小話42

いい夫婦の日2022
※二人に子供がいる描写がありますので、解釈違いにご注意下さい。

「ねぇねぇスツルム殿。僕と一つ契約しない?」

裏返りそうな声を抑えながら、
僕はなんでもない風を装って
彼女にそう問いかけた。
当の本人は好物の肉料理を堪能している最中で、
ご機嫌そうだった瞳は瞬時に困惑の色を宿す。
ゆっくりと咀嚼を繰り返す口は、
なかなか開きそうにない。
待っている時間がやけに長く感じて、
心を落ち着かせるためにごくりと唾を飲んだ。
何て答えが返ってくるだろうか。
ここ最近ずーっとその事で頭が一杯だったが、
正解はまだ見いだせてない。

いや、あってないようなものなのだ、そんなもの。

「……いきなりどうした」

数秒後、戻ってきたのは返事ではなかった。
否定で返ってくることを一応想定していたが、
どうやら最悪なパターンは避けられているようだ。
一縷の望みが見えてきて、高鳴る心臓を
抑えてつつ、いつも通りの笑みで口を開いた。

「スツルム殿って契約を結ぶことに信用を寄せてるじゃない?」
「そんなの当たり前だろ。それ以外に何を信じるんだ」
「いやだからね、口約束は嫌だな~とか……思ってみたり?」
「仕事なのに書類を交わさない馬鹿がいるか」
「ん~……それもそうなんだけど~僕が言いたいのはそういうのじゃなくて……」

言え!言え!と何度も背中を押すが、
言葉はすっと出てこない。
まずい、段取りが悪すぎる。
時間が経つにつれて不安が体を
支配するせいで、口も良く回らない。
やはり誰もいない二人きりの空間で、
ロマンチックな夜景でも見ながら
ことに運ぶ方が良かったんじゃないか?
でも《あからさま》は好きじゃなさそう
と思ったのだ。
じゃあどこが適切な場所なのかと
考えているうちに、ますます答えが
見つからず沼にはまることになった。

ぐるぐると回る頭の中、
仕事終わりのビアガーデン、
美味しい食事と可愛い相棒。
何気ない日常に色んなものが溢れそうになって、
唐突に心を決めたのがいけなかった。

一旦建て直した方がいいかもしれないと
視線を空中に飛ばした直後、
真下からダンッ!と鈍い音が響いた。
チラリと音のするほうに視線を向ければ、
眉間に皺をよせたスツルム殿が背後に
黒いモヤを携えていた。
端の方に席があるとはいえ
目立つことはやめて欲しい。
回りが痴話喧嘩が始まったのかと
興味をもってしまうではないか。

「さっきからなんなんだ、歯切れの悪い……あたし相手にはっきり言えないのかお前は」

ーー君相手だから、こんなにも困ってるんだよ。

そんな僕の心情など知るよしもないスツルム殿は、
出会った時みたいな真っ直ぐな瞳で
こちらをじっ……と睨んでいる。

その瞳に弱いんだよなぁ、僕。

人差し指で頬を掻き、今度はその指で頭を搔いて、
手を太ももに着地させてから、
ふぅー…と大きく深呼吸を一つ吐く。
彼女にだけ届けば良い。
いつもより控えめな声でゆっくりと語りかけた。

「あのね、スツルム殿……僕がっーーーー」

+++++++++++++
「それでねぇ……その時スツ…………ママはパパにぃ…………ありゃ?」

話に熱が入り始めた僕を置いて、
隣から聞こえてくる小さな寝息。
なんとも愛らしい天使がそこにはいた。
小さな手を毛布の上に投げ出して、
すやすやと夢の中に旅立ったようだ。
ここからが良いところなのに、至極残念。
続きはまた今度聞かせて上げよう。
手を毛布の中へしまい、額に軽くキスを
落としてから、気配を消しつつ
ゆっくりと部屋の外に出る。

音を立てずに扉を閉めれば、ミッション完了だ。
明かりの灯っているリビングに戻ると、愛おしい
赤色がソファの背から少しはみ出して見える。
息を潜めて近づいて、さっと姿を現すと
全く微動だにしないスツルム殿に出迎えられた。

「お疲れ」

労いの言葉に笑顔で返して、空いている
隣のスペースに腰を下ろす。
目の前には用意してくれていた愛用の
マグカップが既にセットされている。
持ち上げてそっと飲み込むと、
生温いココアが構内に広がっていった。
少しだけ冷めているけれど美味しい。
二口目には先程より温かい液体が流れ込んできて、
疲れた体に沁みこんでいった。

「今日は少し長かったんじゃないか?」
「いやぁ僕の方に熱が入っちゃってさ~。寝てるの気がつかずに話続けてたみたいで」
「……お前普段なに聞かせているんだ?」
「え?僕とスツルム殿が《いいコンビ》だった頃の話だよ」
「は?」
「今日はね~スツルム殿に僕と契約してくださいってお願いしたあの日のことで……」

ピシッと冷えた空気を感じて口を閉じる。
顔を向けずに目だけで様子を窺うと、
頭で思い浮かべた通りの表情をした彼女がいる。
僕とスツルム殿は阿吽の呼吸だから視線でわかる。
何を子供に聞かせているのかと
憤っているのだろう。
だが、それも一瞬のことだ。
すぐに呆れた表情を浮かべたスツルム殿は、
マグカップを口に当てつつ呟いた。

「……お前とあたし《いいコンビ》だったことなんてあったか?」
「え~!?スツルム殿そんな意地悪言っちゃうの!?」

大袈裟に驚けば、無口な彼女の
口元が少しだけ緩む。
その姿を見届けてから、
甘えるように頭を肩にこすりつけた。

「いいもんね~今は《いい夫婦》だから」

空いていた手に指を這わせて、
指先をゆるりと擦る。
ピクッと跳ねて見せるけれど、拒絶はされない。
それは今日がとても冷え込む夜だから?
それとも別の理由だろうか。

僕は後者だけれど、スツルム殿はどっちだろ。

「ね?スツルム殿」

甘くとろける声で名前を呼ぶと、
それに応じるように力が込められる。
あぁ、一緒の気持ちでいてくれた。
それがなんだか嬉しくて、
僕の口元は緩みっぱなしだ。

あの時の契約は今も続いている。
この身が尽きるまで消えることのない約束。
あの愛おしく大切な気持ちを抱きしめるように、
繋いだ手を強く強くぎゅっと握ったーー。

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