ココロのヤケド

スツルム殿が嫉妬しちゃってわたわたするお話。

イチャ度が高め(当社比)だし、妄想度も高いです。推しカプに夢を見過ぎている。



剣先から放たれた炎が、目の前の羽虫に襲い掛かる。

前方を塞いでいたそれはあっけなく形を失って、残骸が宙をひらひらと舞っていた。

その様子を見ている自分自身の目線は何と冷え切っていることか。

普段から無表情の不愛想と言われている自分は、いつにも増してその態度を悪化させているだろう。

それはきっと、内心の烈情に反比例を起こすように、冷たくなっているはずだ。


「いやぁ~いつも通りキレがいいねぇ」


後ろから聞こえてくる軽快で明るい声が、あたしの中の苛立ちに薪をくべる。

ちらりと目線を向けてみると、ご機嫌そうな笑みを顔に張り付けている相方が、

手のひらで宝珠をくるくると遊ばせながら辺りを見回していた。


「ん~さっきので終わりかな?」

「……」

「お疲れ様スツルム殿!戻って打ち上げでもしよ?」


隣からの問いかけを無視して、あたしは何も言わず剣を鞘へと納めた。

くるりときびすを返し、そのまま無言で歩みを進めると、「待ってよぉ」なんて情けない声色が追いかけてくる。

その声に、心にある炎がまたゆらりと揺れている。


「(…まだ収まらないか)」


いくら仕事を無事に終えても、相方に調子よく褒められても、あたしの心は静まらない。

静めようと思っていても、なかなかコントロール出来ないこの感情に、

ため息をつくばかりだった。

自分の中に生まれた炎のような感情の名前を、知ってはいるが口に出したくはない。

口に出したら益々燃え上がることが分かっていて、行動に移す奴はいないだろう。

こんな気持ちを抱いている理由はわかっている。

わかっているからこそ、なかなか静めることが難しかった。

この気持ちが自分に灯ったのは3日前のことを思い出す。

それは、仕事に向かう道中の森で一人の少女と遭遇したことから始まった。



「……どうしたんだ、それ」

「それって言い方はないでしょ~スツルム殿」


水を汲みに川へ向かったドランクが持って帰ってきたのは、

目的のものとは程遠い小さなエルーンの女の子だった。

耳は先端が下へと向かっていて、目には涙を浮かべていた痕跡が残っている。

あたしへ向けている怯えた眼から察するに、少女が迷子なのだろうということは予想が付いた。

面倒ごとを拾ってきたのかと思わなくもなかったが、自分が当事者となった時に

見て見ぬふりをするという選択肢を取ることは出来ないだろう。

だからこいつの判断は間違ってはいない。

間違ってはいないのだが、やけに距離が近い状態に疑問を持つことくらいはする。

ドランクの羽織っているマントに隠れるように佇む少女は、

いつもはひらひらと揺れている端を掴んで固定させている。

もう片方の手には花の入った籠を携えていて、盾のように此方へ突き付けていた。

マントとバスケットで何が防げるというのか、と現実的なことを考えたが

流石に子供のしていることに指摘をすることは憚られる。

しかしながら、歩きにくいだろうに何故その状態を保ったのか。

普通に手でも繋いでやればよかったのになんて、

意味の無い提案が頭の中に浮かんでいた。

目線を少女へと戻すと、小さな体はびくっと反応した後に、

身を縮めてマントの奥に隠れてしまう。

視線が合っただけで、恐怖の色が増す瞳に傷つきはしないが、

そこまで拒否することもないだろうと肩を落とす。

仕方なしに視線をドランクに向けると、苦笑いを浮かべた奴は

マントを少しだけ開いて少女へと声をかける


「この人は僕のお仕事仲間だから怖くないよ~」

「そうなの?」

「無口で分かりにくいかもしれないけど優しいから大丈夫~仲良くしてあげてね」

「お兄さんがそう言うなら!」


少女はその一言で顔に明るさを戻し、マントから顔を出してドランクを見上げている。

誤解が解けたことでドランクも笑みを浮かべていて、

そんな二人の間にはニコニコと花でも飛ばしていそうな空気が漂っていた。

……さっき出会ったばかりだというのに、随分と懐かれていることが見て取れる。

ドランクの笑みは胡散臭いが、人当たりは悪くない。

なんでこいつはよくて自分は駄目なのかとは感じたが、そのあたりの差なのだろう。

しかしながら、あたしという存在が見えていないのではないかと言いたくなるほどに、

二人だけの空間が作り出されているこの状況はなんだか少し面白くない。


「……おいドランク、説明くらいしろ」

「ごめんごめんスツルム殿」


あたしの不機嫌そうな声が、二人の間を引き裂いた。

何か察した様子のドランクは、そんなあたしに少女についてわかっていることを話し始める。

簡潔的に言えば少女はこの近くの村の住人で、森で花を摘んでいる最中に迷ってしまったらしい。

迷子というあたしの読みは、外れていなかったようだ。

それにしても、夢中になっていて迷子になっているようでは世話無いが、

この年代にはありがちなことだろう。

どこから来たのか聞けば、道中通る予定の村だったこともあり、

見送っていくことになったあたし達は、日が落ちる前に森を抜けるため出発した。

まだお天道様は高い位置に存在しているが、この少女も一緒となると

いつも通りのペースというわけにもいかない。

やはり面倒事だったのかもしれないと、心の中でため息をひとつついた。

3人横になって歩くには幅の狭い道のせいもあって難しく、

前方はドランクが、後方はあたしが確認しながら進むことになった。

進みにくいからというあたしの指摘でドランクのマントから出た少女は、

奴と手を繋ぎながら二人でお喋りを続けている。

住んでいる村で行われた祭りのこと。

好きな料理は母親作ったグラタンだということ。

今日摘んだ花は父親への誕生日プレゼントだということ。

なんでも話したがる年頃なのか、会話は途切れずに脱線を繰り返しながら続いていた。

それにしても随分楽しげに話しているが、ドランクはちゃんと周りへ注意を払っているのだろうか。

普段はドランクが喋り続けて、あたしはただ耳を貸しているだけのことが多いから、

もしかしたらいつもと違って楽しいのかもしれない。

それでも、緊張感の無さに今度は口からため息が出た。

まぁ、凶暴な魔物が出るという話を聞いた訳でもないから構わない。

そう自分を落ち着かせながら仲睦まじい光景を眺めながら足を前へと進めた。

村の入り口に到着すると、そこは騒がしい声が響き渡っていた。

客人が来たことなど目に入っていないようで、

複数の村人が輪になって慌ただしく何か議論をしている真っ最中のようだ。

その中の一人がこちらに気づき指を指す。一体全体なんだというのだ。

その様子を見た少女が、ドランクと繋いでいた手を離して駆け出した。

向かっていく先には口元を抑え今にも泣きそうになっている女性がいる。

聞かずとも、関係性は明白だ。少女を見た集団が沸き立ったのを見るに、

探しに行こうとしていた手前だったのだろう。

雫が風に反って流れていくのを見て、初めに対面した時の不安そうな表情を思い出す。

今、彼女はあの時と同じ表情を浮かべているであろうことは顔が見えずとも分かる。

先程までそんなそぶりを見せずに笑っていたというのに、なんだかんだ我慢していたのだろう。

親子が無事の再会を果たしたことを見届けて、そのまま去ろうとドランクに目配せすると、

あいつも同じ事を考えていたのか小さくこくりと頷いた。

音を立てぬよう静かに動いたつもりでいたが、此方に気がついた少女の声が耳に入る。

気にせずに進めば良いものの、隣の相方が足を止めた故に、自分も歩みを進めることは出来なくなった。

振り返れば、少女が先程の女性と手を繋ぎ此方へ走ってきている。

そこまでは慣れていなかった距離はあっという間に詰められてしまった。

追いついた母親は呼吸を整えながら何度も此方に頭を下げ、お礼をしたいと言って引かない。


「ん~どうします?スツルム殿」


困ったように眉を下げたドランクは、あたしに決定権を投げてきた。

次の目的地へと向かう用事はあるが、別段ここで1日時間を潰しても何ら問題は無い。

だが、何故だかわからないが留まることが得策だと思えなかった。

少女がドランクへ向ける懐き様を見ると、1日で解放してくれる気がしなかったというのもある。

だがそれ以上の何かが胸の中でつっかえていて、あたしの気持ちを逸らせる。


「ん~やっぱりお気持ちだけで十分です」

「そうですか……」


答えの出せないあたしの返事を待たずにドランクは断りを入れる。

そのことに内心ほっと胸をなでおろした自分がいた。

立ち去ろうとマントを翻し前を向くと、今度は少女のあいつを呼ぶ声がする。

見れば控えめな手招きでドランクを呼んでいて、あいつはそれに応じて

少女と同じ高さまでしゃがみこみ、目線を合わる。

「どうしたの?」と優しい声色で問いかければ、女の子はドランクの大きな耳に手を当てて、

奴にしか聞こえないように内緒話を始めた。

ドランクは小さくうなずきながら少女の話を聞き取っているようで、時折揺れる瞳は柔らかく穏やかだ。

何を話しているのか知らないが、面倒な約束などしてくれるなよ、

と冷めた事しか今の自分には考えられない。

終わったと思ったその瞬間の光景は、まるでおとぎ話のようだった。

口もとを隠していた手が離れたのち、ドランクの頬に軽く唇が押し付けられる。

ドランクが反応するよりも先に、少女は黄色い声を上げて母親の背後へ逃げ込んだ。

その少女の無邪気で嬉しそうな声が、自分の体に衝撃を走らせる。

まるで雷にでも打たれたような、びりびりとした痛みが全身を包んでいた。

今時の子供のなんとませていることか。いや、ただのスキンシップなのかもしれない。

しかし彼女は恥ずかしそうに母親の後ろで頬を赤らめている。

ただのじゃれあいなどではないことなど一目瞭然だ。

そんな彼女を見て母親もあいつもニコニコと笑みを浮かべている。

どんなことを話したのか知らないが、自分が考えていた『面倒なこと』を

本当に約束したのではないかと胸のあたりがざわざわと騒ぐ。

だからなのか、その光景がなんだか無性に嫌だった。

具体的な表現もできず、ただただ≪嫌だった≫。

自分の気持ちを表す言葉はそれしか出てこない。

なんて子供っぽい表現だろうか。

あたしは、その穏やかな情景が気に食わなかったのだ。

自分だけが、違う空間にいるような気分に陥っている。

仲間はずれにあっているような、そんな気分だ。

この状態をよしとしていないのはあたしだけ。

あぁでも、この気持ちの名前を知っている。

これは……

自覚したその瞬間に、さっきの電撃が心まで駆け抜けていく。

気が付いた時には火がついてめらめらと燃え上がっていった。

自分の体が震えあがって髪の毛の先までピリピリとしているように感じた。

炎の灯った心臓が、鼓動をするたびにヒリヒリと痛んだ。

一瞬、息をしたくなくなるような痛みだ。

今、自分はどんな表情を浮かべているだろうか。思わず斜め下の地面へと視線を向けた。

それだけでは物足りず、長閑な光景に背を向けてそのまま歩き出す。

慌てたドランクの己を呼ぶ声にすら足は止まらず、スピードを上げていく。

息を切らしているのは、いったい"どれ"のせいなのか―――。

わかっていても、わかりたくなかった心は、熱を帯びてジンジンと己の中で存在を増していく。


「じゃあまた明日。おやすみなさい、スツルム殿」

「………」


自分に向けられた言葉を聞き流しながら、与えられた部屋のドアをばたんと閉める。

そのまま扉の前に立ち尽くし、左隣の部屋が閉まった音を確認して、肺の中から深く息を吐いた。

返事くらいしてやればいいのにとは思っても、下手に反応を示したくなくて、何も言えなかった。

揃いのマントとピアス、それと装備を外して身軽になった自身の体をベッドへ投げだす。

数回弾んだ自分の体は、心に灯った炎のように揺れている。

暫くすれば落ち着く体と違い、心の方はそうはいかない。

何回目かわからないため息は、真っ白なシーツに染みを残す様に沈んでいった。

心が燃え始めたあの日から、あたしはドランクと距離を取る日々が続いていた。

自分の中の《嫉妬》という醜い感情を抑えるために、そうするほかなかった。

そう、あの時あたしは嫉妬したんだ。

あいつが少女にキスされてしまったことに、大人げなく嫉妬した。

自分の恋人に、手を出されたことに嫉妬したのだ。

改めて思い返すとどうしても無性に腹が立つのだ。

少女を見つけてしまったドランクに腹が立っているわけでも、あんな行動に出た少女にでもない。

自分より一回り以上幼い子供に嫉妬した自分に腹が立ったのだ。

嫉妬なんて、今までしたことないわけじゃない。

こんなに感情が揺さぶられたのは初めてだった。

だから気持ちが荒ぶってしまった自分に恥ずかしさを覚えたのだ。

それも子供がしたことを一瞬でも許せないと思った自分に頭を抱えた。

相手は子供だぞ?何を考えているのか。

けれども、それほどまでにあたしにとってドランクは、大切な存在……なのだろう。

長年一緒に仕事している仲間で、傍にいて欲しいと願う人。

それは今回のことがあって深く認識したドランクの印象だった。

もっと前、恋仲になった時点で自覚すべきことなのに、

あたしはそこまで考えていなかったのだ。

昔は一人で生きても構わないと思っていたのに、

自分はいつからこんな感情を持っていたのか。

それほどまでに心に存在しているあいつへの気持ちを、

誰かに手を出されないと自覚できなかったなんて情けない。

そんな自己嫌悪のせいでドランクを見るたびに気持ちが膨らんでいって、今に至ってしまっている。

段々とドランクへの八つ当たりも生まれるほどに余裕がなくなっていた。

だって、なんであいつはあたしに対して何も言わないんだ。

仕事上の確認しか返事をしない状態が続いているのに、何故何も指摘しないんだ。

あの日からあたしは明らかに態度が悪いのに、ドランクはいつも通りに過ごしていた。

仕事以外のことがどうでもいいと思っているのなら話は別だが、

それならいつも無駄に愛を囁いてくるのは幻だというのだろうか。

今回の宿だってわざわざ個別の部屋に分けている。

恋仲になってからはずっと一部屋に二人で泊っていた。

どうせ面倒な女だと思ってシングルの部屋にしたのだろう。

それくらい自分でもわかっているというのに、相手から読み取れるだけでまたココロが痛みだす。

寂しいと、心が囁いたような気がした。

触れあっていた時とは違うこの熱が、体を支配している状況はいつになったら終わるのか。

もう何日あいつの目をまともに見ていないのだろうか。

寝る時以外はいつもと変わらず共に過ごしているが、

この3日間ドランクが仕事以外でどんな表情をしていて、どんなことを話していたか覚えていない。

食事中も一緒に過ごしたというのに、全然頭に浮かんでこない。

そのことが、自分の視界を歪ませてしまった。

……あーもうやめだやめだ。うじうじと考えるのは性に合わない。これくらいで己がぶれるなんて情けない。

それに考えれば考えるほど、思い出せば思い出すほどこの胸は痛む。

燃えている炎の勢いは止まらず、火傷のようにヒリヒリと痛むのだ。

―――それならいっそ、燃やし尽くしてしまおうか。


目の前の扉が高い壁のようにあたしの前に佇んでいる。

意気込んで数分後には部屋を飛び出した癖に、たった数歩でその勢いを失っていた。

思い付きで来たはいいがなんと切り出せばいいかあたしはまだわかっていなかった。

しかしここまで来たのにのうのうと帰るわけにもいかない。

心に諦めをつけて扉を叩くと力のこもっている拳が思ったよりも大きな音を響かせた。

やってしまったと思ったのち、中から聞こえてきた声に心臓が速さを増していった。

うるさい鼓動のせいで、中の音も気配も何もわからなくなってしまう。

いつになったらこの扉は開くのか。返事がしてからどのくらいの時間が経ったのか。

滲む汗。渇く喉。一度落ち着けようと息を吐いたところで、ノブがガチャリと音を立てた。


「あれスツルム殿?どうしたの?」


開けた先にはラフな格好に着替えたドランクが、驚いたような表情であたしを見下ろしている。

その姿を視界にとらえた瞬間に、胸の振動はゆっくりと穏やかになっていく。

小さな声で入れてくれと呟くと、耳のいい彼はそのまま何も言わずに招き入れた。

進んで行くと、あたしが使っている隣の部屋とそう変わらない部屋の内装が広がっている。

さほどスペースのない室内のため、すぐに目的のものを見つけ指を指す。

視線を奴に向けると、何も言わずに後ろでこちらを

覗き込んでいて、不思議そうに首を傾げていた。


「……座れ」

「はぁ~い」


ドランクは短い命令にも文句を言わず、指定したベッドへと乗り込み、

背をベッドボードへと預けてからあたしを見た。

まるであたしが何を望んでいるか見透かしているような瞳に、

一瞬どきりとしたが、もうどうにでもなれと後に続いた。

足の間まで辿り着きくるりと向きを変え数センチ下がればドランクにぶつかる。

そのままぽすんっと背を預けると、ドランクは何も言わずにあたしを受け止めた。

何かあるたびに煩くなる心臓が、また少しだけ静かになった。


「それで、僕は何をすればいい?」

「…………マッサージしろ」

「ん~どこの部位をご所望です?」

「……手」


後ろから伸びてきた指は手首の位置を確認してから、緩やかに手のひらへ到達した。

割れ物に触れるような指先は、次第に力が込められていく。

動いたことで耳をかすめる髪の毛もこそばゆい。でも嫌じゃなかった。

あぁ…あたしはこの穏やかさを……温かさを知っている。

初めは慣れなかったこの温もり。心に染み渡る温かさ。

先程まで熱を帯びていたというのにこの温もりが温度を下げていった。

心の底が求めていたものは《これ》だった。

もしかしたらもっと酷くなるかもしれないと踏み込まなかったせいで、

胸の炎はすっかり延焼してしまっている。

だからまだ足りない。


「久しぶりに解したけど痛くない?大丈夫?」

「……手は大丈夫だ」

「そっか」

「あとは……ここが痛い」


自身の手を包んでいた左手をつかみ取り、自分の中央へと導く。

あたしの心臓はまた激しく動いていてそれはきっとドランクも感じていることだろう。

空いていた右手は手から離れ左側の背中に触れようと回される。

背中にかかる重みと耳を掠める髪の毛。

肩にはあいつの顔が乗っていて息遣いがダイレクトに伝わってくる。


「あの時……、どんな約束をしたんだ?」


自分の問いかけに息を飲んだ。

聞いてしまった。自分の醜い感情をドランクにぶつけている自覚がある。

内緒話を暴こうとする、子供みたいな行為だ。

ドランクは呆れて口を開かないかもしれないという自分の考えは、数秒後に覆される。


「ん~また遊びに来てねっていうのと~……」

「……と?」

「いつかお兄さんのお嫁さんにしてね、だって」


軽く笑いながら「純粋で可愛いよね」なんて付け足された一言がまた心に突き刺さる。

治しては広げていってを繰り返す心の傷は落ち着かない。

今、自分の顔がドランクには見えない体制になっていてよかったと心の底から思った。

こんな顔見られたら、治るものも治らない。……いや、もう治らないだろう。

きっとこれは、火傷のようにあたしに一生残り続ける。そんな気がした。


「もし……もしあの子が本気にしてたらどうするんだ」

「子供の頃の大人なんて皆よく見えちゃうもんだよ~。

それに時間が経てば僕の事なんて忘れて、運命の人を見つけるよ」


僕らみたいにね、と付け加えたドランクの声色はあの時少女と話していた時と

同じような優しさに包まれていて、まるで子供に聞かせる子守歌のようだった。

それは幼稚なあたしを宥めるようで、思わず眉間に皺が寄った。

あの子と同じ扱いなんてしないで欲しい。あたしはもう立派な大人だ。

この感情を知ってしまったから純粋なままではいられないし、きっとまた繰り返す。

そんなあたしの複雑な感情など知らないドランクは、一つ問いかけを投げてきた。


「ねぇスツルム殿、キスする場所って意味があるの知ってる?」

「は?………なんだいきなり」

「あの子がした頬は親愛とかそういう意味があって~。で、いつもスツルム殿としてるのは~…」


もったいぶった台詞を聞いていると、急に視界が揺れて気が付いた時には天を見上げていた。

いきなり動いたドランクはいたずらをする子供のように口角を上げてあたしに影を作っていた

呆けているあたしなど気に留めず、にこりと笑みを浮かべたドランクの指が、


「ここだからさ?」


ゆっくりと伸びてきて、そっと唇をトントンと叩いた。

意味など知っていなくともわかるそこは、たった一人にだけ受け入れる特別なところ。

何度も何度も触れてきたからわかる。特別な感情を持てる箇所だ。


「さすがにわかるでしょ?」

「……わからんっ」


解ってはいても口に出す事は憚られた。なんでこいつはこんな恥ずかしいことが出来るのか。


「ちなみに今の僕の気分はここかな」

「っ……くすぐったいからやめろ」

「そういえばスツルム殿ピアスは?なんで取っちゃったの?」


耳の輪郭を撫でる指先はこそばゆく、それでいて先程までの熱量と

比べてしまい物足りなさともどかしさを感じてきてしまう。

もっと欲しいと自分だって願っているはずなのに、思わず突っぱねてしまう。

これじゃ初めに逆戻りだ。

そうは分かっていても覗き込んでいる瞳からあたしの心の炎のようなものを感じ取ってしまえば、

この人工的な光に照らされてすべてが見えてしまっている状況で、何かすることをよしとは思えなかった。

触れている耳の持つ意味は知らないが、このまま続けるのは良くないと本能が言っている。

だから次第にエスカレートするドランクの行動に待ったをかけるしかない。

揃いのピアスを外したことがよっぽど気に入らないのか、

執拗に下部を摘まんでいる手を叩くと、ドランクは口を尖らせ拗ねていた。


「寝るから外しただけだ……というかそこまでしていいって言ってないぞ!」

「え~僕いい子にしてたんだからご褒美ほしいな~」

「…………触るだけならいい」

「抱きしめるのは?」

「……それも構わない」


あたしの許可が出たことで、ドランクは手際よく先程と同じ体制に戻していく。

為されるがまま身を任せ逃がさないと言わんばかりに回された腕にそっと手を合わせた。

やっとまた一息付けた。やはり今のあたしにはこれくらいでいいのだ。

触れなさすぎるのも触れすぎるのも体に悪い。このくらいのぬくもりが丁度いい。


「は~ひっさしぶりのスツルム殿だ~」

「なんだそれ」

「え~だってスツルム殿不足で死んじゃうかと思った!」

「ただじゃ死なないくせに」

「……でも、僕スツルム殿がいなかったらきっと僕は駄目になっちゃうよ」


深い海の底のような声色が、あたしの肩を通して心に入り込む。

心の炎は水がかかったように小さくなるのを感じた。あぁ随分と現金で正直だ。

しかしその言葉を言わせたのは、確実にあたしだ。

あたしを落ち着けるために言ったということは流石にわかる。

だがそのセリフは、あたしにこそ似合いそうなものだ。

傷の一つも碌に癒せない。ドランクがいなくなったら心の火傷はどうなるのか。

そんな考えたくもない未来の話を頭から消して、ドランクに自分の体重を預けた。


「……似た者同士か」

「え?」

「何でもない……でもおまえ、こんな面倒な女でいいのか」

「面倒なんかじゃないよ。だって僕、スツルム殿が

やきもち焼いてくれるなんて思ってなかったもん」


さっきみたいな冷たさのない、春の風のような温かい声。

それが体中を駆け巡って熱が上がるような感覚がしたが、嫌ではないと感じている。


「だから嬉しかったよ」

「……やきもちとかいうな」

「あれ?スツルム殿もしかして照れてる?ねぇねぇ~」

「違う、あれはそんな可愛いものじゃなかった。……ただの嫉妬だ」


自分へ戒めるように、喉を震わせた。

向き合うことでよくわかる。あの感情は《やきもち》なんて生ぬるいものじゃない。

燃えさかる炎のような《嫉妬》だ。ヒリヒリと焦げ付くような跡を残す威力をもっていた。

だから、そんな可愛いものじゃない。お前が嬉しく思うものじゃないんだ。


「……どっちでもいいよ……そんなのどっちでも一緒」


そんなあたしの考えを否定するようにドランクの声が耳に響く。

あぁやっぱりお前、心が読めるんじゃないのか?

そうじゃなきゃ、こんなピンポイントに動けないだろう。


「僕にはスツルム殿の心が動いたことが重要なんだから」


ゆっくりとすり寄るように頬が押し付けられ、言い聞かせるような声も、

力が強くなる腕も、いつの間にかあたしを包みこんでいた。

心が動く、とはなんだろうか。

難し言い回しに気を取られながら、あたしは率直に思ったことをぶつけてみた。


「それ、どういう意味だ?」

「ん~スツルム殿が僕のせいで調子が狂っちゃったことが大切ってこと?」

「……なんで疑問符なんだ」

「まぁまぁ気にしないの!……ねぇスツルム殿、そういえば今は痛くない?」

「……いつの間にか痛くなくなってた」

「じゃあ今度はもっと早く僕のとこに来てね。次もちゃんと治してあげるから」


スツルム殿は不器用なんだからさ、という付け足された

不名誉な言葉をあたしは静かに受け入れた。

途中で誤魔化されたような気もするが、深追いしても今は意味がなさそうだ。

だって、心の火傷がいつのまにか鳴りを潜めている。

あんなに主張していた炎が落ち着いていた。

……またいつの日が、あの傷が疼く日が来るのだろうか。

それでも、ドランクという特効薬があるあたしには問題ない。

その事実に口元を緩ませて、あたしはそっと瞳を閉じた。


―――――温かいお薬を引き寄せながら過ごす時間は、最高の治療になることだろう。


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