小話7
『うっかり一線超えちゃってあたふたするドラ→←スツ両片思い』
―――相方と一線を越えてしまった。
朝、シーツに包まっている体は少しの倦怠感を帯びていて、目を覚ましたというのに起き上がることが出来なかった。
それどころか瞼は閉じることを望んでいて、もう少しだけ寝てしまってもいいんじゃないかとさえ思わせる。
起き上がってしまうと、昨日感じたあの熱を思い出してしまう気がして、気怠さに拍車をかけて行く。
昨日のあれは夢なのではないだろうか。そんな逃避をしては見たが、体のある部分の痛みのせいで否が応でも現実を突き付けてくる。
いや、別に現実逃避をしたいわけではない。昨日のあれが事実だとして、別段嫌ではなかったのだ。
嫌だったら、全力で拒否をすることも自分は可能なのだ。
全力で拒否をしなくてもあいつなら自分が少し嫌がったところで何事もなかったかのようにふるまって終わるだろう。
でも、あたしが受け入れたから、そのまま―――。
……あーもう思い出すのはやはり良くない。やめよう。思考を止めるために白いシーツに頭まで入りこむ。
ふと思ったが、隣にあいつの気配がない。シャワーでも浴びているのかと思ったが、水の音も聞こえてこないということは、予想は外れたのだろう。
……あいつは、昨日のことをどう思っているんだろうか。
どんな気持ちで、あの夜を過ごしたのだろうか。
受け入れたからには、気持ちも、伝わってしまっているのだろうか。
昨日の熱を、空気を、思い出したくはないような気がするけれど、気になってしまう。
ドランク、お前は昨日――――。
――カチャ
扉が開く微かな音に、肩が跳ねた。
ギギ…と立て付けの悪い扉を、極力音をたてないように開けている様子を感じ、シーツを握る手に力がこもる。
寝ている、と思われているのだろう。そういう細かいところは無駄に気を使ってくる奴だ。
そういえば、昨日も逐一大丈夫か聞いてきたな。それがなんだか気恥ずかしくて、顔を背けてただただ身を任せてしまった。
だから昨日のあいつがどんな表情をしていたのか、あたしは知らない。
むしろ、自分自身の言動すら、ちゃんと覚えていない。変なことを口走ってしまったのではないだろうか。
「はぁ…」
耳に届いたため息に、息を飲んだ。
ため息なんて聞きなれているはずなのに、何を今更こんなに驚くんだ。
でも、このタイミングでのため息は、何かを感じずにいられない。
後悔、ではないと思いたいがその可能性も大いにあるだろう。
ドランクの姿が見えない分、耳に入ってくる音が気になってしまう。
あのため息を又聞くのは嫌だと思いつつ、起き上がれない。
……うじうじ考えてるのは性に合わないが、完璧に起きるタイミングを見失った。
どうしたものかと思っていると、ほのかに漂ってくる焼き立てのパンの匂いにやっとドランクが朝ご飯を買いに行っていたことに気が付いた。
先程からガサガサ言っていたのはこれを取り出す音か。そのうちにコーヒーの匂いも相まって、自分の腹から恥ずかしい音がした。
観念して起き上がると、さっきの音に気が付いていたであろうドランクも、こちらへ視線を向けていた。
当然ながら目が合ったが、あたしがさっと逸らすことで気まずさが増してしまう。
こんなあからさまな態度、あいつはどう思っただろう。
自分で自分の態度が嫌になって沈んでいると、上から軽い言葉が降ってくる。
「スツルム殿おっはよー」
いつもと変わらない挨拶。いつもと変わらない態度。いつもと変わらない声色。
あんなことがあっても、ドランクは何も変わってなんかいなかった。
あぁそうか。昨日のあれは、こいつにとっては普通のことなのか。
よくよく思いだしてみれば、手馴れているようだったし準備も万端だった。
こいつにとっては、昨夜の戯れなんて、本当にただの遊びでしかないんだろうな。
欲を発散させることなんて、当たり前の行為だもんな。そこにたまたまいたのが、あたしだった、ただそれだけなんだろう。
さっきのため息も、やっぱり仕事をしづらくなったとか、そういう面倒を感じてのため息だろう。
「え゛、ちょっとスツルム殿!?」
ドランクの驚く声と同時に、自分の手の上で雫が弾けた。
とめどなく降ってくるそれが、自分の涙だということに気が付いて、慌てて手で拭う。
止めたいという自分の意志とは裏腹にあふれ出るそれは、次第に視界を歪め始める。
そんな状況で混乱しているあたしを差し置いて、今更わたわたと慌て始めるドランクにイライラが募っていく。こんな時くらい大人しくしていろ。
「っ……まえ…く、うき…よめっ…」
やっと振り絞って出てきた言葉の、なんと可愛げのないことか。
でも、今更心配なんかされても手に入れられないとわかってしまったこの気持ちを静めることは難しくて。
あぁいやだ。自分が自分ではないみたいだ。こんな些細なことに心が動揺して、コントロールできなくなる。
あんな突き放すようなことを言ったのだから、ドランクはいったん部屋を立ち去るだろう。そう思ったのに、いなくなる気配が一向にない。どういうことだと思っていると、ベットのスプリングが跳ねて、目の前にドランクの見慣れた背中が広がっていた。
「……はい……好きにしてください」
すきに?すきにってなんだ。どうしろと言うんだ。
その向けられた背中をあたしはどうすればいいんだ。
いつもみたいに刺したところで、お前の心は手に入らないだろう。
こちらを見て欲しい。あたしを見て欲しい。
もう、どうしようもなく、一つの感情で埋め尽くされてしまっているんだ。
それならいっそのこと、この流れる涙と一緒に、吐きだしてしまおう。
「す…きだ…馬鹿っ……」
ドランクの背中に顔を押し付けて、溢れた涙を染み込ませていく。
あたしの気持ちも、これくらい簡単にこいつの中に沁み込んでいけばいいのに。
そんな無理なことを考えて、また目頭が熱くなっていくのがわかる。
全部全部この背中に押し付けてしまおう。押し付けたら、きっと明日からは大丈夫。ただの仕事仲間に戻るだけ。何もなかったことにすればいい。
ほのかな温かさを頬に受けて、このぬくもりが自分のものになればいいのなんて、女々しいことを想う。
このままもう一度眠りについてしまえば、なかったことになっていないだろうか。
起きたら何事もなかったことになってしまえばいいのに―――――。
「…………えっ!?」
「っ!?」
そんなあたしの願いを壊すかのように、ドランクの背中が跳ねた。それに驚いて離れると、目をぱちくりとさせているドランクがあたしを見てくる。先程までの穏やかさは何だったのか。アンニュイな気持ちになっていた空気を返して欲しい。
「あ、あの、スツルム殿、あの」
「っ……なんだ」
「い、いま、えっ?幻聴!?」
あたしが泣き出した時より明らかに動揺している様が見て取れるドランクを見て、逆に冷静になっていく自分がいた。
こいつは何を言ってるんだ?何を驚いているんだ?
さっきまであんなに止まらなかった涙はどこかに行ってしまったようで、百面相を繰り返しているドランクを観察する。驚いたりすることはこいつにだってあるが、こんなに動揺しているところを見るのは初めてかもしれない。落ち着くのを待っていると、意を決したのかお行儀よく座り込んでおずおずと口を開いた。
「あの、えっと…スツルム殿…抱かれたのが、嫌だったから泣いてたんじゃ…」
ドランクのその発言に、自分の眉間にしわが寄るのが分かった。
こいつの中であたしの評価はどうなっているんだ。
いや、自分でも泣いてしまうのは予想外だったから、あまり人のことは言えない。
それでもその理由はないだろう、と棚に上げた。
「……お前、あたしが黙って抱かれるような女だと思ってたのか」
「いや、思ってませんけど……でも実際泣いたから…」
「………お前こそ、好きでもない女抱いて後悔してるんじゃないか」
「えっなんで!?なんでそんな勘違いしてるの!?」
血の気が引く人間を目の当たりにして、どんどん自分が冷静になっていくのが分かる。
今日のこいつは青くなったり赤くなったり忙しいな。そのおかげで、あたしは落ち着いてられるのだが。
――なんとなく、気が付いてしまった。
鈍感なあたしでも気が付いているのだから、こいつがその結論にたどり着くのも時間の問題だろう。
だから、それくらいはドランクの口からきいても問題ない、気がする。
おまえの言葉で、流した涙の分開いてしまった気持ちを埋めて欲しい。そう思ってもいいだろうか。
「まって、スツルム殿、あの、僕…」
――その先の言葉は、あたしだけのもの。
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