Refrain

ドランクを助けたいスツルム殿のお話。
※ドランクが死ぬ描写がありますので、念の為ご注意を。
※なんちゃってシリアスドラスツ②


相方が死んだ。
あたしの知らないところで、
あいつはこの世からいなくなった。

知らせを受けたのは、何でもない日の昼下がり。
その日は、数日前から別々に行動している
ドランクと落ち合う予定だった。
時間を過ぎても現れない相方にイライラを
募らせていると、顔見知りのよろず屋が
慌てた様子で店に入ってくる。
いつもとは違い珍しい表情をしている彼女は、
あたしを見つけると、小さな体をめいっぱい
動かしてこちらに駆け寄ってきた。
息絶え絶えにあいつの名前を聞いた後の記憶は
曖昧だが、一緒に店を飛び出したことは
確かだった。

案内された病院は、怪我人で溢れかえっていて、
血の匂いが辺りに充満しており
思わず眉間に皺が寄る。
どうやら近くの山で落石が起こったらしく、
運悪く馬車が巻き込まれたらしい。
怪我人が多数、最悪なことに死者も出た。
そのうちの一人が、あいつだった。

よろず屋に手を引かれ進むと、
部屋の一番奥で立ち止まった。
そこには、布をかけられている
長細い塊が鎮座している。
はみ出しているマントを見れば、
中にいる存在は一目瞭然だった。
揃いのマント、あたしが今身に着けているものと
同じもの。
それを敷いて寝ている奴なんて
世界で一人しかいない。

己の手を合わせてからそっと上部を捲ると、
額を赤黒く染めたあいつが静かに眠っていた。
いつもうるさい口を閉じて、
ただただそこに眠っていた。
その姿を捉えた瞬間に、息を飲みこんだ。
身体が動かない、息を吐き出すことも出来ない。
自分の体が固まって金縛りにあっているみたいだ。

何も言えず暫しその場に佇んでいると、
すっと小さな影が落ちる。
視線を上げるとそこにいたのは
ドラフの子供だった。
大きな瞳から大粒の涙を零れ落としながら
こちらをじっと見ている。
何事かと思っていたら、泣きじゃくりながら
座り込み、容量の得ない話を口にし始めた。

庇ってくれた、
このお兄ちゃんが、
大丈夫って言ってた、
笑顔で傍にいてくれた、

短い言葉をつっかえながら、必死にあたしへ
伝えてくる様子を見て、
そうか と愛想のない短い言葉をぽつりと零した。

出会った当初は他人なんて信用しない
目をしていた癖に、随分と変わったものだな。

それは己も同じこと。

一人でいい。一人でやっていける。
仕事の相方なんていなくても問題ない。

ドランクなんて、いついなくなっても、大丈夫。

そう考えていたのに、酷く動揺している
自分の心に嘘はつけない。
息が出来なくなるほど、体が固まってしまうほど、胸の奥が喪失感に包まれている。

あぁ、まるで悪い夢でも見ているみたいだ。

受け入れられない自分の中に
もしかしたら、まだ助かる手があるんじゃないか。
息が、あるかもしれないじゃないか。
そんな馬鹿なことが脳裏をよぎって、震える手が
自然とドランクの顔に向かって伸びていった。

指先が冷たい頬に触れた瞬間、
あたしの目の前は真っ暗になる。

あたしは知っている、この冷たさを。

理解した刹那、心が地の底に落ちたみたいに
沈んで、さっきよりも息をするのが苦しい。
身体の真ん中が、ギュッと締め付けれらる
感覚がした。
その痛みに耐えるように、目を閉じ爪が食い込む
ほど手を握る。

いっそ夢であればいいのに。
起きたら何もかもが元通り。
あいつが喧しく口を動かして、
イライラしたあたしに咎められる。
そんな日常に戻ればいいのに。

そう願った心は、深く深く闇に落ちていった。

差し込んだ明かりに、瞼がピクリと動く。
そのままそっと目を開くと、
何の変哲もない天井を見上げていた。
先ほどの暗く光の入り込まない空間とは違い、
煌めく日の光に包まれている部屋の様子に、
状況が理解できず戸惑いが隠せない。

そっと体を起こして手をぐっと握ると、
自分の感覚は正常に働いていた。
動いていないのは頭の中だけだ。

ここはどこだ?
あいつはどうなった?
病院で倒れてしまって、
そのまま運ばれたのだろうか。
いや、先程まで自分が着ていた装備は、
丁寧に壁に掛かっているし、
今は普段の寝巻きに身を包んでいる。
いくら倒れたからといって、
こんなことをするとは思えなかった。

まさか………夢?
ベッドにいる自分の状況から
考えうるのはそのくらいだ。
先程まで見えていた光景が、
夢だと言うのだろうか。
あのリアルな感覚が夢。
そんなことがあるのだろうか。
感覚も嗅覚も、全て問題なかったのだ。

混乱していると、バタンと扉の閉まる音が
耳に届く。
軽快な足音がこちらに近づくにつれて、
自分の心臓も早鐘を打っていった。
ごくりと飲んだ唾が胃に落ちきるより早く、
いつもみたいに喧騒を携えて
あいつはあたしの目の前に現れた。

「おっはよ~スツルム殿!昨日の雨が嘘みたいないい天気だよ!いやぁお仕事日和だねぇ。今日も一日頑張ろ~」

朝から騒がしい。
普段ならそう切り捨てている所だろう。
だが、そんなこと出来るわけなかった。
声も行動も、いつものあいつそのままだ。
もう二度と見ることが出来ないと思った光景が
そこには広がっていて、ベッドの上から動けずに
ただ茫然と眺めてしまった。
反応がないことに段々と焦り始めた
ドランクに対して、あたしが絞り出せたのは
あいつの呼び名だけだった。

「……ドランク」
「えっ……ちょっとスツルム殿大丈夫?すっごく顔色悪いよ?着替えも終わってないし……もしかして風邪?どこか痛い?……スツルム殿?」

眉を下げながらこちらを覗き込んでくる顔を
近づくことを止めもしないことに
困惑する様子が見て取れる。
その態度に本物が目の前にいることを理解した。
あれは本当に夢だったのか。
背中に沸いた汗がジワリと寝間着に
染み込んでいく。
心臓はまだドクドクと跳ねていて、
五月蠅くて仕方ない。
だが、いつまでもこのままじゃいられない。
ドランクの様子から今日は仕事だという事が
見受けられる。
夢のせいでぐるぐる回る頭の中は、まだ整理が
つかないが、動くことくらいは支障がない。

「依頼主さんのところには僕だけ行ってくるよ。だからスツルム殿は…」
「……大丈夫だ」
「本当?」

心配そうな声を振り切り着替えを済ましてから
こくりと頷けば、不本意な表情を浮かべながらも
ドランクは了承した。
随分悪趣味な夢のせいで目覚めは最悪だ。
本当なら申し出に甘えたいところだが、予知夢
でも見てしまったような嫌な気持ちが残っている。
臭いも、冷たさも、全て幻だとは思えなかった。
自分の経験を遡ってそう思わせていただけ
なのだろうが、あれが現実になる。
そんな気がしてならなかった。

「とりあえず朝食かな?近くのカフェで美味しいコーヒーが飲めるらしいから目覚めの一杯にどう?」
「……悪くないな」
「じゃあ出発~!」

胸に抱えた不安の種が芽吹く事のないように
祈りながら宿を出る。
そんな願いが叶ったのか、その後は淡々と
仕事をこなして、終わった頃には
あの夢を見た日から数日が過ぎていた。
あの時の予感は杞憂だったようで、
ドランクの様子も変わらない。
冗談を言ってはあたしに刺される。そんな日常だ。
そんな折、次の仕事までの間に休暇が生まれた。

「今回はどうする?」

そう問いかけたドランクに、
あたしは頭を悩ませた。
ドランクはどうするのかと聞けば、
気になっている遺跡があるというのだ。
あたしの方はちょうど砥石と油が少なくなり、
調達がてら鍛冶屋を訪れる時期を迎えていた。
だから、本来であれば返答は
《別行動》を選んでいる。
しかし、あの夢がまだ心の隅に引っかかっていた。
ただの夢。本当にそれで済むだろうか。

「……ついて行ってもいいか?」
「勿論!」

幸いにもまだいくらか余裕はある。
次の仕事の合間にでも買いに行けば良い。
そうすれば、最悪の事態は免れるだろう。
隣を歩くドランクはあたしの胸中など知るよし
もなく、機嫌良く鼻歌まで歌いながら歩いてる。

このときはまだ過信していた。
あたしが傍にいれば問題ないと。

突然降り出した雨に泥濘む道。
古びた遊歩道の一部と共に落下していくドランク。
慌てて伸ばした手は、手袋の先を掠めて宙を掴む。
そのまま静かに落ちていったドランクと
対面できたのは翌日のことだった。
あの時と同じ生気のない顔、閉ざされた口。
それを森の中で見つけた時に、
やはり嫌な勘ばかり当たるものだと
胸の中で呟いた。

いや、まだ間に合うかもしれない。
そう思い項垂れた状態で崖に身を任せる
体に触れると、あの時のように心が沈んで
身動きがとれなくなった。
息苦しさに目を閉じて、意識を手放していく。
次に目が覚めたときに映ったのは、
また何の変哲もない天井と、
いつも通りの相方の姿だった。

これは全て夢だ。

そう気が付いたのは、ドランクが四度
死んだ後の朝だった。
あたしの世界は、ドランクの死をトリガーに
巻き戻っている。
戻っている、と言うよりは違う世界が
生成されている、と言った方が
しっくりくるかもしれない。

一度目は落石。
二度目は災害。
三度目はレストランの爆発事故。
四度目は魔物の群れに襲われて。
その次は………もう覚えていない。
そして先程、街中で人違いによって刺された
あいつは命を落とした。
これも、何度目なのかわからないくらいだ。

どこに行ってもあいつは死ぬ。
その事実を受け入れられないあたしのせいで
この世界は回っているように思えた。
まだ助かるかもしれない。
ドランクの前で必ずそう思ってしまうのだ。
そして、あいつの亡骸に触れた瞬間、世界は暗闇に
包まれて、あたしが目を瞑ってしまえば、
また一からやり直しになる。
初めは数日猶予のあった死のタイムリミットは、
回数を重ねるごとに短くなって、
先程などは起きてから数時間後に終わる始末だ。
段々と疲れ果ててきて、目を瞑ることをせずに
ただただ暗闇を見つめていた。
瞑らなければ新しい世界は生まれない。
終わりもしないから、意味はないけれど、
一度冷静に考えを纏めたくなっただけだ。

この現象は、星晶獣の仕業だろうか。
それとも仕事で敵対していた奴の
魔法でも食らってしまったのか。
どちらにしても、面倒で厄介なことを
してくれたものだ。
あたしの本体はきっと別にあって、
夢を見続けているに違いない。
なにか思い出せないか記憶を辿っても、
初めてドランクの遺体に対面したあの日より前に
何かあったか思い出せない。
人生に関わることやあいつとの出会い、
ギルドやよろず屋の事は記憶にあるが、
細かな仕事のことなどは蓋がされたように
思い出すことが出来なかった。
だから喫茶店で待ち合わせをすることになった
その前の、なぜ別行動になったかまでは
わからなくなっている。
………そもそも今ある記憶は正しいのか?
思わず疑心暗鬼を己に対しても向けてしまう。

……落ち着け。
あたしはスツルム、相方はドランク、
出会った時は敵同士だった。
あの時から、いけ好かないお喋りな男だった。
こちらの話は聞かない。
でも、役には立つから傍に置いた。
あいつが纏わりついてきてから、
コンビを組んでそれなりにやってきた。
名を馳せて傭兵たちにも一目置かれる様になり、
仕事も順調に進んでいた。

──だから、手放したくないのだろう?
頭の中に一つの疑問が浮かび上がる。
違う。別に名声なんていらない。
あたしは強くあればそれでいい。
それにはあいつが必要なだけ。
あいつが――ドランクが傍にいなければ、
己の全てが出せないだけだ。
妙なことを考えるのはやめだ。
変な思考に苛まれる前に、
やはり終わらせなければいけない。

この夢はどうやったら終わる?

その解決策は繰り返される世界の中で、
おのずと導き出せていた。
きっとドランクが死んだことを受け入れれば、
終着点に辿り着くことが出来るのだろう。
諦めてしまえばいい。
諦めないからこの地獄はいつまでも続く。
解っていても、解りたくない。
その決断は今の自分に出来そうにない。
例え目の前のドランクが夢の中の産物だとしても、
それを受け入れたら自分が壊れてしまう
気がしてならなかった。

「……いっそのこと一緒に死んでしまおうか」

声が反響して虚空の暗闇に響いていく。
あいつを見捨てられないなら、共に逝くしかない。
何度も助けようとして、何度も見送ってきた。
一度、自分が死んだらどうなるかと試そうとして、
ドランクに助けられ生き延びてしまった。
だから、あたしもあいつも一緒に《向こう側で》へ
逝けば、この輪廻は絶ち切れるはず。
──だってそうすれば、二度と目を覚ませない。
──夢を見ることだってない。

……………いや、それは駄目だ。
心がすり減りすぎて、一番選んではいけない道を
進もうとしていた。
頬を両手で叩き、自分を奮い立たせた。
きっと本当の世界でドランクが待っている。
だから諦めるわけにはいかない。
他の方法を見つけるしかない。
向こう側であいつも奮闘しているかもしれない。
何度か繰り返せば、道が見つかるかもしれない。
全てが推測だが、ただ諦めるのは性に合わない。
この状態を作り出した奴の
思い通りになってたまるか。

勢いよく立ち上がった瞬間、地面に亀裂が走り、
光が割れ目から差し込んできた。
いつまでたっても先に進まないあたしが待てなくなったのか──。
眩しさに目を閉じると、浮遊感に包まれた。
世界が生まれ変わる。
次こそは、あいつと共に生きれる世界を───。

身を任せたその先にある未来を夢見て、
あたしは意識を手放した。

差し込んだ明かりに、瞼がピクリと動く。
そのままそっと目を開くと、
何の変哲もない天井を見上げていた。
あぁまた戻ってきてしまった。
今度はどう回避すれば良いだろうと悩みながら
身体を起こそうとするが、思うように動かない。
視線を動かすと、頭にズキりと痛みが走る。
声を出そうとすれば喉が乾いて掠れてしまう。
今までと様子が違う自分の身体。
段々と状況を理解した始めたあたしの耳に
扉の閉まる音が聞こえてきた。
ゆっくりと視線を向ければ、
目を思い切り見開いたドランクと目があった。

「スツルム殿……!」

震える声で呼ばれた名を聞いて、
やっと戻って来れたことをして実感した。
手に持っていた荷物を雑に置いたドランクは、
こちらに駆け寄り安心したように
目を細めて笑った。

「よかったぁ起きたんだ…!」
「…ドラ……ンク…」
「無理に起きなくていいよっ……!身体、キツイと思うから…っ」

喋ろうと口を開けると、
すっとストローが差し込まれた。
ゆっくりと吸い込めば、冷たい水が
身体を潤していく。
満足してから口を離して、ゆっくりと
ドランクに問いかける。

「あたしは……どのくらい寝ていた……?」
「倒れたのが一昨日だから2日くらい?でも倒れたのがお昼で今は朝の5時くらいだからそんなに経ってないな……あっお腹空いてたりする?僕なにか持ってこようか?」

一つの問いに対しての答えにしては多すぎる。
でもそれがドランクらしくて、懐かしさを覚える。
長い長い旅をしていたというのに、現実では
そこまで時間が流れていない事実に驚いた。
夢の中で食事はしていたが、
腹は……減っているかもしれない。
二日も何も口にしていないなら当たり前だろう。
だが、食欲を満たすよりも先に、
確認したいことがあった。

「…………て」
「なに?」
「…手、握ってくれ」

冷たい身体ばかり触れてきた。
何度も何度もあの冷たい絶望を味わってきた。
だから、今一番気になるのは──。

ゆっくりと呟いたか細い声は、
ドランクのよく聞こえる耳に届いたらしい。
嬉しそうに微笑みながら、傍らの椅子に腰を
落とし、あたしの手をそっと両手で包み込む。
温かい。伝わる熱が、血液の流れている人で
あることを証明している。
夢の中のあいつとは違う、
ここに存在していることをあらわしていた。

「……スツルム殿がこんなお願いするなんて、よっぽど怖い夢を見てたんだねぇ」
「……」

ドランクのその問いに、己の口が動くことはない。
言えなかった。口が裂けても言えるはずがない。
お前が何度も死ぬ夢を見ていたなんて。
何度も何度もあたしの前から
いなくなる夢を見ていたなんて。
口に出したら現実になってしまいそうで、
ぎゅっを唇を噛み締めた。

「スツルム殿が被った花粉はね、あの村では有名な危険なものだったんだって。依頼人さんにかからなくて良かったけど焦ってさぁ」
「花粉……?」
「もしかして覚えてないの?」
「全く……」
「そっかぁ……。花粉を浴びた人はね、その人の一番大切なものを壊す夢を見せる効果で苦しむって聞いて、気が気じゃなくてさ」

一番大切なもの?ドランクが?
確かに今の人生において欠かせないとは
思っている。それは事実だ。
だが、普段使っている剣だって、
故郷の家族だってあたしの大切なものは
探せば出てくる。
それを抑えてドランクが一番。
それが、あたしの気持ち、なのか?
そんな、まさか……。

「あの話は本当だったんだね。あのスツルム殿が僕に甘えてくるぐらいだからよっぽど無くしたくないものだったんだなぁって思って…痛ぁい!?」

優しい声色で語りかけてくるドランクの声が、
あたしの動揺からきた力任せの握力によって
悲鳴に変わった。

「何!?いきなりどうしたの!?僕説明してただけだよね!?」
「……うるさい。……もういい、手を離せ」

あんなに強く握ったのに、
ドランクは手を離すことをしない。
自分から望んだことを、一瞬で気恥ずかしさが
勝ったせいで台無しの空気にしたことは謝る。
だが、自分では理解していなかった感情が、突如
雪崩れ込んできたあたしの気持ちも察して欲しい。
視線をそらして手が自由になるのを待つが、
なかなかその時は訪れない。
しぃんと静まり返る空気に耐えかねて目線を
ドランクへ向ければ、静かに涙を溢していた。

「……ドランク?」
「…っ、ごめ……なんか…止まらなくなっちゃったみたい」

口元は無理に笑おうとするが、
それもすぐに歪んでしまう。
止めどなく溢れる涙を拭うこともせず、
大の大人が子供のように泣いている。
その姿を見て、心の奥がじわじわと
熱くなるのがわかった。

「スツルム殿が、元気でよかったぁ……」

ポロポロと流れる雫が、繋いだ手に降ってくる。
温かい雨に打たれながら、深く息を吐いた。
よく見れば、目の下にクマが浮かんでいる。
一睡もせずにあたしを守っていたのだろうか。
反応のないあたしの隣で、
不安な夜を過ごしたことだろう。
その気持ちは、あたしが夢の中で味わってきた
絶望と一緒に思えた。
果ての見えない暗闇をこいつも彷徨っていたんだ。

あぁ………温かい。
ぎゅっと強く握られた手も、
自分の胸に感じる鼓動も、
あたしの頬を伝っている液体も、
あいつから零れ落ちている雫も。
全てが温かくて、生きている証が刻まれていく。

あたしもお前が生きていてよかった。
ドランクとまた共に生きていけていける。
そんな幸せを噛み締めながら、
あたしはゆっくりと目を閉じた。

───次に見える世界は、涙の先の未来であることを願って。

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