小話19


魔物の魔法でお耳が聞こえなくなったスツルム殿のお話。会話がないので、雰囲気でドラスツ感じれる方向け。

※スツルム殿視点の会話なしな文章なので苦手な方は見なかったことにして下さい。


―――無音の世界に飛び込んでしまった。


紫色の光が円状を描きながら、過ぎ去っていく。

肌にピリッとした痛みが走った刹那、激しい耳鳴りが体中に響き渡ってぷつりと消える。

その直後から、木の葉が風で擦れる音も、飛び去った鳥の羽ばたきも、

目の前で焦っている相方の声も、なにもあたしの耳には届かない。

視界で得ている情報から予測できるすべての音が、

自分の中に存在していなかった。

耳の奥でかすかに音がするような気がするが、きっと幻聴だ。

だって、目の前のこいつはこんなにも必死なのに

こんなに小さく聞こえるわけがないだろう。

うまく反応できないあたしに、周りの人間たちは未だ狼狽えている。

やっと口から洩れた言葉も、あたしには聞こえなかったが、

目の前の相方には届いたようで、瞳の奥がぐにゃりと歪んで揺らめいていた――。




『心配ありませんよ』


目の前に差し出された紙に書かれているその文字を見ても、

あたしの心の中に特に変化は怒らなかった。

周りの安堵の表情を見て、なんと説明されているか察していただから。

それを見ても隣にいるドランクは、あたしの手を握って離さない。

耳が聞こえなくなっていることを伝えた直後から、ずっとこの調子だ。

心配ないといわれているのだから、もういいだろうと振りほどこうとすれば、

かたくなな意思を固めているのか逆に力を強めてくる始末だ。

”これ”の原因は魔物が放った魔法だった。

依頼人をかばってそれを食らってしまった、ただそれだけのよくある日常だ。

医者に診てもらった結果は、特に聴覚以外の異常は見られないとのこと。

前にも同様の被害を見たことがあり、1日で治ったと書いてある続きを読んで、

それならば問題ないと、自分の中で結論付けた。

依頼はこの町まで護衛をするというものだったから、

明日異常がないのであれば別に構わないだろう。

むしろ依頼人が診察代という余計な出費をさせてしまったのに、

少し多めの報酬を払ってくれたようで得したくらいだ。

それにいつもはやかましいドランクの声を聴かずに済む。

ありがたいことこの上ないだろう。

そう楽観視していたが、想像以上に弊害が降りかかってくることを、

この時のあたしは知らなかった。


+++++++++++++++

耳が聞こえないということは案外ストレスがかかるということを、

ものの数分で理解することとなった。


まず、危険の察知が難しい。

気配はわかっても距離感が掴めずに何度か人にぶつかられる羽目にあった。

向こうから当たってきたくせに、怒鳴りちらして舌打ちをして去っていく輩もいた。

声が聞こえずとも表情で分かるから苛立ちというものは生まれてくる。

その気配を察知したのか、ドランクに休憩しようとカフェに入ることを提案される。


といってもジェスチャーで伝えてこようとしてくるから、

はじめ何を言いたいのかわからず、理解が難しいため苦戦した。

耳が聞こえないというだけで、やけに疲労が溜まっていく。

それはこの状態に付き合わされているあいつも同じことだろう。

席について一息つけば、ドランクがノートを取り出し筆談で会話を試みてきた。

あたしもペンを手に取りを握って言葉を綴るが、

いつもなら一言返してすぐに終わることに、倍の時間がかかってしまう。

口で返答てしまおうと思ったが、自分がうまく発音できているか

わからないことにどうも違和感を持ってしまう。

そのうちに面倒になってペンから手を離せば、

諦めたようにドランクはそれらをカバンにしまい込んだ。

珍しい沈黙があたしとドランクの周りを支配している。

あたしの耳が聞こえないせいで、ドランクもいつもお喋りな口を閉ざしてしまった。

そりゃ聞こえない人間にべらべら喋り倒しても意味はないだろう。

でもどのみち聞き流しているのだから気にせずいつも通り過ごせばいい。

そう思っても、それを提案するのはどうも憚られてしまう。

自分のせいでこうなっているというのに、普通にしていろなんて、言えるわけがなかった。

これも今日だけ、本日限りというやつだ。珍しいことではあるが別にいいだろう。

別に沈黙が嫌いではないのだ、いつもドランクが煩いというだけで、

あたしの傍が騒がしくなっていただけだ。だから今日くらいはこいつのお喋りもお休みだ。

そう考えているのに、胸の奥底でぞわぞわとした気持ちが湧き出ていたことに

蓋をして気が付かなかったことにした自分がいた。



ぎこちないあたしたちの1日はもうすぐ終わりを告げようとしていた。

不便だからと部屋を共にし、今日は一緒の寝床で一晩を超すこととなった。

下手に何かしても困るだろうと、あたしはベッドに潜り込んで、

ドランクはと言えば、半分空いた隣のスペースで上半身をベッドヘッドに預けて

読書に耽こんでいた。

あれから時間が経つほどに、音の聞こえない状態に慣れるどころか

もどかしさが募っていって仕方がなかった。

人々の足音が、町の喧騒が、あんなに喧しかったお前の声が聞こえないことが、

こんなにも落ち着かないなんて想像してもいなかった。

そう、相方の……ドランクの声が耳に入らないことに、

身の置き場がないような錯覚を覚え始めてしまった。

いつもの日常がそこにはなくて、そんなもの突然崩れ去るものだとわかっていたのに、

いざ対面すると嫌な汗ジワリと体をまとう。

不意に、本当に明日になったら何事もなく聴力が戻っているのだろうか、

なんて考えが浮かぶと、心の奥が冷たい水で浸かったような不思議な感覚がした。

それはきっと明日への、未来への不安なのだと思う。

そんな形のないものに振り回されるなんて、らしくないとわかっていても、

そこからどうにも眠りに落ちるのを躊躇ってしまい枕に頭を預けたはいいが眠れずにいた。

仕方なしに、ベッドサイドの明かりに照らされている

ドランクの横顔を眺め眠気が訪れるのを静かに待ち続ける。

いつもならページを捲る紙の音も、わずかに漏れる鼻歌も何もかも聞こえない。

本当に明日になったらあいつの声が聞こえるようになっているのか。

もしもこのままだったら、あたしはどうするのか。

不確かな不安は生まれてしまったらなかなか消えることはない。

少しでも力を込めておかないと寂しいと思った心が溢れそうで、

シーツをギュッと握りしめた。

そっとドランクに視線を戻せば、ばちんと視線がぶつかった。

やけに身じろいでいたのがバレてしまったのだろうか、

ドランクは読んでいたパタンと本を閉じ、明かりも消して夜闇に紛れた。

そのままそっと潜り込んで、片腕をあたしの頭の下に、

もう片方を背中に回してそのまま包み込むようにまとわりつけた。

一瞬強張ってしまった体の力をゆっくりと解いていくと、

それが合図かのようにゆっくりと上下に手のひらで背中を撫でられる。

通り抜けた箇所はやけに暖かく感じて、冷えてしまった心をほぐしていくようだ。

ねだるように身をよじるとちょうど心臓辺りに耳が当たった。

そっと押し付けると薄い胸から鼓動を拾って鼓膜に響かせる。

とくんとくんと胸打つ振動は心地が良い。なんだか音が自分の中に戻ってきたみたいだ。

空いている耳に吐息を感じたが、少しくすぐったいだけであたしには届かない。

聞こえないとわかっているだろうに、なんて言っているのだろうか?

やけに優しく感じる温かく柔らかい

その疑問は明日直接聞いてやろうと心に決めて、

下がる瞼に抗わずゆっくりと目を閉じた。



窓から降り注ぐ木漏れ日と共に、小鳥の鳴き声と教会の鐘の音が風に乗ってやってくる。

それは昨日の不安を消し去る祝福の鐘のようだった。

音のする方に視線を向ければ、ドランクが驚いた顔でカーテンに手をかけている。

名前を呼ぶと息を飲みそのままあたしに向かって飛び込んだ。

『良かった……』という声が今度はきちんと耳に届く。

それに答えるように、ドランクの背を撫でた。

昨日のあたしが体験した温かさを分けるようにゆっくりゆっくり撫で続けた。

昨日の言葉は何だったのか。

それを聞こうと思っていたことをすっかり忘れて、

ただひたすら日常の温かさを噛みしめ続けた。

何事にも耐えがたい、この日常の音色を――。

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