タルトレットとティータイム

全空の覇者14 発行

◇A5/54P/2段組 500円

《 収録内容 》

載せている小話の中から3つ加筆修正したお話と書きおろし3つの計6話収録した短編集

※小話からの再録は修正の関係で台詞などが既に載せているものと

  変わっている箇所があります。話の流れは特に変わってません。

1… トラブルと雨(Twitter再録)

2… 色々重いドランクくん(小話再録)

3… 一線超えちゃった朝(小話再録)

4… 手が出せない話(小話再録)

5… コンビ解散と二人(書下ろし)

6… 未来と二人(書下ろし)

上記にプラスして友人がイラストと漫画でゲスト参加してくれました。

※ゲーム内イベント『スツルム&ドランク 傭兵お仕事帖』よりも前に作成しておりますので、公式様の設定と違います。

※載せるにあたって、横書き用に段落修正をしています※

本自体は作成しておりますが、こちらは全てPixivに掲載したということもあり通販予定はございません。

もしお求めの方がいらっしゃいましたら、イベントにて直接購入頂けますと幸いです。


― 1 ―

――運の巡りが悪い日は、どうも全てがうまくいかない。

そう思ってしまうのは、色々なことが重なってしまうとしょうがないことだろう。

剣の調子を整えながら、今日の事を振り返り、重たい溜息を一つついた。

今日という日よりも前から、前兆があったのかもしれない。

今日一日の始まりは、先日請け負った仕事の支払いを滞らせている依頼人の襲撃から始まった。

襲撃というと聞こえが悪いが、金を払わないやつに気を遣う義理はない。

早々に片を付けて次の仕事に向かったはいいが、道中の山で賊に目をつけられて喧嘩を売られた。

こういう輩にも素直に従ってやる道理もない。どいつもこいつも迷惑な奴らだ。

機嫌が良くないあたしは、勿論返り討ちにし先を急ぐが、

数分後には急な雷雨に遭遇して足止めをくらう羽目になる。

途中で見つけた洞穴は今日一番の幸運だった。

身を隠し落ち着くのを待ったが、その頃には辺りは薄暗く陰っていた。

結果として、山を下りることを諦めて今日は野宿だ。

仕事柄、野宿自体は慣れていることだから構わない。

だが、今日ばかりは色々なことが重なりすぎて、体に疲労が蓄積していた。

出来れば宿屋のベッドで休みたいところだった。

雨でぬかるんだ道を走ったせいで、若干服が汚れたことも腹立たしい。

途中のトラブルがなければ、こんなことはなかっただろう。

普段は気にならないようなことにまでイラつきを覚える様に、自身の疲れ具合が見て取れる。

しかしながら、今の状況では野宿を選ばなければいけないと、頭では解っているのだ。

暗い中、足元が覚束ない状況で山を下りるのは危険だ。

だから仕方のない事だと理解はしている。

だが、どうも物事がうまく進まないせいで、自分の中の苛立ちはそう簡単には消えない。

この感情が、傍らで楽しそうに飯を作っている相方を見て、ヒートアップしていたからだ。

野宿をする際の割り振りは、火おこしがあたし、食事はドランクの担当だ。

一度、あたしがただ切って焼いただけの肉を出したら、今度から自分がやると向こうから言い出した。

腹が満たせればなんでもいい。が、自分に面倒がないのなら、

美味いに越したことは無い。それ以降は全部任せている状態だ。

今日は野宿を決めてから火が落ちるまで十分な時間が確保できていない。

だからしっかりとした食事にはありつけなさそうだ。

元々野宿の時は、簡素なものになってしまうから期待はしてないが、

こういう日ほど肉が食いたい衝動に駆られる。

出来る事なら狩りをして、小動物を仕留め腹に収めるのが理想だったが、状況的に我儘は言っていられない。

考えれば考えるほどさっさと食って寝てしまいたいと思ったが、肝心の料理が終わらないのだ。

『折角の野宿なのだから』などと意味不明なことを言いつつ、

ドランクが調理をはじめてから、かれこれ一時間程経過していた。

何をそんなに時間をかけているのかと遠目に眺めつつ、

口を出しても無駄だと諦めて、剣の手入れで時間を潰して待ち続ける。

鼻歌を歌いながら小さな鍋をくるくると何度もかき回している様子に、また一つため息をついた。

鍋なんていつの間に買ったのか……。

また無駄遣いをして……。

そんな悪態は、いい匂いが漂ってきたことで飲み込んだ。

「スツルム殿ご飯出来たよ~おいで~」

手招きと呼び方にムカつきを増しながら側に寄ると、差し出された器から立ち上る湯気に腹がなる。

中を覗くと注がれているスープから予想外の食材が顔を覗かせていて、怒りがどこかへ飛んでしまった。

「……これ、肉か?」

「あっ気がついた?実はさっきの町で買ってさ~」

僕ってタイミングばっちりだよね!なんて自画自賛しながら

ご機嫌な様子を見て、思わず疑いの眼差しを向ける。

こいつ……もしかしてこうなることを多少は予測していたではないか?

賊が出る噂を聞いていたとか、やたら他の奴と交流を持ちたがるドランクならありえなくない。

気が付いてしまった事柄のせいで自分の中で疑惑が膨らんでいく。

その目線に気がついたのか、あたしが何を考えているか

一瞬で理解したと思われるドランクは、べらべらと言い訳を始めた。

「待って待ってスツルム殿。賊はまだしも、急な天候の変化は流石の僕でも予測できないよ!

あとね、これを持ってたのは話すと長ーくなっちゃうんだけどさ~。

野宿の時って大体急だから食事が味気なくなっちゃうじゃない?

調味料とか持ち歩いて色々試してはいるけど、食材はその場次第になるのが

どうにかならないかな~と思ってさ。どうせならこだわりたいし~?

だったら自分で保存食とか作ってみようかなって

さっきの町でおすすめされた奴をお試しで買ったから持ってただけで……。

あっもちろん野宿の必要がないことも多いし、その時はスツルム殿のおやつに

してもらおうって考えていたから……って聞いてます?スツルム殿」

「聞いてない」

ドランクがだらだらと御託を並べているのを、ほぼ右から左に流してあたしは先に食事を始めていた。

途中までは聞いていたが、食事が味気ない……とか言い始めた辺りから、

同様の事を常々思っていた身ではあったが面倒になった。そんなことより、今は空腹を満たす方が先だ。

一口大に切られた食材と少しとろみがかかっている温かいスープは

、喉を通って体へとその温もりを広げていく。

自分では気が付かなかったが、思ったよりも体が冷えていた様だ。

もう一口、もう一口と次々と運んでいくと、その様子を穏やかな表情で眺められていることに気が付いた。

なんだその顔は……と訝しげに睨んで、さっさと食えと指示を出せば、ドランクも満足そうに食事を始める。

「最近いきなり夜寒くなったからあったかいご飯食べると落ち着きが違うね」

ドランクの言葉を聞きながら、一度だけこくりと頷いて、器の中を空にする。

お代わりがあると言われれば、断る理由がなかったのでそのまま器を差し出した。

二杯目だというのに体はもっと欲していて、自分の貪欲さに呆れながらも手を止めることは出来なかった。

ドランクの一杯と自分の二杯が同じスピードで無くなるのは、きっとこいつが喋ってばかりのせいだ。

そんなことを考えていたら最後の一口を二人同時に食べ終えた。

作るのは時間がかかるのに、食べるのは一瞬だった。

満たされた食欲は、先程燻っていたイライラを和らげる。

しかしドランクはまだ何か隠しているようで、後片付けをしつつ、鍋を火にかけていた。

これ以上何が出てくるのか。

先に寝てしまおうかとも考えたが、寝てしまうとあとで煩そうだ。

欠伸を噛み殺しながら微睡んでいると、完成したカップを持って相方が駆け寄ってきた。

「はいどーぞ」

体制を立て直してから受け取ると、柔らかい湯気からは子共の頃によく飲んだ懐かしい匂いが漂ってきた。

中の焦げ茶色の液体をふぅふぅと冷ましつつ一口啜ると、ほのかな苦みが口いっぱいに広がっていく。

直後に程よい甘さがそれを覆い隠した。

昔よりも苦みが強いが美味しいと感じるのは自分が大人になった証拠だろうか。

そう懐かしみつつも、口から出たのはちくりと指す言葉だった。

自分のことながら何と可愛げの無いことだろう。

「随分用意周到だな」

「勘繰らなくてもよくない!?色々あってお疲れでしょ~?」

疑いの消せないまなざしを向けると、「疲れた時には甘いものだよ」と諫められる。

相変わらず女子みたいなこと言う相方に、一理あると思ってしまった。

怒涛の一日を駆け抜けたご褒美には丁度良い。

自分は自身を労わるということをあまりしないから、ドランクもついつい世話を焼いてしまうのだろう。

「僕さ、昔よくココア飲んでたんだ~。スツルム殿は?」

「……昔の事は忘れた」

心の中を読まれたような気分になって適当にはぐらかし、再びカップを傾ける。

拳一つ分程の距離に腰を下ろしているドランクは、

あたしの反応の薄さを気にも留めず、一人で他愛もない話を続けている。

こんな状況でも楽しそうに振舞えるのは、もはや一種の才能だ。

「お前はいつも楽しそうでいいな」

「そりゃ、スツルム殿といるときは大体楽しいからね」

「…………物好き」

パチパチと燃える薪の音とドランクの声が妙に落ち着くのは、この温かさのせいもあるのだろうか。

外から聞こえてくる風の音は冷たそうで、これからもっと気温は下がる一方だろう。

折角温まった体が元に戻ってはいけないと、空いているスペースへ身をよじり、そのまま隣へと軽く体を傾ける。

ドランクは一瞬ピクリと反応しながらも、そのまま何も言わずに、同じようにあたしの方へ体を預けてきた。

寄り添い支え合うような状態になっていることに気恥ずかしさはあるが、この寒い夜を越えなければならない。

明日も明後日も、こいつとの日々が続いていくのだ。だからこれは仕方ないこと。

そう自分に言い聞かせて、手の中にあるココアのような甘くて温かいぬくもりに身を任せた。


― 2 ―

「スツルム殿は僕より先に死なないでね」

―――なんて重い一言なんだろうか。

『自分より先に死なないでくれ』という確定のできない

未来の話を、彼女はどういう気持ちで聞いているのだろうか。

でも僕は見たくないのだ。

彼女の真っ赤な命の灯が消えてしまうところは、絶対に見たくない。

大切な人が僕の側からいなくなってしまう事をまた経験するくらいなら、僕が先にこの世からいなくなりたい。

だから、命の危険に晒されてしまったその時には、僕は自分の事よりスツルム殿を助ける道を選ぶだろう。

それは、スツルム殿も同じじゃないかな。僕を盾にして生き延びてくれるだろう。

その方が嬉しい。彼女の生きた道の一つになれるんだ。

最後に見る景色もスツルム殿で終わることが出来る……とびきり素晴らしい人生だろう。

裏切られたり、嘘を吐かれたり、裏切ったり、嘘を吐いたり。

人から見たらいい人生ではないのかもしれないけれど、スツルム殿に出会えたというだけで、

僕の人生はプラス百点されてもいいくらいだろう。

いや……出会えただけではなく、同じ時を何年も過ごせたというだけで

もうプラス百点、いや千点点くらいの要素を含んでいる。

それほどまでに、彼女は僕の救いなのだ。

本当の名前も、過去も、無理に聞き出してこようとしない。

だけどいつも隣にいてくれる大切な人。そんな人に巡り合えただけで、僕の人生は薔薇色だ。

それなのに、なぜ僕はこんな軽い一言で片づけられてしまったんだろう。

「無理だろう」

バッサリと切り捨てるように返された一言は想定外で、思わず固まってしまう。

いつも無表情なスツルム殿の顔は、僕にそう言われて驚いた様子も

呆れたような様子もなく、本当にいつも通りの調子で返してきた。

『縁起でもないことを言うな』とか咎めてくれたら嬉しいな~という希望的観測を

少しくらい期待していたが、『無理』の一言は予想外だ。

「いやいや~……無理ではないでしょ?スツルム殿ってば!あれ、死にたがりさんでしたっけ?」

「はぁ?そんなわけないだろ」

呆れた声を上げるスツルム殿に、あっ……そこは怒るんだと率直な感想が飛び出す。

じゃあなんで僕よりも生きようとしてくれないのだろう。

僕より先に死なないで欲しいなんて簡単なお願いを、叶えてくれない理由が見つからない。

死が二人を分けてしまっても、スツルム殿には自分の人生を全うしてほしい。

僕の事なんか気にしなくていい。

困惑している僕を他所に、彼女は気にした様子もなく話を続けてきた。

「あたしの護衛だからな。何かあったら一応、守ってやるつもりでいる。

だから……あたしが死ぬ時はお前を守った時だ」

その言葉に、出会った頃を思い出す。そうだった……初めに顔を合わせた時は依頼主と傭兵の関係だった。

その時の仕事っぷりに惚れて、相棒となって今に至っている。

この間柄になった後の方が付き合いが長いから、スツルム殿はとっくの昔に忘れているものだと思っていた。

いつもは鬱陶しそうにしている彼女がそんなこと考えているなんて予想もしなかった。

今はもう対等な関係なのに、そういうところは真面目なんだ。

自分とは違う不器用なまっすぐさにも惹かれている身としては、それ以上に何とも言えなくなってしまう。

むしろ意識していないと、口元がだらしなくにやけてしまいそうだ。

「…………おい何か言え。反応がないと困るだろ」

「スツルム殿こそ自分で言ったのに照れないでよ~ふふっ……いったい!」

「にやにやするな!」

―――彼女の頑なな意思を作ってしまったのは自分か。

それならもう仕方ない。彼女と最後まで一緒にこの人生を走り抜けよう。

そして、願わくは……

「(一分一秒でも長く一緒にいて……最後にスツルム殿と一緒に死ねたら……最高の幕引きだ)」

そんな最高のハッピーエンドに向けて、少しでも長く生き続けなければ。

死が二人を分かってしまっても、一緒にいられるように願いを込めながら。


― 3 ―

―――相方と一線を越えてしまった。

朝、シーツに包まっている体は少しの倦怠感を帯びていて、

目を覚ましたというのに起き上がることが出来なかった。

それどころか瞼は閉じることを望んでいて、

もう少しだけ寝てしまってもいいんじゃないかとさえ思わせる。

起き上がってしまうと、昨日感じたあの熱を思い出してしまう気がして、気怠さに拍車をかけていく。

昨日のあれは夢なのではないだろうか。

そんな逃避をしてはみたが、体のある部分が痛みを訴えているせいで、否が応でも現実を突き付けてくる。

いや、別に現実逃避をしたいわけではない。

昨日のあれが事実だとして、別に嫌ではなかった。

嫌だったら、全力で拒否をすることも自分は可能なのだ。

そうしなくても、あいつなら少しでも嫌なそぶりを見せたら、

何事もなかったかのように振る舞って終わるだろう。

でも、あたしが受け入れたから、そのまま―――。

……あーもう。思い出すのは、やはり良くない。

やめよう。思考を止めるため、真っ白なシーツに頭まで入りこむ。

そこでふと気が付いたが、隣にあいつの気配がない。

シャワーでも浴びているのかと思ったが、水の音も聞こえてこない

ということは、その予想は外れているのだろう。

……あいつは、昨日のことをどう思っているのだろうか。

どんな気持ちで、昨夜を過ごしたのだろうか。

受け入れたからには、あたしの気持ちが、伝わっているのだろうか。

昨日の熱を、空気を、思い出したくはないような気がするけれど、どうしても気になってしまう。

ドランク、お前は昨日――――。

――カチャリという扉が開く微かな音に、肩が跳ねた。

ギギ……と立て付けの悪い扉を、極力音を立てないように開けている様子を感じ取り、シーツを握る手に力がこもる。

多分、寝ていると思われているのだろう。そういう細かいところには無駄に気を使ってくる奴だ。

そういえば、昨日も逐一何かあるごとに『大丈夫か』聞いていた。

それがなんだか気恥ずかしくて、顔を背けてただただ身を任せてしまいっぱなしでいた。

だから昨日のあいつがどんな表情をしていたのか、あたしは知らない。

むしろ自分自身の言動すら、ちゃんと覚えていない。

もしかしたら変なことを口走ったのではないだろうか。

「はぁ……」

耳に届いたため息に、息を飲んだ。

そんなもの聞き慣れているはずなのに、何を今更こんなに驚くのだろうか。

でも、このタイミングでのため息には、何かを感じずにいられない。

《後悔》ではないと思いたいがその可能性も大いにあるだろう。

ドランクの姿が見えない分、耳に入ってくる情報が気になってしまう。

あのため息をまた聞くのは嫌だと思いつつ、起き上がれない。

うじうじ考えるのは性に合わないが、完璧にタイミングを見失った。

どうしたものかと悩んでいると、ほのかに漂ってくる焼き立てのパンの匂いに、

やっとドランクが朝食を買いに行っていたことに気が付いた。

先程からガサガサと音がしていたのはこれを取り出す音か。

そのうちにコーヒーの匂いも届いて、自分の腹から恥ずかしい音がなった。

ここまでしてしまって起きていないと誤魔化すのは難しいだろう。

観念して起き上がると、さっきの音に気が付いていたであろうドランクも、こちらへ視線を向けていた。

当然ながら目が合ったが、あたしがさっと逸らすことでまた気まずさが増してしまう。

こんなあからさまな態度、あいつはどう思っただろう。

自分で自分の態度が嫌になって沈んでいると、上から軽い言葉が降ってくる。

「スツルム殿おっはよー」

いつもと変わらない挨拶。

いつもと変わらない態度。

いつもと変わらない声色。

あんなことがあっても、ドランクは何も変わっていなかった。

あぁそうか。昨日のあれは、こいつにとっては普通のことなのか。

よくよく思いだしてみれば、手馴れているようだったし準備も万端だった。

こいつにとっては、昨夜の戯れなんて、本当にただの遊びでしかないのだろう。

欲を発散させることなんて、当たり前の行為だもんな。

そこにたまたまいたのが《あたし》だった。ただそれだけだろう。

さっきのため息も、やっぱり仕事がやりにくくなってしまったとか、そういう面倒を感じてのため息だろう。

「え、ちょっとスツルム殿!?」

ドランクの驚く声と同時に、自分の手の上で雫が弾けた。

とめどなく降ってくるそれが、自分の涙だということに気が付いて、慌てて手で拭う。

止めたいという意思とは裏腹にとめどなく溢れ出るそれは、次第に視界を歪め始めた。

この状況に混乱しているあたしを差し置いて、今更わたわたと慌て始めるドランクにイライラが募っていく。

こんな時くらい大人しくしていろ。

「っ……まえ……く、うき……よめっ…………」

やっと振り絞った言葉の、なんと可愛げのないことか。

でも今更心配なんかされても、手に入れることが叶わないと

わかってしまった自分の悲しみを静めることは難い。

あぁいやだ。自分が自分ではないみたいだ。

こんな些細なことに心が動揺して、コントロールができなくなる。

あんな突き放すようなことを言ったのだから、ドランクは一旦部屋を立ち去るだろう。

そう思ったのに、一向にいなくなる気配がない。

どういうことだと戸惑っていると、ベットのスプリングが跳ねて目の前にドランクの見慣れた背中が広がっていた。

「……はい……好きにしてください」

すきに?すきにってなんだ。どうしろというんだ。

その向けられた背中をあたしはどうすればいいんだ。

いつもみたいに刺したところで、お前の心は手に入らないだろう。

こちらを見て欲しい。あたしを見て欲しい。

もう、どうしようもなく、あたしの心は一つの感情で埋め尽くされてしまっている。

それならいっそのこと、この流れる涙と一緒に吐きだしてしまおう。

「す…きだ…馬鹿っ……」

ドランクの背中に顔を押し当てて、溢れた涙を染み込ませていく。

あたしの気持ちも、これくらい簡単にこいつの中に沁み込んでいけばいいのに。

そんな無理なことを考えて、また目頭が熱くなっていくのがわかった。

全部全部この背中に押し付けてしまおう。

押し付けたら、きっと明日からは大丈夫。

ただの仕事仲間に戻るだけ。

何もなかったことにすればいい。

ほのかな温かさを頬に受けて、この温もりが自分のものになればいいのなんて、女々しいことを想う。

このままもう一度眠りについたら、なかったことになっていないだろうか。

そしてまた夢から覚めたら、何事もなかったことになっていればいいのに―――。

「…………えっ!?」

「っ!?」

そんなあたしの願いを壊すかのように、ドランクの背中が揺れた。

それに驚いて離れると、目をぱちくりとさせているドランクがあたしを見ている。

先程までの穏やかさは何だったのか。

アンニュイな気持ちになっていた空気を返して欲しい。

「あ、あの、スツルム殿、あの」

「っ…………なんだ」

「い、いま、えっ?幻聴!?」

あたしが泣き出した時より明らかに動揺している様子のドランクを見て、逆に冷静になっていく自分がいた。

こいつは何を言ってるんだ?

何に驚いているんだ?

さっきまであんなに止まらなかった涙はどこかに行ってしまったようで、百面相を繰り返している相方を観察する。

驚いたりすることはこいつにだってあるが、こんなに動揺しているところを見るのは初めてかもしれない。

落ち着くのを待っていると、意を決したのか行儀よく座り込んでおずおずと口を開いた。

「あの、えっと……スツルム殿……。抱かれたのが、嫌だったから泣いてたんじゃ……」

その発言に、自分の眉間に皺が寄る。

こいつの中であたしの評価はどうなっているんだ。

いや、自分でも泣いてしまうのは予想外だったから、あまり人のことは言えない。

それでもその理由はないだろう、自身を棚に上げた。

「お前、あたしが黙って抱かれるような女だと思ってたのか」

「いや、思ってませんけど……でも実際泣いたから……」

「お前こそ好きでもない女を抱いて後悔したんじゃないのか」

「えっなんで!?なんでそんな勘違いしてるの!?」

血の気が引く人間を目の当たりにして、どんどん自分が冷静になっていくのが分かる。

今日のこいつは青くなったり赤くなったり忙しいな。

そのおかげで、あたしは落ち着きを取り戻していた。

――なんとなく、気が付いてしまった。

鈍感なあたしでも察することが出来たのだから、こいつがその結論に辿り着くのも時間の問題だろう。

それくらいはドランクの口から聞いても問題ない。

そんな気がする。

おまえの言葉で、流した涙の分空いてしまった気持ちを埋めて欲しい。

そう願ってもいいだろうか。

「まって、スツルム殿、あの、僕……」

――――――その先の言葉は、あたしだけのもの。


― 4 ―

どうして、こうなってしまったのか。

僕の真下に、スツルム殿がいる。

少しばかり長湯しすぎた後の体は、どこかふらついてしまい自身の足を縺れさせてしまった。

何もできずに気が付けば、ベッドの上でリラックスしていた彼女に思い切り飛び込んでしまった。

女性特有の柔らかい体が下にある。

嬉しいシチュエーションではあるが、この状況をどう乗り切ればいいんだ。

悔やむような、嬉しいような、言い表すことのできない心はぐるぐると回る。

ゆっくりと整理をしたいのに、心臓がうるさくてそれどころじゃない。

あと少しだけ動いてしまえば、唇と唇はくっついてしまうだろう。

だから安易に触れてしまわないように、動かないように努めた。

そうはいっても限界はある。

なんで人は呼吸というものをしないと生きていけないのか、なんて哲学的なことまで考えだしてしまった。

あと…………少し下にある柔らかい膨らみが、体にべったりと密着してしまっている。

これにはあらゆるところが反応してしまわないか、それを悟られないようにしなければいけなくて気が気じゃない。

色々な感情を必死で抑えて平常心を保つが、この状況で落ち着けるわけがない。

目を背けることもなく見つめ合う僕たちは、どのくらいの時間をこの状態で固まっているのか。

何も言えずに黙ったまま、無情にも時間だけが流れていく。

向こうも反応せずに固まっているところを見ると、キャパオーバーなのは僕だけじゃないようだ。

こうなった瞬間にすぐ離れてしまえばよかったのに、なんで僕はこういう時のイレギュラーに弱いのだろうか。

いやでもしょうがないではないか。

……こればっかりはしょうがないではないか!

早く退かなくてはと焦る気持ちはあるけれど、このままとくっ付いていたい

という欲も存在していて、自分の中でせめぎ合っている。

どうすれば。どうしようか。離れなきゃ。でも勿体ない。

そんな自問自答を繰り返して、結論を出せずにいる。今日の僕も優柔不断だ。

……そもそも僕に決める権利なんてないんじゃないか?

色々な思考の果て、その結論に辿り着いた。

こういうことは僕の感情よりも、スツルム殿の気持ちを優先すべきだ。

スツルム殿が嫌がることはしたくない。

口の拒否と本気の拒否は違うものとカウントする。それとこれとは話が別だ。

まぁでも、スツルム殿の事だから、そのあたりの事は心配してはいない。

嫌なことは嫌だときっぱり言うし、この状況もいつもなら思いっきりぶすっと刺されているだろう。

その拒絶がないのは、思考が固まってしまっているからだろうか?

でも本当に拒否されなかったら―――?

………いやいや待ってくれ、そんな軽々と事を進めていいのだろうか。

彼女との付き合いは長いけれど、心を通わせたのはつい最近だ。

早すぎないか?軽い男だと思われないか?

もう思われているなんて考えは遠くに投げ捨てた。

いつもみたいにおちゃらけながら進めてもいいかなと考えながらも、

どうせならもっとロマンとかムードとか大切にしたいじゃない?という面倒な心が邪魔をしてくる。

スツルム殿はそういうの気にしない気がするけれど、

ちょっとでもいい男でありたいと思ってしまうのは仕方ないだ。男の性だ。

「おい……いつまでそうしてるつもりだ」

下から聞こえた声に、肩が跳ねる。

いつもと同じ不機嫌そうなその声に、やってしまったなと反省した。

脳内会議が長すぎる。

スツルム殿はそんなに気が長くない事なんてわかりきっていたことなのに、

あまりの想定外な出来事に、判断がつかなかったのだから許してほしい。

「ぁっ、ご、ごめんね~スツルム殿!今退くから……」

「そうじゃ、なくて」

浮かした手をパシッと掴んで止めたのは彼女のほうだった。

どうしたんだろうかと動きを止めると、スツルム殿は上目遣いのまま小さな声で恥ずかしそうに呟いた。

「…………そういうこと、するんじゃないのか……」

き、き、き、きた~~~!

その一言で、僕の背後に花が咲き乱れた、確実に。

祝福の鐘のような幻聴さえ聞こえてくる。いや、幻聴なんかじゃないのかもしれない。

僕が僕自身を祝福していると、スツルム殿は反応がないことに困ったのか、

空いた右手で恥ずかしそうに口元を隠してしまった。

自分のピンっと立った耳が、か細い声だろうとスツルム殿の言葉を聞いていないはずがない。

さっきまで合わせていた目線も、プイっと他所を向いてしまっている。

僕の方はそんな姿を目に焼き付けるため、瞬きせずに見続けた。

放すタイミングを失ってしまったのか、左手はまだしっかりと僕の手首を握っていて、ほのかに熱が伝わってくる。

その微かな温かさでも、僕の顔は茹蛸状態に変わる。

頭が熱くて、思考が定まらない。

言いたいことはいっぱいあるのに、上手く言葉が紡げない。

したいこともいっぱいあるのに、もはや何から始めればいいのか。

スツルム殿が望んでいるのだから、色々すっ飛ばしていたしてしまってもいいのではないかと思ったが

何の準備も整っていない丸腰の状態で挑んでいいわけがない、と僕の中の紳士が警報を鳴らしている。

したい、触れたい、心構えが無い、意気地もない。

なんでこんな時ばかり、理性が邪魔をするのだろうか。

「……やっぱりあたしなんかとじゃ、したくないのか」

「したい!したいです!したい、けど」

自分の中での折り合いが付かないが、悩んでいる暇などスツルム殿は与えてくれない。

その誤解だけは、否定しなくてはいけないと食い気味に返してしまった。

でも、いつもの強気さが姿を消してたスツルム殿を見て、慌てないわけがない。

じゃあなんなんだって怒りを孕んだ瞳で睨みつけてきて、僕は心情を吐露するほかなかった。

「……こういうの久しぶりだから準備も何もできてなくて」

正直に白状したというのに、「今度は何を言い出したんだこいつは」という目で僕を見てくる。

しょぼくれた耳が妙に重く感じた。本気で言っているのにその視線は無いだろう。

でもそっちがその気なら解ってもらうまで伝えるしかない。

「種族が違うって言ってもさ、ほら、そういうことはちゃんとしたほうがいいじゃない?

いや準備しとかなかった僕がいけないんだけど……あっあるにはあるよ?

もしかしたらそういう仕事もあるかもしれないし。

でも結局なかったから使用期限過ぎてる物しか手元にないから「長い」

僕の必死の言い分はスパンっと一刀両断され、止めざるを得なくなった。

口だけならまだしも、太腿を殴るのは地味にダメージを受けるからやめてほしい。

いつも剣で刺されている奴が何を言っているのか?と思われるかもしれないけど、今日の僕は少し余裕がないのだ。

今も打撃のせいでさっき心に誓った想いが砕けそうだ。

「別にしなくていいだろコンドー「わー!ダメ!女の子がそんなこと口にしちゃダメ!!」

呆れたように言い放つスツルム殿の台詞を、今度は僕が遮った。

ドラフはそういう関係はオープンだと知ってはいたが、そこまでストレートな物言いはどうかと思う。

「お前……女に夢見過ぎじゃないか」

「夢見るとかそういうのじゃなくてさ~~」

「……どうせ子供なんて出来ないだろうから、いいだろしなくても」

ぽつりとつぶやいたスツルム殿の言葉は、僕にも彼女にも突き刺さる。

異種族同士、そういう話になるのは仕方がないことだ。

可能性が低いことを考えるのは、彼女は面倒で好きではなさそうだ

。それでも、僕の気持ちは決まっているし、曲げる気もない。

「というかそうじゃなくて……大事にしたいの!僕が!

出来ないっていっても絶対じゃないし……いやスツルム殿との子供ってなると

絶対可愛いから欲しいって気持ちはあるけど……。

ってそうじゃなくて、やっぱりスツルム殿にいっぱい負担がいくことじゃない?

そういうこと考えると気軽にしちゃダメというか、そういう事は僕が気を使うべきというか」

伝えたいことは言わなくてはと、本能に従って喋り続けていく。

自分の口から言葉が出るたび、我ながらペラペラと言葉が出るものだと感心した。

あ~呆れられているかもしれない。

というか絶対に何もできないヘタレだと思われている。

そうじゃない、そうじゃないんだと言いたい。

僕は君に本気なだけなんだ。本当に大切にしたいから躊躇や遠回りを選んでしまうだけなんだ。

「ずっとスツルム殿の隣にいたいから、大切にしたいんだよ」

傭兵。異種族。自分たちの立場を考えると愛し合うこと自体が《間違い》かもしれない。

そんな中でも、一人の女性を大切にしたいと思う気持ちは《間違い》じゃないだろう。

―――だから、焦らずに君との時を進めたいと思う気持ちは《間違い》だろうか?

その答えは、僕の下にいる可愛い人を見れば、おのずと導けるものだった。

「スツルム殿?」

「……わかった、わかったから退け」

「ほんとに?ほんとに僕の気持ち伝わってます?」

「わかったって言ってるだろっ……」

「ねぇスツルム殿っ」

「……あーもう煩い!察しろ!」

「痛っ!!」

顔を見せてくれないスツルム殿をついつい構って、怒らせてしまう。

見せたくない理由なんてわかってる。僕の気持ちが伝わったのもわかってる。

照れ隠しに殴られても、もう大丈夫。

それに、スツルム殿にその気があるとわかったなら、明日からの僕はきっと完璧でいれるはず。

その時は、君が振り絞った勇気を今度は僕が振るってお誘いしよう。

「……恥ずかしいやつ」

……「手は出せないくせに」という余計な一言は聞かなかったことにしておこう。


― 5 ―

「コンビ、解消?」

「そうだ」

叫びたくなるような気持ちを抑えて、僕は彼女に聞き返す。

別に聞こえなかったわけじゃない。ただ理解したくなかっただけだ。

だがしかし、嘘であれという僕の願いは彼女の頷きによって打ち砕かれる。

意識が遠のきそうになるのをどうにか堪えて、これは本当に現実なのかと考える。

額には汗が滲み出て、すぅっと頬に伝ってきたのが分かる。

拳には自然と力が入って、掌に爪が食い込んで痛い。

心臓がバクバクと音を立ててうるさいくらいに動いている。

あらゆる事柄が夢ではないと僕に語り掛けてくる。それでもなお、受け入れられない僕がいた。

いやだって、仕方ないんだって!!

話があると呼び出されたのは彼女の泊まっている部屋。

仕事の話がある時は、いつも僕が使っている部屋でしていたから別の事だろうと踏んでいた。

だから《もしかしたら》が起きるのかもしれないという期待で胸が膨らんでもしょうがないだろう。

好意を抱いている女性に誘われたら、色々と考えてしまうのが男ってもんだと思わない?

それがどうしてこうなってしまったのか。

————コンビ解消。

つまり僕とはやっていけないという宣告だ。

思っていた事と真反対の発言を、「はい、そうですか」と飲み込める方がおかしいだろう。

仕事仲間というカテゴリから抜け出して、いつか別の関係になりたいと思ってはいたけれど

僕が望んでいるのはそういうことではない。

「……僕、何かしちゃった?」

やっと絞り出した声は震えてしまっていただろう。

でもそれしか言えることがなかった。

《何か》に心当たりがあったりなかったり……いやないと言い切りたいところだ。

スツルム殿を怒らせることは日常茶飯事にしてきたが、嫌がることはしてこなかったはずだ。

構われるのが嬉しくて揶揄ったりはしたが、境界線は弁えていた。

そう思っていただけで、彼女からしたら違うのかもしれない。

だからもう「僕とは一緒にいられない」と、そう言っているのかもしれない。

嫌なところは指摘してくれれば治す。だから考え直してほしいと願うばかりだった。

「お前に原因があるわけじゃない」

スツルム殿の返答に、僕は目を見開いた。

先程まで締め付けられるような痛みがあった心臓は、少しばかり和らいだ気がする。

でも僕が原因じゃないのならば、考えを思い直してもらうなんて夢のまた夢ではないか?

だから危機を脱したわけではない。まだ気は抜けないじゃないか。

『しっかりしろ自分』と逸る気持ちを抑えた。

「じゃあなんで……」

「……最近、少し体の調子が悪くて」

スツルム殿はバツが悪そうに目線を伏せながらそう呟いた。

言い切った後には下唇を噛んでいて、何か耐えているようにも感じる。

よくよく見れば体も微かに震えているではないか。

いつも堂々としている姿からは想像ができない様子に、思わず眉が下がる。

傍にいるのに全くわからなかった。今だって自分のことばかりで気が回っていなかった。

表情に出ない彼女のことだから、なかなか言い出せないだろうと

気を配っていたつもりだったけど、どうやら足りなかったみたいだ。

「この間、時間が空いた時に医者に見てもらったんだ」

「言ってくれれば僕もついて行ったのに……」

「そこまで迷惑をかけるわけにはいかないだろ。それで、別段異常は見当たらないらしい」

それを聞いた時、スツルム殿の心境はどんな気持ちだったのだろう。

異常がないと喜ぶのか、途方もないと悲しむのか。

どちらでも同じように感じとって、気持ちを共有したかった。

ただの相方以上の感情を持っているのだから、そう思っても仕方ないだろう。

「だから現状で治す方法がない。そんな状態で仕事をしてもお前だって困るだろ。だったら、」

「困るわけないじゃん」

両手に収まっているカップを握りしめて、僕は力強くスツルム殿の言葉を遮った。

その先の言葉はわかっていたから、これ以上聞きたくなかった。

何も言わずに去ることだって出来ただろう。

それが出来ないのが彼女の不器用なところだ。

今はそういう性格で良かったと思うばかりだった。

「……僕、スツルム殿の役に立ちたいよ。今までいっぱいお世話になってるしっ」

ここで引き留めなければならない。ここで引き留められなければ次はないだろう。

カップから手を離し、震えている彼女の手を抑えるように両手で挟み込む。

払いのけられる覚悟だったせいで強く握りしめてしまったけれど、それは余計な心配だったようだ。

「ねぇスツルム殿。とりあえずどんな症状か教えてくれない?

伊達に色々巡ってないからさ、昔何処かで聞いたことある病気とか、

その土地特有の奇病の可能性もあるじゃない?」

僕の提案に数秒考えこんだスツルム殿から、了承が返ってきて心の底から安堵する。

さてここからが長くなりそうだと思い、一旦飲み物を入れ直そうと提案すると、

そちらもこくりと素直な反応が返ってきた。

席を立ちコーヒーを入れに向かいながら、自分自身へも『落ち着け』と宥めていく。

どんなことは聞かれたくないだろうかと想像しながら、

今まで聞いたことのある病も頭の中で整理して思い浮かべておく。

頭の容量はすでにパンクしそうだったけれど、ここで頼りないところは見せられない。

あぁそうだ、メモも取っておいた方がいいだろう。

準備万端でスツルム殿の所に戻ると、受け入れて貰えたことに安心したようで

先程よりも顔色が良くなった彼女がそこにはいた。

カップを渡した手はもう震えて無くて、彼女自身も落ち着いてきたことが見てとれる。

じゃあ続きを始めようと促すと、スツルム殿はゆっくりと口を開いた。

「……胸のあたりが痛むときがあって」

「ふむふむ……胸ってことは《心臓》かな?」

とても重要な箇所を出され思わず動揺してしまったが、冷静にメモに書き出していく。

なにか体に負荷のかかるようなことがあっただろうか?

男と女では体の作りが違うけれど、僕とスツルム殿とではまずまずの鍛え方が違う。

それでも内臓となると話がまた別かもしれない。他に手掛かりがないかと僕は続けた。

「どういう時に起こるの?」

「最近だと一昨日の夕食中とか……。

この間、遺跡調査の聞き込みしている時にも起こったな。

それから……アウギュステに移動する騎空挺でも起きた」

条件は様々、ということはある一定の環境下で起こる事ではないということだろうか?

気圧のせいもあるかもしれないが、そこまで来るとその日の天気とかまで調べなくてはいけなくなってしまう。

そうすると急を要しているかもしれないのに、時間が掛かってしまいそうなことに頭を悩ませる。

とりあえず、スツルム殿があげた時のことを、僕も思い出してみよう。

一昨日の食事中はいつもとさほど変わらない酒場を選んだ。

静かに食事をする場、というよりは下町のわいわいとした賑やかなお店だった。

客と客との距離が近いのか、色々と話しかけられたが、情報収集がてらその相手をしたことを思い出す。

『話したお礼』なんてノリで女の人から頬にキスされたのは驚いたけど

、他のお客さんにもして回っていたから、あのお店ではあれが日常茶飯事なんだろう。

……って今はそんなことはどうでもいい。

ちょうど依頼された仕事が一件片付いたということもあって、あの時はお酒が進んでいたが量は弁えていた。

変なものを口にしていた記憶は無いし、それだったら僕らは同じ物を口にしていた。

スツルム殿はいつも通り美味しそうにお肉を頬張っていた姿を思い出す。

その時に痛みを感じていたなんて思いもしなかった。

さて、その次が遺跡調査の聞き込み調査か。

遺跡近くの町にお話好きのおばさまがいたおかげで、そこまで苦労せず終えた記憶がある。

途中で家の猫ちゃんが可愛い話とか、お孫さんの結婚相手を探してる話までし始めて、

最後まで聞かずにこちらから切り上げたくらいだ。

そういえばあの時は話が長すぎて、スツルム殿のご機嫌が

ナナメになっていると思って焦っていたが、調子が悪かったのだろう。

で、騎空挺での移動中だけど……あの時は本当に移動をしただけだ。

時間にして二時間ほどだった。

アウギュステ行きということもあって観光客が多く、船内は人でぎゅうぎゅう詰めに近い状態だった。

お金をケチって指定席にしなかったのがいけないのだけど。

そんな船内だから周りとぶつかってしまうのもしょっちゅう起こっていた。

ふらついた女性をキャッチしたり、隣の男性の足を踏んでしまったり、なんとも慌ただしい船旅だ。

なるべく端の方にいて、スツルム殿には壁側を譲ったのに押された衝撃で痛かった可能性はあるだろう。

なんて思考を巡らせ、整理をしていると、一つの共通点を見つけてしまった。

症状が出る時《やけに僕が女性に絡まれてるな》と。

「あー……」

僕の頭に思い浮かんだ二つの文字。

それを口に出して伝えることは、いくらお喋りな僕でも濁したくなる。

それでも思わず声が漏れてしまう。

いやでも一度そうだと思ってしまったら、それ以外の理由が浮かばない。

それは僕が同様の気持ちを彼女へ抱いているからだろうか。

でも、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。

どうしよう口元のにやけが止められなさそうだ。

真剣に悩むふりをして、眉間に皺を寄せこの事を悟られぬように口元を手で隠し、怒られぬようにやり過ごす。

それでも、何かを察したスツルム殿が僕に詰め寄った。

「もしかしてなにか思い当たる物があったのか?」

「あったにはあったんだけど~それを治すのちょっと時間が必要っていうか……まずまず治すっていうか……」

「おい、はっきりしろ」

「待って待って……本当にそれかどうかはわからないけど、それだとしたらいきなり死んじゃう病気ではないよ!」

苦し紛れに事実だけ伝えると、スツルム殿の顔に明るさが戻る。本当に藁にも縋るような気持ちだったのだろう。

それにしてもこの年齢までそんなに純粋に、いや鈍感に生きてきたことに感謝した。

「本当か?」

「うん。前に僕もなったことあるから《それ》」

「……お前は治ってないのか?」

「完治はしてないけど大丈夫だよ。ちゃんと治るから」

「そうか……」

なんとも素直に僕の言うことを聞くスツルム殿に、ますます愛おしい想いが強くなっていく。

あぁ、この気持ちを大切にしながら、鈍い相方にどうやって教えていこうか。

さっさと教えてしまっては面白くないと思ってしまう性分だ。

だからいつか僕から種明かしをするまで、ゆっくりじっくり時間をかけて一緒に育てていこう。

「スツルム殿」

「ドランク……?」

「一緒に、頑張ろうね」

「?……ん、わかった」

理解の及んでいない表情を浮かべながら、スツルム殿はこくりと頷く。

今はまだわからなくていい。

時間をかけて治していこう。

その気持ちに花が咲く日を想像して、僕はそっと綻ぶようにふんわりと微笑んだ。


― 6 ―

風が花びらを躍らせながら、ふわりと青空に舞い上がった。

頬を掠めるその柔らかさが心地よく、瞳を閉じるとどこか懐かしい花の香りに鼻腔を擽られる。

このあたり一帯を一望できるというこの丘は、眼下に見える活気に満ちていた町の中

とは違い、人の気配がなくどこか心が落ち着いた。

転落防止用に設置されている柵に腰を掛けているのは己一人。

風景を眺めながら暇を潰している最中、生暖かい春の陽気に誘われて、口から欠伸が飛び出した。

時間が経っても代わり映えのしない状況に飽きてきたが、ここから離れるわけにはいかなかった。

依頼人と会う為に訪れたこの町は、なんとも穏やかで平和という言葉がよく似合う。

だから、傭兵を生業としている自分にはなんだかむず痒く、面倒事は相方に任せてここまで逃げてきてしまった。

賑やかなことは嫌いではないが苦手ではある。

それに、仕事を仲介したよろず屋から今回の依頼人はこの町の領主だということを聞いていた。

地位の高い奴は、変に難しい言葉を使ってきて内容が回りくどくて面倒だ。

そういう事は相方が得意なのだから、あたしは必要ないだろうという結論を出して今に至っている。

「……遅い」

「ありゃ、バレちゃった」

気配を感じ取り振り向けば、いつものヘラヘラした笑みを浮かべているドランクが立っていた。

仕事柄、人の気配には敏感だ。それに足音を立てられずとも、仕事を共にしている奴の気配くらいは流石に察知できる。

両手が塞がっている様子を見て、そんな物を買っていたから時間がかかったのか、とため息をついた。

「ごめんねぇ、色々と話聞いてたら遅くなっちゃって」

「なんだ?そんなに面倒な依頼だったのか?」

隣のスペースに腰掛けたドランクは片手を差し出し「お土産だよ」とあたしへ差し出す。

受け取ったそれは、白をベースとして所々に水色の差し色がされているアイスクリームだった。

表面が太陽の光でキラキラと反射していて、見たことのない宝石のような色をしていた

特産品の花を使用したジェラートだよ、という説明を聞きながら

一口含むと、すっきりとした爽やかな味がする。

数秒後には、さっき感じたものと同じ花の香りが口の中へと広がっていった。

あまり食べたことのない味だ。

もう一口食べようとスプーンで掬うと、隣からほわほわと鬱陶しい目線を送っているドランクと目が合った。

その瞳と対照的な少しきつめの目線を返すと、ふっと逸らされて話の続きを始められる。

「いやよくある人探しだったよ」

「……あたしたちは探偵じゃないぞ」

「まぁそうなんだけど~。ほら、探偵さんだけじゃ難しいことってあるじゃない?」

それは、鈍感な自分でもなんとな解る物言いだった。

人探しは見つけて終了というわけにはいかないことも多い。

事件に巻き込まれていたり、誰かから逃げ回っていたり、事情は様々だ。

そういう時に無理矢理にでも連れて帰る力が必要になることがある。

今回はその部類に入りそうな依頼なのだろう、と理解した。

「でも、ちょっと乗り気になれなくてさ」

「……何か言われたのか」

「心当たりはなにかあるか聞いたら濁されちゃってさ~」

「まずまず誰を探してるんだ?」

「跡取り予定の一人息子さんだよ。それで、仕方ないからお屋敷に勤めてる子に話聞いたりとか、

町の人にも聞き込みしてわかったんだけど……どうやら駆け落ちみたいなんだよね」

その答えを聞いて、こいつが先程から濁しながら話をする理由がわかった。

身分違いだとか、異種別だとか、色んな種族や立場の者がいるこの世界では珍しくない。

その弊害を乗り越えてでも《共にありたい》と願う者も少なくはない。

こんな穏やかな町でも起こり得る当たり前のことなのだ。それが世界の理だ。

自分も身に覚えがある。

ドランクと、所謂そういう仲になった頃の話だ。

別に誰かに咎められたり、本人に言われたわけではない。

ただ、ふとした瞬間に考えてしまうのだ。

だが、こいつが良くてあたしも良いと言っている。

なら、構わないだろうと自己完結をしていた。

そこまで深く考えない自分とは違い、ドランクはそういう割り切りが苦手なのかもしれない。

普段の様子からはそんなこと感じ取れないが、定期的に訪れているあの場所の事や、

霧の島での出来事を見るに、なんだかんだ情が捨てられない人間だ。

そういう所は、傭兵としては良くないことだと時々感じていたことを思い出す。

「仕事に私情は挟むなよ」

「うん……わかってるって~大丈夫。僕だって大人だし、ね」

「でも、あたしもあまり気乗りはしなくなった」

ドランクの言葉を遮るように被せると、それ以上は続けてこななかった。

チラリと視線を向けると、ぽかんと口を開けた顔が目に入る。

別に特別な理由があるわけじゃない。

さっきも言ったがあたしたちは探偵ではないのだ。

剣を揮うことを生業にしている。

だからこの仕事は気乗りしない。ただそれだけだ。

そう自分に言い聞かせ、言葉を飲み込むように手元のジェラートを口に運んだ。

「————そっか。じゃあこのお仕事は聞かなかったことにしちゃおっか!」

よろず屋さんには謝らないとね、なんて言いながらも嬉しそうな声色で言うドランクに、何故だか心がほっとした。

向こうも同じ気持ちだったのか、緊張の糸が解けただけなのかはわからないが、力を抜いた体がそっと肩に触れた。

少しだけ寄りかかられるだけだろうという推測を裏切って、存在を主張するように重さは増していく。

これは……こいつなりの甘え方だ。

人目がないとはいえ野外でしてくるなんて思わなかったが、拒否することはしなかった。

誰も見ていないし、金にはならないが一仕事終えてきたのだからこれくらいは許してやろう。

そう考えながら、そこまで幅のない柵から落ちないように支えていると、ドランクがぽつりと呟く。

「スツルム殿は、もし僕がいなくなったら探してくれる?」

ドランクの言葉に今度はあたしが息を飲む。

《もしも》ってなんだ。

いつかそういう日が来るという宣言か。

気まぐれで掴み所の無いこいつのことだ。あたしの目の前からある日突然消えることだってあり得なくはない。

唐突に始まったコンビ生活。いつ縁が切れたっておかしくなない。

別にあたしとこいつは家族じゃない。血も繋がってない。種族だって違う。

ただ二人で傭兵を続けてきた、それだけだ。

ただ、《それだけ》。それでも———

「面倒くさい」

「即答!?え~ちょっとくらい考えてよ~」

「……探してやる義理はないだろ。だから、変な気は起こすな」

———こいつがいない将来が想い描けない。

別々に生きたって問題ない。

そう簡単に言える関係ならよかったのに。

いくら考えても、絶対に無理だと言ってしまうだろう。

あたしは既に、こいつの隣にいない未来がもう想像がつかない所に辿り着いてしまっている

。隣にドランクが立っていないと、落ち着かない自分になってしまったんだ。

あたしはここまで来ている。だからお前もここまで来い。

そう言わんばかりの口振りに、自分の事ながら馬鹿だなと思ってしまう。

それでも、先程よりも増している嬉しそうな気配を感じて、それをよしとしてしまうのだ。

「じゃあスツルム殿もいきなりいなくなったりしないでね?

朝起きたら時々いないときあるじゃない?あれ一瞬ドキッとするんだからね!」

「はぁ?朝の鍛錬くらい好きにさせろ」

「そうだけど~でもでも朝のゆったりした空気をスツルム殿と過ごしたいというか~」

「なんだそれ……」

「朝の清々しい光に包まれながら二人で過ごす時間……って想像しただけで最高じゃない?」

「…………よくわからん」

「え~?もうちょっと真面目に検討してよスツルム殿っ!」

さっきまで静かだった丘に、ドランクの声が響いていた。

いつもと変わらない光景がそこには広がっている。

それでいい。それがいい。

この先も、この関係でいられればそれでいいと願いながら、あたし達の日々は続いていくだろう。

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