小話20
月とドラスツ。
「月が綺麗だ」
真後ろから聞こえてきた声に釣られて足は歩みを止めた。
そのまま視線を上に向けると、綺麗な円を描いている月が
我が物顔でそこに佇んでいた。
瞬き始めた星は、それに敵う筈がない。
雲のない夜を迎えたばかりの空は月の独壇場だ。
「あ~ほんとだねぇ……痛ったぁ!?スツルム殿何するの!」
「足を止めていいと言った覚えはないぞ」
僕の頭上に容赦なく拳を叩き込んだ。
本来なら届かないその場所にどうしてスツルム殿が
攻撃できるのかと言えば、今の僕たちの状態に事情がある。
雨降りの後、山下りの途中、ぬかるんだ地面、これらの要素が加わって、
足を挫いた彼女を僕は今背に載せている状態だ。
始めは嫌そうな顔と抵抗を見せた彼女だったが、
おんぶか抱っこかと言われれば、渋々ながら背負われることを選択した。
本当はお姫様抱っことか憧れるよね、なんて夢見た僕だったが、
人一人背負って山を下りるなら安定的にもおんぶが最適解だ。
しゃがみ込んだ僕に乗りこんだスツルム殿はぴたりとくっ付いて
一体感を得る温かさを僕に提供してくれる……という訳もなく、
背筋を伸ばして辺りの様子を窺う役を担ってくれることになった。
怪我をしているというのに、なんとも彼女らしい。「今日のお月さまは真ん丸だね~」
「そうだな、まるで…………」
「…………えっ何?どうしたの?」
続きをくれないスツルム殿に痺れを切らして問いかければ、
歯切れの悪そうな渋い声が聞こえてくる。
もしかしてお腹でも空いたのだろうか?
それを正直に伝えたら、僕に揶揄われそうだと
思われても仕方がないだろう。
普段の自分の行いを顧みれば、納得できる。
納得したところで、改善する気はさらさらないが、
スツルム殿が口を開くまでゆっくり待ち続けた。
「……お前の、瞳のようだと思っただけだ」
言いたくなさそうな声は、僕の心臓に衝撃を走らせる。
綺麗な月を見て、僕を思い浮かべたなんて、流石に予想外だった。
何故そんないきなりデレをぶつけてくるのか。
もしかして怪我して心が弱っているの?
優しくされると靡いちゃうタイプ?
いやいやそんなことはないとわかっている。
ただ本当にそう感じただけなのだろう。
なんて人たらしなんだスツルム殿……。
頼むからそれは僕限定にしてくれ。
「~~~……スツルム殿、それ絶対僕以外に言っちゃ駄目だからね」
「は?言う訳ないだろ」
「絶対絶対駄目だからね」
「煩い。それよりも揺れるな。体幹がぶれてる」
揺れているのは、君のせいだよ。
そんなことを言われて、まっすぐ歩けるほど僕の心は衝撃に強くない。
心を落ち着けるため、少しだけ目線を上げれば、
そこには先程の月が変わらない姿を披露し続けている。
これから月を見るたびに僕は今日のことを思いだすのだろう。
それよりも、今日のこの夜すら超えられるか怪しいものだ。
でも、
「(今日、死んでも構わないな)」
そう思えるくらい、月が星がすべてが煌めいて見えた夜だった———。
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