ドランクを探してるスツルム殿の話
昨年途中までTwitterにあげてたもの。
※なんちゃってシリアスドラスツ①
――別れなんて、唐突に訪れるものだ。
目の前に置かれた小さな石碑の前に、
素朴な花が手向けられている。
花には活気が見受けられない。
葉も花びらも、それらを支えるはずの茎でさえ
萎れて形を保つだけで精いっぱいのようだった。
その力なさに、酷く落胆した自分がいた。
ゆっくりと曲げられた膝に、バランスを崩した
体は、背から地面に落ちて少しだけ跳ねる。
空に向かって真っすぐに伸びていた
柔らかな草がクッション代わりとなったのか、
不思議と身体に痛みは感じなかった。
それなのに、なぜ雫が頬を伝うのだろう。
自分の横を駆け抜けた風に乗って、
水の粒が軽やかに宙を舞う。
一瞬だけきらめいた欠片は、
保っていた形を瞬時に失い消えていった。
少しだけぼやけた視界の向こうで見えた青に
あたしが思い浮かべたものは、
いつも隣にいたあいつの面影だった。
「あれ、まだ一人だったのかい?」
そうあたしに言ったのは馴染みの店の女将だ。
目の前のカウンターにごとんと置かれた麦酒に
手を伸ばし、一口飲んでから『あぁ』と返事する。
騒がしい店内では、こんな声なんて
あっという間にかき消されてしまう。
そのくらいの存在感だから、
店の片隅で酒を飲んでいるあたしのことなど
目に入らないのも仕方がないだろう。
「静かすぎていることをすっかり忘れてたよ」
「客に対して失礼だぞ」
「いやぁ、いつもはドランクがいるからさぁ」
けらけらと笑いながら、今度はチーズの
盛り合わせが載った皿が目の前に置かれる。
頼んだ記憶がないそれを静かに眺めていると、
お詫びだよという言葉が降ってきたので
ありがたく頂戴することにした。
「それにしても随分と遅くないかい?」
「……二時間は待ってるな」
頭上に設置されている時計の長針が二度回った
ことだけは記憶している。
そう、こんな賑わっている店の片隅で、
あたしは一人待たされているのだ。
待ち人…数日前に別れた相方の、
へらへらとした面を思い出して、
苛立ちが頭を駆け抜けた。
剣を手入れに出したいから別行動をしよう
と言ったのはあたしだが、
次の仕事に向かう時に合流するのは
ここにしようと提案したのはあいつだ。
自分で決めた約束を反故にするのは
いかがなものか。
始めの一時間は静かに酒を飲みながら
待っていたが、なかなか来ないあいつに
痺れを切らし、奢らせようと遠慮をせずに
頼んだ品物も、粗方食べつくしてしまった。
そんな時に置かれた差し入れを飲み込むと、
少しだけ怒りを鎮めることが出来た気がする。
………まぁでも、待たされるのは別に
初めてのことではない。
待ち合わせの場所や時間を間違えたり、
船が遅れていたりと、あいつが遅刻するのは
今回に限ったことではないのだ。
あいつが息を切らして謝り倒す姿を
幾度となく見てきた。
見飽きたくらいだ。
だから時計の針があと一周もすれば、
店の扉が壊れるんじゃないかと
思うくらいの勢いで飛び込んでくるだろう、
と結論付けて手元の麦酒をまた一口飲み込んだ。
そんな勘は外れたようで、あいつは
店が閉まる時間になっても現れなかった。
流石にそのまま居座って
迷惑をかけるわけにはいかない。
もしこの後店を訪れたら予約の入れた宿に来るよう
伝えてくれと言付けを頼み、店の扉を開く。
もう少しいてもいいという誘いに、
首を振って短い断りを入れた。
隙間から零れてきた夜風は生温く、
外に出てみれば明かりの付いた家は少ない。
だからなのか、その分空に広がっている星が
綺麗に瞬いて見えた。
こんな明るい夜なのに底抜けの明るさを
持ったあいつは、一体全体どこで
何をしているというのか。
次に目にした時には必ず刺してやろう
と胸に決め、宿への道を歩いていく。
もしかしたら途中で遭遇する可能性もある
という考えは空振りに終わり、
むしろ誰にも出会わずに辿り着いてしまった。
宿の戸を開けば、受付に宿の亭主が佇んでいた。
こんな時間まで鍵を渡すためだけに
待たせたことを謝ってから、もしもあいつが
来たら通してもらうように頼んで、
さっさと指定の部屋に向かう。
明かりをつければ、そこにはあたしの身体には
大きすぎるベッドが一つ。
こんな時に限ってあいつはツインルームに
したのかと、呆れてため息が零れた。
お前がいなければ、意味がないだろうこんな部屋。
やっぱり刺すのは二回にしよう。
いや、気が済むまで刺しても
許されるかもしれない。
そう思考を巡らせながら身支度を整え、
不釣り合いのベッドに自身の体を投げ出した。
広いシーツの上、占領してもいいのだが、
万が一帰ってきたあいつに睡眠を邪魔されても
困る、と左半分を居場所と決めて体を丸め込む。
目が覚めて、あいつが見えたら、刺してやろう。
微睡む中でも、あたしの決意は変わらない。
―――しかし、ぽっかりと空いた隣のスペースは、
朝になっても埋まっていなかった。
「残念だけど来ていないねぇ」
店の女将は眉を下げながらそう告げる。
数時間前に滞在していた店に、
今はあたしと彼女だけ。
《残念》などとは思っていないが、
否定することもせず、自分の口からは
わかったと短い了承の言葉が漏れた。
もう一晩くらいはこの町で待つことに決め、
手伝えることはないかと問えば、
数分考えた後店で出すための肉を
仕留めてきてくれないかと頼まれる。
裏の山に生息している獣狩り。
至極簡単なお使いに二つ返事で了承した。
「待ってスツルム」
「なんだ?」
「これ持っていきなよ。あとね、あんまり無理しちゃいけないよ」
閉じたばかりの扉を開こうとノブに手をかけた
刹那、後ろから彼女の静止が耳に届き、
小さな紙袋を渡された。
どうしてそんなことを言うのかと聞けば、
あまり寝てないように感じたと返される。
昨日はしっかり体を休めているし、
無理などしている記憶はない。
むしろ、今のあたしはあいつを刺せずに
溜まってしまったフラストレーションの
吐き場所を探している。
体を動かす目的が出来て丁度いいくらいだ。
だから心配なんてしなくていいと返事をしたが、
彼女の眉が上がることはなかった。
別にあいつと出会う前は
一人で仕事をこなしていた。
それを知らないから心配をするのだろうと推測した
が、それ以上は何も言わずに戸を開ける。
さっき浴びたばかりの日の光が、
なんだか妙に眩しく感じた気がした。
山の中に入り込めば、光が遮られ木々の間から
差し込む明かりだけがポツリと道に灯っていた。
さて………注意深く地面に目を向け、
獣の気配を探し始める。
普段、狩りをするとなると耳のいいドランクが
微かな鳴き声を聞き取って居場所を探していたが、
今日は己の力でどうにかするしかない。
幸い時間は十分にある。
時間をかけて仕留めればいいだけの話だ。
簡易的な罠を仕掛け待つのがいいか、
探し回るのがいいか、
それともどちらも行うことにするか。
どうする、と問いかけようと開いた口は癖のように
身体に染み付いている行動だった。
今は一人だというのに虚空に問いかけてどうする。
先程自分ひとりの力でどうにかすると
理解はしていたはずだ。
それもこれもあいつの到着が遅れているせいだ。
自分の中に生まれたモヤモヤを消す方法が、
今この場で簡単にできないことに、憤りを感じる。
思考を切り替えるために頭を軽く振り
前を向きなおす。
今ここにいない奴のことなんて、
考えても意味がない。
意識を研ぎ澄まして、自分のすべきことを
遂行すべく動き出した。
罠が完成したところで一息つくことに決め、
静かに見張れる場所へ腰を下ろした。
丁度いいタイミングで《クゥ~》と
子犬のような音が聞こえ、咳払いを一つ。
誰かに聞かれたわけではないのに妙に恥ずかしく、
つい誤魔化すような行動をとってしまった。
傍らに所持していたバッグから紙袋を取り出し、
組んだ足の上へと着地させる。
そっと中を覗くと、袋の中身は
サンドイッチだった。
昼飯にと持たせてくれたのだろう。
こんなところまで面倒を見てくれることを
ありがたく感謝しながら、
手を合わせてからぱくりと頬張る。
口の中にマスタードを効かせた
少し大人な味が広がった。
馴染みの店の店主が作るだけあって、
自分の好みが良くわかっている味付けだ。
今晩も世話になるであろう店のために、
期待以上の仕事をしたいところだが、
果たしてそう上手くいくだろうか。
もしものために、獣以外の収穫物も
なにか持っていった方がいいかもしれない。
………そういえば、木苺のジャムをよく作ると
話していたことを思い出す。
ドランクが気に入ってよく注文している
アイスクリーム。
それにかかっているジャムが美味いと言った
あいつに、そう説明していた彼女は、
どことなく嬉しそうに笑っていた。
酒飲みの客が多い中で、つまみではなく
アイスを注文する客なんてあまりいないと
溢していたところを見ると、褒められたのは
初めてだったのだろうか。
楽しそうに語っていた彼女と、聞き上手な
ドランクの会話が弾んでいたことを考えれば、
悪くはない手土産だろう。
ここまで辿り着く途中で何本か自生している
箇所を見かけてもいる。
ついでに採るには丁度いいだろう。
……もしかしたら果実の甘い匂いに釣られて、
ドランクが現れるかもしれない。
そんな馬鹿みたいな事を考えながら、手元にある
最後の一欠片を口の中へ放り込んだ。
「随分張り切ったねぇ、スツルム」
「……勝手に採れただけだ」
野兎が2羽にハンカチから零れそうなほどの
木苺を差し出すと、店主は微笑みながら
それを受け取った。
店内には相変わらずあたし達しかおらず、
彼女の笑い声がやけに大きく聞こえる。
「この木苺、ドランクの為に採ってきたんだろう?」
「はぁ?前にジャムを作るって話していたからついでに採ってきてやったんだ」
「はいはい、そういう事にしておいてあげるよ」
そういう事も何も、事実だが。
あいつのことを思いだしたのは否定しないが、
あいつのために採ってきたなんて事実はない。
そう言っても聞き入れようとしない姿勢を見て、
これ以上言っても意味のないことを理解した。
そういう奴がいつも傍にいるから、
諦めることに慣れてしまった。
別にそう思いたいならそれでもいいが、
なんか癪だと気分は下がる一方だ。
「……あいつ、あたしがいない間に来たりしていないか?」
「残念だけどね」
念の為の確認も一瞬で終わり、店の中には
彼女の鼻歌だけが木霊している。
今は静かなこの店内も、数時間後には
客が押し寄せ、いつもの賑やかで喧しい声に
包まれるだろう。
…その時に、今夜はあいつの声も混ざるだろうか。
——思い浮かべながら閉じた瞼に映ったあいつは、情けない笑みを浮かべている。
そんな姿を見ることは叶わずに、
また夜が更けていった。
それから二度朝日が昇った。
流石におかしいと考え、ようやくこの地を
一度離れることにした。
連日世話になった女将は三日前に見た時と
同じように、眉を下げてあたしを見送る。
そんな顔をせずとも、どうせあいつのことだから
ひょっこりと現れるだろう。
伝えても、彼女の表情が晴れることはなかった。
さて、どこに向かうかと考えて思い浮かんだのは、
よろず屋シェロカルテとギルドだった。
どちらも様々な情報が入ってくるから、
何かしら手掛かりが掴める可能性がある。
一旦バルツに向かってみれば、タイミング良く
出店してるよろず屋を発見した。
挨拶もそこそこに本題を切り出すと、
数秒考えた後、彼女は口を開く。
「残念ですが特に何も聞いてないですね~…」
発した言葉通りの表情を浮かべながら、
申し訳なさそうに彼女はそう答えた。
繁華街特有のガヤガヤとした喧騒の中でも、
その声は嫌と言うほどよく聞こえた。
顔の広いよろず屋なら、
と思ったが現実はそう甘くないようだ。
この世界の事をすべてを熟知している
わけでもないのだから、謝る事ではない。
知り合いの騎空団にそれとなく
聞いてみてくれるという提案に、
礼を言って次の目的地に足を向ける。
道中、顔見知りの傭兵に声を掛けたが、
収穫を得ることはなかった。
だから、《ここ》に来ても無駄かもしれない
と思いながら入り口をくぐっていく。
久しぶりに訪れたギルドは、相変わらず
屈強な傭兵達がそこかしこに存在した。
その横を通る度にされる挨拶をくぐり抜けて
辿りついた部屋の主は、いつもの明るい調子で
あたしを出迎えた。
手短に用件を伝えようとした口は、
こちらの話を聞く前にあっけらかんと
答えた奴の台詞で閉ざされる。
「残念だけどなにも知らないよ」
きっぱりと告げられた言葉に、思わず眉を潜めた。
残念残念と、ここ数日嫌と言うほど聞いてきた。
どいつもこいつもなぜ同じ言葉を使うのか。
残念だとは思ってない。
あたしの心内を勝手に決めるな。
些細なことに苛立ちが募り、思わず打った
舌打ちが思いのほか響き渡った。
そんなあたしを見ても、ドナは顔色一つ変えずに
此方へ笑みを向けている。
質問せずとも即答してくるところを見るに、
探している事をどこかで聞いていたのだろう。
相変わらず情報が早い。
が、こんなときに限って
私の欲しいものは手に入らない。
わからないならばここにいる理由はない。
行動が見透かされているような節も気に食わず、
早々に踵を返すと、ノブに手を掛けた
直後に呼び止められる。
ゆっくりと振り返れば、呆れたような目線を
向けた彼女と目が合った。
「探すのを止めはしないけど、身体は休めてるのかい?」
「問題ない。ちゃんと睡眠は取ってる」
「ふぅん……。ただ寝ることだけが休むじゃ無いからね」
妙に突っかかってくるその言い方に、
引っかかるものはあったがそのまま扉を開く。
開いた先では先程挨拶をしてきた傭兵達が
部屋の前でたむろしていた。
見世物じゃないぞと謂わんばかりに睨みつければ
蜘蛛の子をように逃げていった。
「なにかあればシェロちゃん経由で伝えるからね!」
虫の居所が悪いあたしは、返答の代わりに
扉を強くバタンと閉めた。
思うように行かない展開が煩わしいが、
立ち止まっている場合でもない。
どんなに足音を荒げて歩いても、
気分が晴れる気配がなかった。
早くドランクを見つけて鬱憤をぶつけてやりたい。
あたしがあいつを探す理由なんて、
ただそれだけだ。
もしかして、待ち合わせ場所を間違えているのか?
そう考え、次に向かう先は
依頼人のいる城下町に決めた。
騎空艇の空きを確認すると10分後に
出発する便が丁度一人分空いていると言われ、
すぐさま飛び立つことになる。
ぎゅうぎゅうに詰められた客室の中、
席をきょろきょろと探していると、
着飾ったご婦人の横が空いているのを見つけた。
声をかけて確認すると、どうやらそこが
最後の一席、つまりあたしの席だ。
腰を下ろして息を吐くと、抜けた力が
疲れに変わったように肩が重くなる。
ドランクが来ないせいで居酒屋の手伝いをしたり、
あちこち歩き回ったりしたせいで
気が付かない間に疲れを貯めていたのだろう。
どうせ半日はかかる空の旅。
ここじゃなにもすることは出来ない。
ドナに言われたことを気にしている
ようで癪だが、身体を休めた方が良さそうだ。
気を抜いて過ごすため、
ぼんやりと窓の外に視線を向けた。
穏やかな透き通る青の広がる空。
それなのに、浮かんでいる雲が
肩と同じようにどんよりと重たく感じて
口から一つ、ため息が零れた。
あいつは本当に何をしているのだろうか。
いや、なにに巻き込まれたのだろうか——。
ドランクは決して弱くはない。
丈夫だけが取り柄のような奴が、
こんなに待っても姿を現さないということは、
なにかトラブルに巻き込まれているに違いない。
今までこんなことはなかったから、
万が一、片方が巻き込まれた時の対処法を
決めておかなかったのはミスだった。
恨んでいるやつからの報復か、
それとも過去に確執のあった人間の仕業なのか。
あいつに何が起きているか皆目見当もつかない。
この状況を打破するのに、何日かかるだろう。
日にちはまだ空いてるが、次の仕事もある。
面倒ごとではないといいが、
金にならないことに時間はかけたくない。
そう考えるとまた一つ自然と
口からため息が洩れた。
何度目かわからないため息を呟いた頃、
肩をポンポンと叩かれる。
切符の確認かと視線を向けると、優しく微笑んだ
ご婦人があたしの目の前にクッキーを差し出した。
「お嬢さん疲れているみたいだからおすそ分けよ」
「いえそんな……」
「私が作ったの。感想を聞かせてくれたら嬉しいわ」
ご厚意をありがたく頂戴し、一口含めば
中でほろほろと崩れ散らばっていく。
素朴な甘さがちょうど良い。
それに柔らかく食べやすい。
しかし、あたしとあいつの関係みたいに、脆い。
強い絆などなかったのかもしれない。
考え事が纏まっていないせいで、
ろくなことが言えそうになかった。
ただ美味しい、としか答えられないあたしの言葉を
聞いても、ご婦人は嫌な顔一つしなかった。
それどころか、逆に『元気出してね』
なんて労われてしまった。
今のあたしはそんなに弱々しく見えるのだろうか。
見知らぬ他人にまで気を遣われている自分が、
なんだか情けなかった。
そこから会話が弾むわけも無く、
そっと視線を窓の外に戻す。
どうにも晴れない心の歯痒さは、流れる雲と
一緒にどこかへ行ってはくれないだろうか──。
到着した城下町は、人で溢れ活気に満ちている。
何度か来たことあるこの街の
普段の姿がそこにあった。
街の住人達はいつも通りの日常を
過ごしているのに、どうして自分は
こんなにも予定が狂っているのだろうか。
言い表せない感情を押し込めて、
ドランクの手掛かりを探し始める。
が、青い髪のエルーンを見なかったかと
聞けば、首を振られてばかり。
この光景も、ここ数日何度も見てきた。
諦めつつも威勢よく客引きをしている
青果店の店主に声を掛けると、
空を見上げ考えはじめる。
もしかしてどこかで目撃しているのか、
という淡い期待は返ってきた質問に遮られた。
「そんなやつ掃いて捨てるほどいるぜ?ほかに特徴はないのか?」
言われてみれば確かにそうだ。
この街は外からの観光客も多数いて、
人の往来も多い。
そこまでは頭になかった。
特徴…と言われて改めて姿を思い浮かべる。
胡散臭い笑み、絶えない軽口、携えた宝珠。
数日離れているだけなのにどこか
懐かしく感じてしまう。
感傷に浸っている場合ではない。
一番わかりやすいのは揃いの
マントとピアスだろうと伝えれば、
店主は豪快に笑いながら答えた。
「なんだ、恋人が行方不明なのか!残念だけどこの辺じゃ見たことねぇや。悪いなぁ、嬢ちゃん!」
《違う》と否定する前に店主は肩を叩いて
慰めの言葉を向けてきた。
それどころか、店先にあったオレンジを袋に
詰めてこちらに渡し、『それ食べて元気出して』
ともう一度肩を叩かれた。
文句を言おうと口を開くが、こちらの言葉を
聞かずに、他の客の対応に戻っていった店主に
諦めを抱き歩きだす。
傭兵の仕事をしていれば、
徒党を組むことは少なくない。
その時にぱっと見で互いが認識できるものを
身に着けることなど、当たり前のことだった。
そういう事を知らない職種のやつに
どうこう言っても意味はない。
だが、どうせ尋ねるなら鍛冶屋か武器職人
辺りにしておけばよかった。
ドランク探しが難航していることもあり、
モヤモヤとした気持ちが心の底に溜まって
どこか落ち着かない。
苛立ちが止まらないのは先程子ども扱い
されたことなのか、《残念》と言う言葉を
また耳にしてしまったからか。
それとも恋人と間違われたことだろうか。
それに、さっきの店主といい騎空艇での
ご婦人といい、自分はそんなに覇気のない顔を
しているのだろうか。
結論が出ることのない燻りを抱えて、
また一歩足を踏み出した。
次はどこに行けばいい。
どこに行けばあいつに会える。
脳裏をよぎる最悪の妄想を振り切って
見つけたのは、最後の望みをかける場所だった。
……あぁ、あそこならもしかしたら。
そう考えたら、向かう先は船乗り場に直行だ。
受付で一番早い便を予約して、
待合室でぼんやりとその時を待つ。
予定の便は数時間先。
長い長い待ち時間にそわそわと落ち着かぬ身体。
正直、あそこで何も掴めなければ打つ手がない。
でも、あの場所なら、という淡い期待が
胸の中で膨らんでいく。
見晴らしのいい丘にある小さな墓の前で、
静かに手を合わせるあいつの姿を
願ってやまなかった。
希望なんて、すぐに砕かれるものだ。
期待なんて、すぐに裏切られるものだ。
解っていたはずなのに、その大きさに耐え切れず、
足がもつれてその場に座り込む。
ゆっくりと倒れ込めば、自生している草が
あたしの身体を包み込んだ。
見上げた空は、心の中と違い晴れ渡っている。
その綺麗さが、今は嫌で仕方なかった。
この場所なら手掛かりがあると思ったのは、
ドランクの大切な場所だと知っているからだ。
単独行動の時、あいつはよくここを訪れている。
だから、この地に来れば生きている痕跡くらいは
あるのではと思った。
数カ月帰られていない生け花を見れば、
それは間違いだったことは明白だ。
悟った瞬間力が抜けて、
地面に転がって、
気がつけば目の縁から雫が零れ落ちていた。
まだ行く当てはあるはずだが、
なんだかひどく疲れた。
突然涙腺が緩むくらい、
己の体が危険信号を発している。
限界がわからないくらい疲労していたようだ。
次はどこへ向かえばいいか、
考える気力が湧いてこない。
一旦ギルドに戻ってみるか。
よろず屋に進捗を訪ねるか。
――それとも諦めるか。
…選択肢など腐るほどあるのに、
最後を選ぶことだけは難しそうだ。
でも、他のどれを選ぶことも
今のあたしにはできなかった。
それくらい体全体が悲鳴を上げていた。
今はただ、ゆったりと流れる雲を眺めていたい。
頬を伝う液体が乾くまででいいから
ほんの少しだけ一休みさせて欲しかった。
誰に言われたわけでもないのに、
自分に言い訳をするように心に言い聞かせた。
この場所は身を休める事に向かないが、
指一本動かせないのだからしょうがない。
ただただ雲の行く末を見守っていると、
段々と風が冷たくなってくる。
日が落ちかけているのだろう。
辺りが暗くなる前に次の場所を決めて
船を予約しなくては行けない。
いや今からで間に合うのか?
色々と考えてはいるが、どうにも
動くことが出来なかった。
もう少し休めばきっとまた己の足は
立ち上がれるはずだ。
――その自分の考えは、数秒後に現実となった。
傍を通った騎空艇のエンジン音に紛れて、
駆け足でこちらに向かう足音が混じって聞こえた。
聴きなれたその音に、体をすっと上げて
視線を野原の入口へ向けた。
段々と大きくなる足音に合わせて、
己の心臓がバクバクと鼓動を鳴らす。
あんなに動かなかった指先に、
血液が流れて温まっていく。
かすかに見えた青色にはっと息を飲むと、
肺に花の香りがまとわりついた。
深い森から続く道にすっと現れたのは、
──ずっと探していた相方だった。
これは夢か現か。
あまりにも疲れすぎて幻覚を
見ているような錯覚に陥る。
あんなに探しても見つからなかった青色が、
今そこに佇んでいる。
数日前と変わらない姿でそこにいる。
星晶獣にでも化かされているのだろうか。
あまりにも自分に都合が良すぎて
理解が追いつかない。
「ス、ス、スツルム殿~!」
時が止まったように固まった身体は、
飛び込んできた塊を受け止めきれずに、
そのまま地面へ共に転がった。
ぶつけた背中が少しだけ痛い。
だが、痛みを感じるならこれは現実だ。
回された手が身体を締め付ける。
息苦しさから抵抗すると、その手を緩めた
ドランクがやっと此方に顔を向けた。
「やっと追いついた~!!もう駄目かと思ったよぉ!」
「ド、ランクお前っ……今までどこにっ……」
あたしの疑問を一切聞かずに、
ドランクは再会できた喜びを大型犬のように
戯れ付きはしゃぎ続けた。
腰に携えた剣で刺してやっても、
目尻に涙を浮かべながら嬉しそうに笑い続ける
ドランクに、徐々に怒りが戻ってきた。
こいつ、現状を理解しているのか?
先程とは違う苛立ちを覚えながら、
されるがままに身を任せる。
ひとしきり騒いだドランクは、
あたしの気持ちとは裏腹に
呆れたような声でこちらを嗜め始めた。
「スツルム殿ってば全然休んでないでしょ!」
「はぁ?」
「ちゃんとしたベッドで寝てる?正直、ギルドあたりで追いつるんじゃないかなって甘く見てたよ僕…」
ドランクの話を纏めると、真実はこうだった。
乗る予定だった騎空艇の故障で
足止めを食らったせいで、
待ち合わせの酒場に到着したのは
あたしが旅立った1日後だったらしい。
なぜ情報が入らなかったのかと言えば、
こいつが金をケチってあまり聞いたことのない
団体の船を選んだからのようだ。
その後よろず屋に話を聞きに行けば
ギルドに向かったと言われ急いだが間に合わず。
次の行き先を誰にも告げなかったこともあり
難航したのも原因だと言い出す始末。
あたしがバルツからすぐに立ち去らずに
宿でも取っていればいいものの、
移動を優先したせいで動き続けるから
なかなか合流できなかった、
というのがこいつの言い分だ。
「だから僕とスツルム殿で追いかけっこになっちゃってたんだよね」
そんなの、わかるか。
怒鳴り付けたくなる気持ちを押さえつけ、
数日の疲れを吐き出すように息を吐いた。
故人の前で声を荒げるほど、
教養がないわけではない。
ドランクの話を聞いて、ドナから言われた
寝ることだけが休むことじゃないというのは、
はっきり伝えても言うことをきかない
あたしに対する遠回しの助言だったことを悟る。
頭に血が登って躍起になっていた事は否めない。
………もとはと言えばドランクの判断ミスが原因
なのに、なぜ自分がへこまなくてはいけないのか。
恨むような視線をドランクに向ければ、
それを見たあいつは少しだけしょげた様子で
またポツポツと話し始める。
「青果店のおじさんに話聞けて良かったよぉ…あの街には知り合いがいないからどうしようかと思ってたら、向こうから声かけてくれてさぁ……。スツルム殿、お揃いのマントとピアスしてるって言ってくれたんでしょ?足早に船乗り場へ向かったって聞いて、行き先を受付のお姉さんに尋ねたらここだっていうから…」
──あのオレンジをくれた店主か。
恋人、と言う勘違いはとけていないだろうが、
声を掛けたのは正解だったようだ。
依頼主の所に行った帰りにでも、
お礼を言ってなにか買おう。
その時についでに誤解は解けば良い。
……もしかしてこいつ、
面倒なことを言ってないだろうな?
冗談で余計なことを口走るのは、
ドランクの十八番だ。
疑惑の目を向けると、見に覚えがあるのか
ビクッと肩を揺らして耳を下げながら
詫びの言葉を口にする。
「ごめんねスツルム殿」
その謝罪は何に対するものだろうか。
約束を破ったこと?
時間を無駄に使わせたこと?
不安にさせたこと?
………不安?
———そうか、あたしは不安を抱えていたのか。
仕事に遅れることよりなによりも、
ドランクに二度と会えないかもしれない
不安が自分の心を埋め尽くしていたことに
不意に気がつく。
……別に、ドランクが傍からいなくなれば、
別のやつをパートナーにすればいいだけだろう。
昔のあたしならそう言っていた。
合理的な正解があるはずなのに、その選択肢を
選ぶことは拒絶している今のあたしがいる。
それはきっと、これから先も同じだろう。
ドランクの隣が日常になってしまったあたしでは
それを選ぶのが最適解になってしまった。
その事実に気がついて、頬がかぁっと熱くなる。
目の前の相手には気がつかれていないだろうか。
心配は慌てたドランクの声に書き消される。
「やばっ、そろそろ行かないとスツルム殿!」
「っ………はぁ?」
「あと20分で今日最後の便なんだよぉ~。僕がこの島の宿に泊まりたくないの知ってるよね?ほらほら急ごう!」
「ちょっ………お前のせいでこうなってるんだからな!」
「いっでぇっ!……わかってるよぉ!このお詫びはちゃんとするから!」
これ幸いとばかりに、熱した頬を冷ますように
街への道を走り出す。
顔が赤いのがバレないように、
ドランクの前を駆けていく。
その内追いつかれ、隣を走るあいつを見たら、
自然と口角が上がっていた。
やっぱり隣にお前がいるのがしっくりくる。
ここ数日ぽっかりと空いたスペースは、
いつの間にか温かい気持ちで埋め尽くされている。
この慌ただしさがいつの間にか
心地よくなっていた。
決して口には出さないが、
そう思ってやるくらいは良いだろう。
果ての見えない相方を探す旅は、
騒がしい日常と共に終わりを告げた──。
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