが良い。

温められていく足とは反対に、上半身はまだ冷たいままだ。きっと埋めたらこの温かさに包まれることだろう。

そのまま衝動に駆られそうになるが、そんなことドランクの前ですると馬鹿にされそうで憚られる。

せめて悴んでいる手だけでも温めようと中に入れると、じんじんとしていた指先に感触が戻ってきた。

「……あったかいな」

「でしょでしょ~?」

目を細めてリラックスしてしまっているあたしを見て、隣からクスクスという笑い声が聞こえてきた。

先程までは気にしていたことだというのに、そんな煩わしさも今は気にならない。

それよりもこのぬくもりに身を任せていたい。なんとも落ち着く物体だ。

ドランクが出会いたいと思っていた気持ちがわかる気がする。

「じゃあ僕も失礼しま~す」

隣のスペースに潜り込んだドランクは、安心したと言わんばかりの声をあげて息を吐いていた。

その様子はだらしないが、今日の所は《こいつ》に免じて見逃してやろう。

それに自分の状態も人のことは言えないだろう。

今のあたしは傭兵らしからぬ状態で無防備にリラックスしているのだから。

「そういえばまだ言ってなかったけど~。この前の案件さ、長期だったこともあって報酬結構弾んでたんだよね」

ドランクがそう言ってどこからともなく取り出した麻袋は、布いっぱいに膨らんでいる。

じっと見つめていると封が開けられ、じゃらりじゃらりと音を立ててコインが出てきた。

あっという間に出来上がった山は、確かにいつもより一回り程大きい。

これなら先の生活の不安はないだろうと安心できる額だった。

少し骨の折れる仕事だったから当然と言えば当然だが、それにしても色をつけてくれたように感じる量だ。

「でさ、暫くはゆっくりしても良いんじゃないかな~って」

「ゆっくり?」

「ちょっと遊んだり?とか?」

「金はあるに越したことない。それに腕が鈍るのはごめんだ」

「程々にお仕事、多めにお休みってどうかな?ゆっくりするっていうことも人生には必要じゃない?

スツルム殿と一回行ってみたい場所とかもあってさ~。だからそういう年にしてもみない?

あんまり行ったことない土地だと地形とか不明すぎて依頼を受けにくかったりするし」

「まぁ、そういう理由で断った依頼もあったな」

「二人で色々巡って顔を広めていくのも大事だと思うんだよね~……ね、ね、どうかな?」

「…………別にいいぞ」

すらすらと語られていくドランクの話を聞いて、《悪くはない》というのが自分の中から出た結論だった。

もう少し熟考してもいいのだが、それ以上の返答は出せなかった。

普段の自分だったら一蹴していただろう。

いつ仕事がなくなるかもわからないのにそんなことでいいのか、と問いただしていただろう。

でも、今のあたしはどうやらこの温もりの魔物にほだされている様だ。

それが、悪くないなと思ってしまったのだから。

それに、先の依頼は途中でアクシデントも多く、苦労したこともあって体が休息を求めていた。

だったら、こいつの提案に乗ってみてやってもいい。

のんびりだなんて傭兵には合わないが、自分たちを売りに行くことは悪いことではないだろう。

だから口から出た言葉は了承の一言だった。

「じゃあ決まり!楽しい年にしようね、スツルム殿!」

「気を抜きすぎるなよ」

「わかってるって~。あとで行きたいところリストアップしておくね」

決定したばかりだというのに、既に準備を進めていた様子が見て取れるドランクに少し呆れながらも、

こいつの計画にまんまと乗ってしまったあたしに否定する権利なんてなかった。

騎空士が風に身を任せるように、あたしが今この温かさに身を任せているように、

今年はドランクの計画に身を任せるしかないだろう。

こうしてあたし達の生温かい一年が幕を開けた―――。



朝目覚めて一番初めに目にしたものは絶望だった。

ただの紙切れ一枚が、こんなにも心に刺さる代物になるなんて、その時の僕は初めて思い知った。

震える手でベッドサイドに置かれた《それ》を握る。

自分に引き寄せてもう一度良く見たところで、文章は変わるはずがないのに見間違いであれと願うばかりだった。

そんな願望は叶うはずもなく、僕は膝から力なく崩れ落ちる。

どこから計画にひびが入ったのか。どうしてこうなったのか。

計画にミスなど無いと思っていたのに、なにがいけなかったのか。

何度考えても答えは見つからないまま、僕は先月の出来事を思い出していた。

長期の案件を終えたある日、僕は一つの提案をした。

『今年はゆっくり過ごす年にしたい』

それは言葉通りの意味で、今思えばそれを閃いた時の僕は少しだけ疲れていた。

スツルム殿と一緒にこなしていくこの仕事は嫌いじゃないけれど、人生には休息も必要だ。

別に傭兵業を一切断ろうという話じゃない。

ただ、スツルム殿と色んな所に行って、思い出とかそういうものを作りたいなと、ふと考えてしまったのだ。

幸いにも先の仕事でいつもより多めの報酬を受け取っている。

だから、言い出すなら今しかないと結論づけて、半ば諦め気味の中、提案をした。

あまりきちんとした計画を練れていないという理由もあって、多分却下されるだろうと踏んでいたが、

予想に反して彼女から返ってきたのは承諾の言葉だった。

その時のスツルム殿も、もしかしたら疲れていたのかもしれないなって今では思う。

しかも別々に行動するのではなく、二人一緒に過ごせることに許しを得れた事が、何よりも嬉しかった。

決まった後の僕は一刻も早く行動に移すため、寝る間を惜しんでプランを作成する。

時が過ぎるのは思っている以上に速い。

一年といっても、既に年が明けてから三週間以上経過している。

実質丸々一年なんて残っていないし、そうなると一日一日が大事だ。

だから早めに、ある程度の目的地を絞り込んで考えて行動しなくてはいけない。

まず、いつ頃の時期にどの島にいるかを計算する。

花の見所だとか各所の催し物だとか考慮しなくては台無しになってしまうだろうと見込んでのことだ。

勿論僕だけの意見じゃなくてスツルム殿の意見も交えながら決めるけれど、

彼女はイベント事とかそういうことには興味がそこまで強くない、所謂疎い人だ。

だから僕は提案する事をとりあえずまとめて、都度スツルム殿にお伺いを立てていく方向に持っていく事にした。

でも、一番初めに行くところは決めていた。

とりあえず時間が勿体無いし最初の目的地は僕が決めていいよね?

なんて言っておけば、スツルム殿も素直に了承してくれる。

こういう時の彼女の単純さはありがたい。まぁ、変に勘がいいところもあるけどね。

こうして始まった楽しい一年になるであろうという期待は、今日の出来事のせいで一瞬にして暗雲が立ちこめる。

この手元に残ったスツルム殿からのメモのせいで。

『少し出てくる』

スツルム殿の字は、性格同様スタイリッシュで綺麗な筆跡をしている。

すらすらと書かれたであろう文字の破壊力は凄まじい。

たかが紙切れ一枚に何を……と思うかもしれないが、実際に心に重傷を負っている僕が言うのだから間違いない。

そんな僕の、率直な心境を打ち明けよう。

少しって何!曖昧すぎるでしょ!

スツルム殿の少しって僕にとっては少しじゃないことも多いんだけど!

それに出てくるって行き先位は書いても良くない?

置いて行かれる僕の身にもなってよ!

と、正直な気持ちを叫びたくなるが、心の中で押さえ込む。

この部屋には今僕一人だけしかいないから、実行に移しても

問題は無いだろうが、ご近所さんのご迷惑になる自覚があった。

手に握られたメモは既に綺麗な四角を描けなくなっていることから、色々と察して欲しい。

いやでも、こうなることはある程度予測していたことだった。

一緒に楽しく過ごそうと言っても、流石に毎日四六時中共に行動するというのは無理だろう。

だから途中で一人きりになりたいと言われるのは想定済みだった。

でも、それがなにも今日でなくてもいいだろう。

さっきも言ったが僕は一番初めに行く島を決めていたのだ。

だって今日は二月十四日。俗に言うバレンタインデーだ。

察しが悪い人でも流石に気がつくであろう日。

しかも毎年嫌な顔をされるほどスツルム殿の隣で騒いできた。

だから今日は一緒に過ごしたかったし、それに行きたいお店があったのだ。

前に依頼人から差し入れで貰ったマドレーヌが美味しかったお店だ。

たまたまそこまで遠くない位置にいたし、ケーキも美味しくて併設されてるお店の中で頂けると聞いていて、

そのお店なら嫌とは言われないだろうと勝手に成功を確信していた。

残念ながら結果は失敗なのだが。

敗因と言えば、今年は色々と計画を練るのに夢中で、僕から催促とかはしなかったということだろうか。

でも、だからって忘れ去られるなんて思わないだろう。

だってバレンタインだよ?いくらスツルム殿でも覚えてるって思うでしょ。

そう結論づけると、その先には常日頃からわかっていた悲しい現実が

色濃くなっただけなので、どの道僕が傷つく未来しかない。

率直に言うと、僕はスツルム殿が好きだ。

異性として、一人の人間として、好きだ。

少しずつアプローチはしてきたけれど、伝わっていないということは嫌というほどに理解している。

だからやっぱり気が付いていないのは僕の気持ちだけなのだ。そう考えるほか無かった。

スツルム殿は鈍感なのだ。

自分に向けられた感情なんてものは殺気しか感じない。しかも自己評価が低い。

いや剣術に関しては当たらないが、それ以外の事に対して自分に価値がないと思いこみすぎな節がある。

だから自身が誰かの恋愛対象になっているなんて、これっぽっちも考えていないんじゃないだろうか。

だがしかし、僕の気持ちに気がついていないということは、他の人からの感情にも鈍いということだ。

そこだけは救いだと思う。

それでも、もしかしたら今もどこか一人で歩いている所を他の奴に声を掛けられているかもしれない。

警戒心の高い彼女の事だからついて行くことはないとしても、そういうことが

起こってしまっている可能性が、自分の胸にモヤモヤを募らせていく。

自分の恋人ではないのに、やきもきしてしまう己が幼すぎるということは分かっている。

でも十分魅力的な女性だということを、もう少し自覚してほしい。

僕が焦る気持ちを、もっとわかってほしい。

スツルム殿が出掛けてからどのくらいの時間が経ってしまったのだろう。

起きた時点で時計の針は十一時を示していた。

《少し》とは書いてあったけど、スツルム殿は早起きさんだから

もしかしたら八時くらいには出発しまっているかもしれない。

そうすると、三時間は一人きりだ。……やっぱり少しじゃない。

というか、出発した時間がそもそもわからないと何とも言えないのだけれど、

そんなこと知ったところで今更どうにもならない。自分の無力さに悲しさを感じながら、僕はベッドに倒れこんだ。

「スツルム殿……」

力ない僕の声が、虚空に響く。

色々な気持ちを埋めるように、枕へ顔を預けた。

この胸にぽっかりと穴が空いているような空間は、僕の気持ちの大きさみたいだ。

この隙間をどうやって埋めれば良いのか。いや、埋められるのは彼女だけだ。

いっそ探しに行った方がいいのだろうか。でもすれ違いになってしまったら?それこそ意味が無い。

でもでもだってを繰り返しても答えは見つからない。

だから、せめてこれ以上広がらないように、何度も何度もスツルム殿の名前を呟いてしまって止まらなくなっていた。

「ドランク?」

唐突に耳に入った声に驚いて、上半身をベッドから引き離す。

幻聴かと思い声がした方を見やると、そこにはいつも通りのスツルム殿が立っていた。

予想外に早い再会に、嬉しすぎて興奮してしまった僕は、ご主人を待っていた犬の如く、勢いをつけて飛び込んでいた。

「スツルム殿!おかえりなさい!!」

「な、なんなんだ、鬱陶しい!くっつくな!」

「だってだって~スツルム殿が勝手に出掛けるからぁ~」

「はぁ?ちゃんと書き置きしただろう」

「そうだけどさ、せめて声かけてくれたっていいじゃん!……ってそれ」

スツルム殿が返ってきたことが嬉しくて全く意識していなかったが、

手に提げている箱に気がついて、僕の目はそちらに釘付けになった。

傍から見たらなんの特別感がない、ただのケーキの箱だろうが、

僕の目を通すとキラキラと宝物のように輝いて見える。

箱の側面に書かれている文字が、今日まさに二人で行こうと思っていた店のものだったからだ。

慌てて飛びつくのをやめると、スツルム殿はため息を一つついて、テーブルに箱を置いた。

「前に依頼人から貰った焼き菓子があっただろ。散歩してたらそこの店を見つけたから買ってきた」

「えっ、スツルム殿、お店の名前覚えてたの?」

「お前あたしのことなんだと……美味かったしお前がやたらと騒いでいたから頭に残ってた」

なんという偶然だろうか。今日ばっかりは神様は本当にいると信じざるを得ない。

その奇跡に感謝して、僕はスツルム殿に事実を伝えていく。

「僕ね、今日そこに行かない?って誘う予定だったんだ。

だから行先はこの島にしてて……隣に喫茶店があったでしょ?」

「あぁ…………凄い混んでたから諦めろ」

「ん~そりゃ混んでるよね」

「そんなに有名な店だったのか?まぁケーキなら買ってきたから別にいいだろ」

「えっ……」

「?」

思い出すように視線を宙に向けたスツルム殿は、バッサリと僕の希望を打ち砕く。

しかしながらそんなことはわかりきっていて、当たり前の指摘を入れるしかなかった。

それに対して明らかに理解していない顔をしている彼女に、僕は石のように固まって何も言えなくなってしまう。

もしかして、本当に忘れていたのだろうか。その可能性が濃厚なことに、嘘でしょ……と脱力する。

でも、それはそれで彼女らしいといえばそれまでだ。

チョコレートが並んでいようが、

女の子達がわかりやすく品定めしていようが、

カップルが堂々と店内でくっつきながらケーキを食べ合っていようが、

目的の事しか頭にないし、気にしないのがスツルム殿だ。

行列だって、二人で並んでいたらあっという間に感じることもわかっていないんだろう。

でもそれでいいのだ。

鈍感で、僕の気持ちになんて全く気が付いていない。

そんなところがスツルム殿らしくて、そういうところも好きなのだ。

それに僕の言ったことを覚えていてくれたことが嬉しかった。

それ以上に《僕と食べようと思って買ってきてくれたケーキ》があるという事実が

、先程までの感情を吹き飛ばしてくれる。

あぁ、この上ない幸せだ。

未だに疑問符を頭に浮かべているスツルム殿に、これ以上思い出させるきっかけを作るのも

野暮だと、僕は話を変える為に一つ問いかけた。

「散歩に行くなら起こしてくれても良かったのに」

「ちょっとしたら戻ってくる予定だったから良いかと思って……

それに、お前最近やたらと寝るのが遅かっただろ」

「あーうん、ちょっと色々考えててさ」

「……だから声をかけるのは憚られたんだ。遅くなったことは謝るが」

少し恥ずかしそうに俯いた彼女に、積み重なっていく気遣いに、なんとも言えない感情が溢れ出しそうだった。

ぐっと堪えて自分の胸に押し込めると、さっきまで穴が空いていた心は、

窮屈だと言わんばかりに締め上げられている。

一呼吸置いてからスツルム殿に気負わせないようにと、僕はいつも通りの調子でお礼を言った。

「僕の方こそ気を使わせちゃってごめんね?

それにさっき起きたばっかりだから時間経ってるとかそんなに感じてないし!

そんなことよりもスツルム殿が買ってきてくれたケーキ楽しみだな~!何買ってきてくれたの?」

僕の言葉を聞いて、彼女は慣れない手つきで箱の扉を開いていく。

覗いてみると、中に入っていたのは全て違う色を纏っている宝石みたいなケーキ達。

苺がちょこんと乗っかっているショートケーキに、

オレンジの果実が均等に列を成しているタルト、

先端に向かって綺麗なグラデーションを描いているチーズケーキ、

それにチョコレートが均等に綺麗にかかったザッハトルテの四種類だった。

「いっぱいあって悩んじゃうね~スツルム殿はどれにする?」

「お前が選んだやつ以外」

「え~そう言われると益々悩んじゃうな~」

ついデレデレと口元が緩んでしまうのは仕方ない事だろう。

しかも先に選ばせてくれるという優しさもその要因の一つだ。

いつもは僕が譲ることも多いけれど、今日は選んで良いとのお達しだ。

勿論食べたい品は決まっているのだけれど、もう少しだけ悩むふりをしていたかった。

すぐに決めてしまってこのひと時を壊してしまいたくなかった。

それに決まっているのは一種類だけだから悩んでいるというのも嘘ではない。

そこまで考えて、スツルム殿がさっき言った言葉に違和感を覚えた。

『以外』ってなんだろう?

言葉選びとしては間違ってはいないように感じるが、どこか引っかかる言い回しだ。

考え始めて数秒、僕は一つの可能性を導き出してしまった。

「……ちょっと待って、もしかして……僕一つだけ?半分こじゃないの?四つもあるのに?」

「そう言っただろ。あとそのチョコのやつはあたしが食べる」

「言ってないよ!しかも選択肢すら失くしてくの!?待って待って僕もそれが良い~!」

「他のにしろ」

「一つで良いからそれを食べさせてください!お願いします!スツルム殿に一口あげるからさ~」

僕の意見を無視して目的のものを掻っ攫っていこうとするスツルム殿を必死に止める。

だってそれだけは譲れないだろう。その四択なら確実にザッハトルテしかないだろう。

チョコレートが使われているのはこれだけだ。そこだけは守り抜かなければいけない。

僕の必死さに根負けしたスツルム殿は、呆れながらも希望のケーキを譲ってくれた。

「そんなにこいつが好きだったのか」なんて見当違いなことを言っていたけれど訂正するのも面倒だ。

いつの日か想いを伝えるその日まで、とっておいてもいいだろう。

今日という日をスツルム殿が覚えていてくれるかはわからないが、僕は絶対に忘れない。

白いお皿にそっと乗っけて、フォークで先端を切り取り、一口ぱくりと含む。

舌の上に濃厚なチョコレートが広がって、微かなオレンジの香りが喉を伝う。

ゆっくりゆっくりと味わってから飲み込むと、さっき埋まってしまった心がまた締め付けられる様な錯覚がした。

美味しい。

シンプルな見た目ながら深みがある。ゆっくりと味わいたくなるそんなケーキだ。

甘いものはを食べてきたけれど、きっとこのケーキは僕の人生で一番美味なスイーツだ。

天にも昇る気分って言うのはこういう時に使うのだろう。

補正がかかっているのは否定しないが、それでも涙が出そうなど、美味しいのだ。

その甘さを噛みしめながら、僕の今年のバレンタインは幸せなひと時で終わりを告げた。

今年の旅はまだ始まったばかりだ。

これからどんな思い出をスツルム殿と紡いでいくのか、期待に胸を膨らませながら僕はケーキを食べ続ける。

……バレンタインを忘れているスツルム殿に、教えなければならない事を忘れて。



≪サンプルはここまでです≫

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