短夜のBlume

ユカタヴィラデートするドラスツ。

両想いで付き合ってるので甘め。

ユカタヴィラの柄に関する描写ありますが、

お好きな柄で想像していただいて大丈夫です。


昼間のさっぱりとした青に、日の赤が

入り混じって、夜の色に変化を始める空。

日暮れだというのにまだ蒸し暑さの残る夕刻、

自分の髪と同じ色に染まったユカタヴィラに

袖を通した己を、姿見越しに睨み付ける。

身体を締め付ける帯が、背筋をぐっと伸ばして

くるせいで、なぜだか一回り身長が高くなった

ような錯覚を覚えた。


目の前の自分は、当たり前だがいつもと

変わらない。

……いや訂正しよう。

いつもより余裕のない瞳がこちらを見つめている。

普段と違う服を身に纏っているというのに、

揃いのピアスを外さなかったのが、

やけに不釣り合いのような気がしてならない。


「終わりましたよ」


自分にため息を一つ吐くと、腰の辺りから

帯の締められる力が離れていく。

声を掛けられたところで、肩の力もふっと抜いて

みたが、瞳の奥は暗いままだ。

背後に居る店員の女性と鏡越しに目が合えば、

にこやかな笑みが返ってきた。

強張っている自分の表情をほぐす為なのか、

『とてもお似合いですよ』なんて社交辞令まで

いただく始末だ。

素直に受け入れられないあたしは、

キュッと結んだ唇を解いて、

小さな礼の言葉を返すのが今の精いっぱいだった。


目の前の自分は、あいつの隣に居ても

問題ない状態だろうか。

柄にもなく、そんなことを気にしてしまう。


赤が基調のユカタヴィラには、

白い幾何学模様が描かれている。

ドランクはこの柄を『あさのはもよう』と

言っていたが、そういうものに疎いあたしには

いまいちピンとこなかった。

三角形が組み重なっているように思ったが、

正しくは六角形らしい。

別にどっちでもいいだろと告げようとした口は、

楽しそうにしている相方を見たせいで、

そんな水を差すこともない、と

何も発することなくそっと閉じた。

東方の島国に伝わる模様だと言っていたが、

目を輝かせている横顔しか頭に残っていない辺り、

あたしも相当浮ついていたのかもしれない。


この色を締めてくれる役割をするからと、

帯は深めの青になった。

真ん中に引かれた飾り紐の中央で、

あいつの瞳の色に似た小さな球が揺れている。

その揺らめきに導かれるように、

あの日のことが頭の中に蘇る。


「夏祭りに行かない?」


――その日も、例年通りの蒸し暑い夏の夜だった。

風呂から上がって夜風に当たりながら、

団扇で風を起こして体の火照りを抑えている最中、相方の声が頭上から降ってきた。

ちらりと視線を上げれば、ドランクは

いつもの笑みを浮かべながら、

あたしにアイスキャンディーを差し出す。

垂れる汗から、それを体が欲していることを悟り、

ありがたく受け取って一口齧ると、

口の中が程よい冷たさで満たされた。

あっという間に液体に変わる氷菓を

ごくりと飲み込むと、『もうそんな時期か』

という言葉が口から漏れる。


「そそっ!もうそんな時期なんだよ~」


軽い足取りで隣に腰を下ろしたドランクが、

ぴたりと引っ付いて離れない。

『暑い』と一言添えてから手で押しのけつつ、

あたしはいつもの光景を脳裏に思い浮かべた。


祭りの警備は夏恒例の仕事の一つだ。

他の時期にも行われるが、アウギュステの

夏祭りは特に規模が大きい。

その分、不測の事態が起きることも多く、

傭兵を雇って警備をさせるのが常だ。

特有の空気が醸し出す情緒が、

人々を高揚するスパイスになるのだろうか。

大きな金が動くこともあって報酬も弾むし、

客の金で屋台の飯も味わえる。

はっきり言って最高の仕事だ。


『今年はいくらなんだ?』と尋ねれば、

ドランクは不思議そうに首を傾げた。

もしかしてただ働きを強いられるのか?

それは流石に御免だ。

それなりに名を馳せてきた自覚がある。

だから金はきっちりとって、仕事もしっかり行う。

それでうまくやってきたつもりだ。

あたしの内心とは裏腹に、

ドランクはだらしなく笑いながら答えた。


「違う、違うよスツルム殿。今年は普通に楽しもうってお誘いだよ」


仕事熱心だね、なんて茶化しながら、

ドランクはアイスを一齧りした。

そんな相方の様子が頭に来たあたしは、

拳で横腹を小突いて気を晴らす。

何笑ってるんだ。

紛らわしいお前がいけないんだろ。


それにしても………

今年は仕事が入らなかったのか――?


いやそんなことはないだろう。

毎年声のかかる行事だ。

だから考えられることはただ一つ。

ドランクが断った、という選択肢だけだ。

勿体ないことを…と思いながらも、

どこか嬉しいと思っている自分がいた。


はっきりとは言われていないが、

デートに誘われていることくらい

あたしにだって理解できる。

デート……なんて甘ったるいもの、

こいつと”そういう関係”になってから

したことがあっただろうか。

記憶を辿ったが、普段から共に行動してるせいで、

全くといっていいほど思い出せない。

街中での日用品の買い物はデートに入るのか?

そんなこと言ったらいつも一緒なのだが……。

それに……恋人らしいこと、というものを

あまりした覚えがない。

一応手を繋ぐこと位はしている。

……いい歳して胸を張れることでもないが。

今更そういうことをするのが気恥ずかしい、という

気持ちが自分の中に存在しているせいでもある。

別にしなくても死にはしないだろう。

ドランクの奴は所構わずひっついてくるだけで

文句も言わないしな。

……いや一生このままでいいと思っているわけでもないが、きっかけがないのだから仕方ないだろ。


思考を巡らせていると、膝の上に柔らかい物体が

ぽすんと落ちてきた 。

その感触に今度は下に目線を移すと、

口を尖らせたドランクと目が合う。


「……デートしよ?って意味なんだけど~……駄目、かな?」


子犬のような瞳が、寂しそうに揺らいでいる。

まだ返事をしていないのに、耐え性のない奴め。

簡潔に『いいぞ』と返すと、しょぼくれた顔は、

ぱぁっと明るさが戻ってきた。

花が飛ぶ幻覚が見えるような笑顔に、

体が少しだけ熱くなった気がした――。


扉を開けて店の外に出ると、

蒸し暑い夏の空気が広がっていた。

纏わり付くような湿度の高い時期ではなくて

良かったが、一瞬で高くなる体温に

思わず眉間に皺が寄る。

サービスと言われ唇に塗られた紅が、

体温を上げる原因になっている気もしてくる。

化粧気のない顔につけてどうするのか

と戸惑ったが、少しでも良く見せたい

己の欲望が勝ってしまった。


空はまだ夜の色に染まりきっていないが、

それも時間の問題だろう。

早く日が落ちないかと考えていると、

己を何度も呼ぶ声が耳に届く。

騒がしさにに視線を向ければ、入り口に

置いてあるベンチに腰掛けたドランクが、

満面の笑みでこちらに手を振っていた。

先に着付けを終えてどこにいたのかと思ったら、

こんなところで待っていたのか。

手には扇子を持っていて、

既に準備は万端といった様子だ。


「待たせたな」

「ぜーんぜん待ってないよ!女の子の着替えは大変だもんねぇ。それにしても……スツルム殿似合ってるよ~!僕の目利きは間違ってなかったね!」

「……そう、か」

「ねぇねぇ僕は?似合ってる?」

「……普段のふざけた様子が分からないくらい落ち着いた色だな」

「え?何それ?褒めてる?」


相方が身に着けているユカタヴィラは、

青が基調となっていて、あたしが着ているものと

同じ柄が描かれている。

その、つまり……色違い、だ。

丁度男女で同じデザインが余っていて、

尚且つサイズが丁度良かった、それだけだ。

別に初めからそういう恰好をしようと

思っていたわけでは断じてない。

帯の色もあいつが自分で赤を選択しただけで、

別に相対的な色をつけようとした訳ではない。

そう自分ではわかっているのに、

言い訳のような言葉の数々が頭の中を埋め尽くす。


「あれあれ?スツルム殿ってば、ちょっと顔赤くない?大丈夫?熱中症?」

「…っ……なんでもない」

「はいこれお裾分け~」


ドランクの言葉と共に、

ひんやりとした風が顔に触れた。

漂っている空気と違い、冷気を纏っていたせいで、びくりと肩が跳ねてしまう。

それも数秒後には慣れてきて、

心地よさに変わり始める。


「……涼しいな」

「ふっふーん!僕お手製の冷却扇子だよ」

「ただ魔法をかけてるだけだろ」

「でも気持ちよくない?」


絶え間なくそよそよと流れてくる風が、

頭に溜まった熱を冷ましてくれる。

ドランクが言うように、気持ちがいい。

そのまま自動で送り込まれる風に甘えていると、

ドランクが何かを思い出したかのような声を上げた。


「あとこれも!そこにもう屋台が出ててさぁ~。腹ごしらえにどうかなって」


すっと横から差し出されたのは、

苺が3つ連なって刺さっている串だった。

確かに、少しばかり空腹を満たすには丁度良い。

飴でコーティングされた表面に、

夕日が当たってキラキラと反射している。

受け取ってパクリと口に含むと、パリパリとした

甘い飴に、少し酸っぱい苺の果汁が混ざっていく。

あんず飴に近いのかと思ったが、

りんご飴のほうだったか。

あまり目にしたことがない屋台は、

こいつにとっていい暇潰しだったことだろう。


「それにしても仕事じゃないとゆっくりできていいねぇ~」

扇子で風を起こしながら、
ドランクは呑気にそう呟いた。
確かにいつもなら祭りが始まる前に準備を
終えて、今ごろの時間はもう彷徨いている頃だ。
日が落ち始める前から騒ぎはじめる馬鹿がいるせいで、警備の仕事は思ったよりも時間を食う。
だが、客側に回ったからといって時間が有り余るわけでもない。

「おい、返却の時間があることを忘れるなよ」
「大幅に遅くならなければいいって言ってたし、少しくらいオーバーしても大丈夫だと思うよ?」
「店先でなんて事言うんだお前は……」

身に付けてる浴衣はレンタル品だ。
祭りが終わった後、店に返す必要があるし、
着てきたものを預かってもらっている。
店としては稼ぎ時だから融通を効かせている
部分もあるだろう。
それに甘えすぎるのも、いい歳した大人が
するべき事ではない。

釘を刺しながらもう一つ含み、咀嚼。

今度は甘みが強かった。

最後の一つを食べようとしたところで、

何か言いたげなドランクに、はたと気が付いた。


「……食うか?」
「僕は大丈夫!スツルム殿が全部食べて?」

「じゃあなんだその顔は……」

「んー…………やっぱりスツルム殿には赤だねって思って」

「なんだそれ…」

「さて!そろそろ行こっか!」


…何だ腹が空いていたわけじゃないのか、

気を使って損した。

口を開けて最後の一つを食べ切ってから、

ベンチの端に備え付けてあったゴミ箱に

串を放ると、その様子を見たドランクが、

腰を上げてこちらに手を差し出した。

自分の物より大きな掌に、そっと指先を乗せると、

触れた皮膚から、ほんのりと熱が伝わってくる。

ゆっくりと握られた手は、

火傷しそうなくらい熱を帯びていた。

普段は冷たいドランクの手が、

こんなに熱くなるのは珍しい。

扇子だけでは厳しい暑さは凌げなかったのだろう。

だから店の中で待っていれば良かったのに。

心の中で悪態を吐きながらそっと視線を上げれば、

奴の頬が赤く染まっている様子が目に入る。


……なんだお前も同じなんじゃないか。


どうやら夏のせいだけではないようだ。

その事実が、あたしの胸にじわりと広がっていく。

そのまま少し上に視線を伸ばせば、

微かに星が瞬いていた。

ぽつりぽつりと間隔をあけて点在してる煌めきは、

これからもっと増えることだろう。

ドランク越しの星は、なんだか妙に眩しく感じる。


きっと、街を着飾る提灯のせいだ。


からんからん…と聞きなれない足音が、
遠く聞こえる祭囃子に混じっていく。
いよいよという雰囲気に気分が上がった様子の
ドランクは、忙しないお喋りを始めた。
事前に入手した屋台の情報や終盤に行われる花火のことなど、空いている片方の手でジェスチャーを
加えながら教えてくれる。
知っている情報もあったが下手に反応せずに
静かに聞いていても、お喋りが止まることはない。

この日のために、ドランクが色々と
画策していることは何となくわかっていた。
それがなにか…は、まだわからない。
知らないふりをしてやった方が、
ドランクのためだ。
そんなに張り切らなくても
途中で飽きたりしないというのに、
本当に馬鹿だな、なんて心の中でごちた。

明かりの強い街の広場に近づくにつれて、
道に飾られている提灯飾りの感覚は短くなり、
光の波も勢いを増していく。

先程まではっきりしなかった空も、

今では暗い色を纏っていて、

明かりを強くする要因の一つになっている。

段々とユカタヴィラを着飾った人々も増え、
賑やかな祭りの空気をそこら中で感じていると、
屋台行列の先頭が見えてきた。
明確な入り口は存在しない。
が、そこから一歩踏み入れれば、夏祭りの会場だ。

その頃には繋いだ手の熱にも慣れてくる。
けれど人が横を通るたびに、
己の指に強張る感覚が走る。
……別に、あたしたちのことなんて
視界に入れているわけないだろう。
他のやつには他のやつなりに、
ここに来ている理由がある。
男女の二人組なんて、そこのベンチにも、
その先の屋台にもいる、
よく見かける組み合わせだ。

…だが、顔見知りならどうだ?
知り合いに見られることは、考えていなかった。
この状態を見たらどう思う?

恋仲だなんてわざわざ公表していない。
する必要がないだろう。
でも、そういう話が好きな連中は、
嫌と言うほど覚えがある。
揶揄われることは、好きではない。
まずまずそんなことが好きな奴なんて
存在するわけない。

面倒そうなやつには見つからないように
しなければならない、絶対に。
無意識に眉間に皺が寄り視界を狭めた。
そんな己にはっとし、首を横に振って
頭の中から考えをかき消した。

……別に、ばれても構わないだろう。
ここに二人で来たからにはそれなりの
覚悟を持つべきだ。
それに、聞かれていないから言わないだけだ。
隠したいわけじゃない。
こいつとの関係に変化が起こったことを、
知られたくないわけじゃない。
ドランクと恋人同士なのが、
恥ずかしいわけじゃない。

だから、その考えは持ちたくない。

「スツルム殿?どうかした?」
「……何でもない。腹が減っただけだ」
「いい匂いが漂ってくるもんね~。何か食べたいものある?さっき甘いもの食べたし、しょっぱいのがいいかな~」

繋いだ手に力を込めると、いきなりのことに
驚いたドランクが声を掛ける。
適当に誤魔化せば、楽しそうに提案をする声が
続いていく。
深く追及されなかったことに、少しだけ安堵した。
一瞬の不機嫌そうな顔もばれてはいないだろう。


見つかっても、いつも通りでいればいい。
知られても別れる気などないのだから、問題ない。
そう考えたら、不思議と心も足取りも
軽くなっていく。
屋台行列に足を踏み入れたその瞬間、
腹からみっともない音が響いた。

「ありゃ?やっぱりいちご飴だけじゃ足りなかった?」
「う、うるさい!」
「ほらほら、あれなんかどう?」

何かを見つけたドランクは、
ピタッと足を止めお目当ての露店を指さす。
その先にあったのは、アウギュステの
海産物を使った焼きそばだった。
店主の手さばきによって麺と具材が踊っている。
遠目でもわかるほどに、
一つ一つの具材が大きいようだ。
流石アウギュステといったところだろう。

「あ~トウモロコシの焼けるいい匂いもする…」

その声に、鼻がひくりと動いてしまう。
スンスンと空気を入れると、
確かに醤油で焼いた香ばしい匂いが漂ってくる。
甘い実がしょっぱい醤油を纏ったいつもの味を
思い出すと、口の中が唾液で満たされる。

「座れる場所見つけて色々食べよっか」

隣から聞こえてきた提案に、
こくりと頷いて返答した。
――あたしの頭は、さっきの事など
  すっかり忘れて屋台に釘付けだ。

人の行き交う様子を眺めながら、
楊枝に刺したたこ焼きを、ぽいっと口に放り込む。

大きなタコの足は、弾力があって噛み応えがある。

やはり流石アウギュステだ。

少し冷めた後でも美味しさを

保っているところもとてもよい。

ゆっくりと噛んでから飲み込み、

両手を合わせて食材に感謝した。


色々と目移りするドランクに釣られて、たこ焼きに

焼きそば、焼きトウモロコシとじゃがバター、

それに暑いからとかき氷まで買ってしまった。

両手いっぱいにあった食べ物も、
今ではかき氷を除いて腹の中に納まっている。


「いい食べっぷりだったね~、スツルム殿」

「どれも美味かった」


しゃくりしゃくりと氷の山を崩しながら、
ドランクは呑気に感嘆の声をあげていた。
そりゃお前に比べればな、という本心を隠して、
差し出された一掬いのかき氷を、口に迎える。
舌に乗った細やかな氷は、一瞬で液体に変わり
あたしの胃に流れていく。

まだ隙間あるから、次の獲物を考えねば。

回れていない屋台も多い。

途中で気になる食い物も見かけたが、

あまりにも並ぶようなら、

他のものにした方が良いだろう。

記憶を探りながらルートを考えていると、

隣から驚いたような声が上がる


「えっ!」
「どうした?」
「もうこんな時間か~!この後花火が上がるじゃない?そろそろ移動しなきゃ」

ドランクは手に握った懐中時計の蓋を
パタリと閉めて、急かすように立ち上がる。
手に持っていたかき氷の容器を此方に寄越すと、
食べ終わった器を手際よく片付け始めた。
会場はここなのに一体どこに行こうというのか。
不思議に思いながらも、かき氷を崩す手を
止めることは出来なかった。

「実はゆっくり見れるベストスポット聞いてあるんだ~!」
「……着いたら人だかりだったりしてな」
「まぁまぁ~それは着いてからのお楽しみね!あっ、その前につまめる物買っていこう?スツルム殿が好きだから串焼きと~あの螺旋状のポテトも美味しそうだったよね!あとは……」

口も手も慌ただしく動くドランクを傍目に、
受け取ったかき氷の残りを勢いよく流し込む。
この祭りももうすぐ終わりを迎えようとしている。
夏の夜は短いというが、時間もあっという間に
過ぎてしまった。
――胸に灯った少しの寂しさは、
青いかき氷を飲み干したせいだろう。

人の波に逆らって歩く自分たちは、
随分目立つことだろう。
それでもドランクは足を止めることをしない。
迷う様子もなく、立ち止まらずに歩を進めた。
暫くすれば、すれ違う人も提灯飾りも
段々と少なくなり、辺りを照らすものは
街頭に変化していった。
道にいるのは、あたしとドランクの二人だけ。
遠くに聞こえる祭りの喧騒は、
二人分の足音に混ざっていく。

普段はこの時間でも観光客は大勢いるし、
居酒屋や土産物屋なども活気に溢れているが、
祭りの今日はそうもいかない。
静寂に包まれた夜の街は、
どことなく不思議に満ちていた。
それは、少しだけ先を歩いているドランクが、
一言も発さないせいもあるのかもしれない。

からからと下駄の音を立てながら進む途中、
見覚えのある噴水の横を通る。
この道は…と考えていると、頭に思い浮かべていた
場所と同じ建物の前でドランクが立ち止まった。
ここは………滞在している馴染みの宿だ。
アウギュステに泊まる時は、融通の利くエルーンの
夫婦が経営している、この宿を使うことが多い。
価格もそこまで高くなく、朝食も旨い。
夜遅くてもチェックインできるところも
傭兵としてはありがたいサービスだ。
そんな宿だが、今は明かりが消されて
人の気配が全く感じられない。
あたしの負担などわからないドランクは、
気に留めず入り口に向かって駆け寄っていく。
泥棒と勘違いされやしないかと遠巻きに眺めて
いた自分を、奴の呼ぶ声が急かしてくる。

「スツルム殿~早く早く~!」
「暗いぞ?誰もいないんじゃないか?」
「ちゃーんと鍵預かってるから大丈夫だよ」

扉の前で作業をしているドランクを見守っている
と、がちゃん…という音と共に扉が開いた。
中に入るよう促されて、
暗いフロントに足を踏み入れる。
後ろでもう一度鍵の閉まる音がしたと思ったら、
仄かな明かりを手にしたドランクが近づいてきた。
手元を見ると、いつも使っている宝珠が
発光してランタンの役割を果たしていた。
明かりを頼りに進み、階段をゆっくりと登って、
月明かりの差し込む廊下へ躍り出る。
直進した一番端にあるのが、今取っている部屋だ。
扉の前に立ったドランクが、宝珠を渡しして
照らすように指示をしてくる。
既に食べ物が入っている袋を下げているから
手一杯ではあるが、挟み込むように受け取った
宝珠を落とさないように近づける。
すると、さっと伸びてきたドランクの
手によって無事開錠された。
そのままドアノブを回して部屋に入った直後、
外から大きな破裂音が響く。
ギリギリのところで始まってしまったらしい。
ドランクは宝珠を挟んだままのあたしの手を取り、
少し早足で部屋の中へ進んでいく。

その先には、夜空にいくつもの花が咲いている様子が、ベランダの窓越しに広がっていた。

息を飲んで足を止めると、
握られた手がすっと離れていく。
ベランダの窓に手を掛けたドランクは、こちらを
振り返って嬉しそうに笑いながら口を開いた。

「ね?ベストスポットでしょ?」

なぜだか得意そうな態度を取りながら
ベランダに降りると、ローテーブルに荷物を
下ろしてから、手招きをしてあたしを呼ぶ。
そんなもの、ここから出るときにはなかったのに、
いつの間にセッティングしたのか。
疑問を浮かべながら降り立つと、
宝珠をさっと拾い上げ仕舞ってから、
そっと荷物を奪われた。

「座って座って~!今お酒用意するね~」
「…随分準備万端だな」
「いやぁ~楽しみでさぁ~!どうせならスツルム殿も楽しんで欲しいからちょっーと張り切っちゃった」

慌ただしく動き出すドランクに指定をされたのは、長方形状のベンチだった。
ローテーブルに合わせて低めになっていて、
膝を折り曲げて着席する形になる。
こういう時は、どのあたりに座るのが正解か
考えた結果、左側の端に腰をかけてみる。
合っているのかと花火に視線を向けながら
頭を悩ませて、グラスを二つと麦酒の瓶を
装備した相方が戻ってくきた。
反対側にすっと腰を下ろしたドランクは、
あたしとの間に妙に距離感のあることに気が付き、
困った顔をして笑った。

「スツルム殿~?もうちょっとこっち来ないと注げないよ?」

確かにそれもそうだ…とにじり寄れば、
距離は拳一つ分ほどに縮まった。
『はい』と手渡されたグラスを握りしめると、
黄金の液体が泡を立てながら並々と注がれていく。
綺麗な泡が縁のギリギリで止められると、
段々と表面が水気を帯びてきて、
手のひらの熱が冷まされていくようだった。

「じゃあカンパーイ!」

ドランクの声に合わせて二人だけの乾杯を交わすと、黄色の花が夜空にパッと咲き誇る。
冷えた麦酒をごくりと喉に通せば、
程よい炭酸が体中に沁み渡っていく。
一気に飲み干し息を吐いてから、空のグラスを
テーブルに置くと、直ぐ様おかわりが注がれた。
酒もいいが、つまみが欲しい…なんて考えは
お見通しだったようで、牛串のステーキと
唐揚げが載った皿を笑顔で差し出された。
至れり尽くせりだな、と心の中で笑いながら
ありがたく受け取ると、また大きな花が咲いた。
尾を引いてすっと伸びる火花は、
先ほどのものと少し違うが、
よく見るスタンダードなものではある。
毎年上げているものと変わらないはずだが、
建物の2階から見ていることもあり、
一回り大きく目に映るようだ。
次々と打ちあがる花火は、雨のようにさらさらと
流れ落ちていくものや、弾けた瞬間散り散りに
外側へと飛んでいくものまで様々だ。
途中で星の形をした特殊なものまで上がったが、
原理が全くわからない。
上がるたびにドランクの説明が飛んできて、
それに耳を傾けながら口をもぐもぐと動かすと、
腹も心も満たされていく。

中央でひときわ大きな花火が上がったと思ったら、
今度は右側からの音がする。
それに反応して視線を移すと、
細かな光が横に駆け巡っていた。
色々な場所でたくさんの人が楽しめるように、
という運営側の配慮から上がる場所は複数ある。
ちょうどよい位置で上がっているのを見て、
ベストスポットの意味を理解した。

花火が上がる場所は3箇所だ。
多分ここは、中央と左右でバランスよく見れる
絶好の部屋なのだろう。
いつの間にこんないい部屋を交渉したのか。
こそこそと動くのが得意なドランクらしい。

それにしても、上がる花火は頭上で光って
いたものと違い、少し引く位置で割れている。
火花が客に落下してきたりと
危なくはないのだろうか?
この時間帯は酔っ払った馬鹿も多く、
騒ぐ奴も増えて揉め事が置きやすい。
花火に気を取られて盗みを働く奴も多いし、
些細なことでクレームを入れてくる
質の悪い客も現れる魔の時間だ。
面倒事を思い出すだけで、ゲンナリとする心を、
ビールでゆっくりと流していった。

………思い返せば、こんなにゆっくりと
花火を眺めるのは、子供の時以来かもしれない。
さほど興味関心が高くないせいもあって
横目に見ていただけの光の幻想を、
こんなにも楽しめるとは思っても見なかった。
光のマジックと、好みの酒と、
いるだけで落ち着く隣の存在が、こんなに
いいものだとは想像もしていなかった。

光が止んだと思っていたら、
今度は左側から音が炸裂した。
視線を向けると、少し小ぶりの花火が
連続して何度も上がっている。
思っていた通り、三方向がよく見える。

ちょうどいい位置で上がっていることに
感謝をしつつ、貰ったばかりのポテトを頬張り
ながらどちらも堪能の限りを尽くすことにした。
ゆっくりとひとつずつ丁寧に上がっていた
先ほどまでの花火とは違い、連続して上がる
タイプなのだろうか。
赤い花が重なるように咲き乱れて、
夜空を真っ赤に染め上げる。
絶え間なく続く花火を、静かに目に焼き付けた

手元の食料が空になったところで、
ドランクの声が聞こえないことに気が付ついた。
花火から視線を外し右を向くと、
恍惚の表情を浮かべている相方が、
静かにこちらを見つめていた。

「………どうした?」
「んー……………やっぱりスツルム殿は赤が似合うなぁって」

目が合っても黙っているドランクに声をかければ、
少しの沈黙の後、噛み締めるようにそう呟いた。
それは、こいつの口からよく聞くフレーズだ。
赤が似合う、とよく言われる。
髪色から連想しているだけだろうに、
なぜそんなにも感情が篭るのか。
でも、その言葉を受け取ることは、嫌ではない。

「落ち合った時に塗ってた口紅も似合ってたなぁ………!ほんのり色づく感じが、すっごいスツルム殿っぽくて好きだったな、僕。頑張ったからご褒美貰っちゃったのかと思ったよ!ご飯食べたら落ちちゃうな~って思って残念だったけど、美味しそうに食事してるスツルム殿も好きだし…」

嬉しそうに語るドランクは、先ほどまで黙っていた
のが嘘のように、いつもの饒舌が戻っていた。
ペラペラと語られる言葉全てが恥ずかしい。
ただの口紅にそんな深い意味を
見出すなんて思っていなかった。
でも、特別を感じたのはあたしも一緒だ。
落ちてきた火花が当たってしまったのかと
錯覚するくらい、身体の熱が上がっていく。
頬が赤く染まるのがバレないように、
と願ってしまうほどだ。

「ここの準備も色々あったんだけど~……他にも…ちょっと、どうしても邪魔されたくなくて~……今日は僕たち見かけても話しかけないでね!……って知り合いの人を見かけてはお願いしたりしちゃった」
「は…?なんでそんな面倒を………」
「……独り占めしたかったんだ、スツルム殿のこと。いつも思ってるけど、今日は特にその気持ちが強くて………」

こちらを見つめるドランクの、
必死な瞳がとても眩しい。
その目に打ち上がった花火が映る度、
あたしの心臓が弾けて、
高鳴りが身体中で響いている。

……が、ドランクのほうはどうやら違ったようだ。
しまった、という表情をしたと思ったら、
動きが止まり、視線が泳いだあと、
縮こむようにふっと俯いた。
どうやら本心をひた隠しにする男は、
ここでもそれを発揮させてしまいたかったらしい。
口にするつもりではなかったのだろう。
振り払われるのが怖くて、言葉にするつもりなど
なかったが、止められなかった。
そんなところだろう。

今のドランクに、なんて声を掛ければいいのか。
なにも言葉が出てこない。
だって、あたしの心も忙しくてしょうがないのだ。
高鳴りが、胸の奥でキュッとなって温かい。
今日も変わらず熱帯夜だというのに、
どうしてこの温かさが嫌ではないのだろうか。

――その答えは知っている。
幸せと言う感情が、心の中で咲いているからだ。
息をするたびに、吐息で零れそうな熱さを、
止めておくのに必死だった。

呼吸が整う頃、背後でとびきり大きな花火が
開いて、パラパラと火花の散る音が空中に消えていく。
そこからいくら待っても、夜空に花が飛ぶ音が
聞こえてこず、突然の静寂が辺りを覆いつくす。
あぁ、もしかして、終わってしまったのだろうか。
自分の中に生まれた切なさの雫が、
ぽたんと胸に落ちて波紋を広げていく。

「っ…お、終わったね!あーもうこんな時間!そろそろ返却の時間も近づいてるし行かないと…!」

項垂れていたドランクは、音が聞こえなくなった
ことをこれ幸いとばかりに、顔を上げて
活発に動きを再開し始めた。
切り上げよう、お終いだと言わんばかりの言葉も
態度も、あたしの気持ちを置いてけぼりにして、
先に行ってしまおうとする。
待ってくれ。
もう少し、もう少しあたしに時間をくれないか。
あたしはまだ、告げれてない。
だから、もう少しだけ―――。

「スツルム、殿?」
「……ちょっとくらい遅れても…問題ないんだろ」

願いを捕まえるように、気が付けばドランクに
向かって手を伸ばしていた。
とっさに掴んだ袖をギュッと握ったまま、
下を向いてぽつりと呟いた言葉は、
か細くてもてもドランクに届いたはずだ。
口に出してから、あぁ…やってしまった……と
頭をかかえる。
引き留めたはいいが、
その先のことは考えてなかった。
なんと伝えたかったのか、まだ整理できていない。
ただ……まだこの時間を失いたくなかった。
もう少しだけ……ただそれだけだった。

今度はあたしが狼狽する番だ。
飛び出してしまいそうなくらい、
心臓が早鐘を打っている。
ドランクはどんな顔をしているだろうか。
いきなりの衝撃に驚いているだろうか。
こんなのあたしらしくないと、
落胆していないだろうか。
見つからない答えを探し続けていると、
影がすっと落ちてきて目の前が陰ってしまう。

ふっと顔を上げれば、瞳を細めて笑う
ドランクが視界に飛び込んできて、
あたしの目線を釘付けにしてしまった。
月の光を浴びた相方が、眩しくて仕方ない。
――まるでさっきまで見ていた光の花みたいだ。

ぼぉっと見入っていたら、指の力がすっと消えて、
袖が重力に従ってはらりと落ちた。
制約をなくしたドランクは、
力の抜けた指をさっと掴んで、
すとんとあたしの隣に腰を下ろした。

先ほどまで開いていた拳一つ分の距離は、
もうそこにはない。
ピタリとくっついた右側は、
熱帯夜の夜よりもあつく感じる。
直接触れている手のひらは、互いの熱で
溶けあったみたいにくっついて離れない。
体中が、夏の暑さに当てられてしまったみたいだ。
でも、お互いの熱が混ざり合って
どこか心地がいいのだ。

花火が終わっても、遠くからは
祭りの音が絶えず響いている。
その音を耳で聞きながら、
何も言わず二人で空を眺め続けた。
今この場にあるものは、
ゆっくりとしたお互いの呼吸と、
夜の色に染まった空に輝く星だけだ。

――この時が永遠に続けばいいのに。
そう願ってしまうくらい、
幸福な時間があたしを包み込んでいた。
――願ったら、こいつは何て言うだろう?

「……ド」

口を開いたその刹那、目の前で大きな
光の花がぱっと開いてさらりと消える。
微かに呼んだ相方の名は、
弾けた大きな音にかき消された。
呆けていると、数秒おいて次々に
夜空を花火が彩っていく。
終わったと思った催しはまだ続いていたようだ。

「スツルム殿?」
「あっいや……何でもない」

本当に何でもない。
ただ、ドランクの名を口にしようとしただけだ。
変な期待を込めるなんて、
夏の熱にでも浮かされたのだろうか。
会話のないあたしたちの周りには、
花火の弾ける音だけが響いている。

「……ずっとこうしていたいね…………」

花火の切れ間に聞こえた言葉は、
愛おしそうな柔らかい声色をしていた。
その言葉にはっと息を飲み、手をギュッと握ると、
まるで連動するように、大きな花がパっと開いた。

花火のせいかドランクのせいか。
心臓の鼓動がどうしようもなくうるさい。
ドランクには聞こえていないだろうか?
恥ずかしさがあっても、
離れることはできなかった。
入り混じる情動は、暫く立てば
喜びの感情で満たされる。

――ドランクも同じ気持ちだった。
やっぱり、あたしたちは似た者同士なのだろうか。
性格も種族も何もかも違うのに、
そんなことを思ってしまう。
でもそれは、あたしの気持ちとこいつの気持ちが、
通じ合っているのだから仕方がないことだろう。

それがどうしようもなく嬉しくて仕方がない――。

「……そうだな」

頬を擦り付け少しだけ甘えるように呟いた返答は、
短夜に咲く花と一緒に打ちあがっていった。

長ったらしい言葉なんていらない。
―――最高の愛を込めればそれで十分だ。

0コメント

  • 1000 / 1000